彼の家

 やがて少女達を乗せた車は大きな建物にたどり着いた。

「ここが僕のうちだよ」

「でかいな」

 少女は建物を見上げて率直な感想を告げる。

 とにかく大きな建物だった、今まで見た建物の中で一番大きい。

「うん、広いよ。お城だし。迷わないように気をつけてね?」

「お、おう……」

 少女を引き連れて少年は建物の前へ。

 そこに立っていた身なりの良い男達に少年はにこやかに「ただいま」と告げた。

「おかえりなさいませ……そちらは……?」

「僕の人形」

  ボロ切れを身に纏った少女に男達は訝しげな視線を向ける。

 その視線にムッとした少女は口を開こうとしたが、その前に少年が口を開く。

「開けてくれる? まずこの子を綺麗にしなきゃだし」

 ニコニコとただ笑う少年に男達は気圧されたような表情を浮かべる。

 そして少年達の後ろに静かに控えていた男に視線を向ける。

「…………」

 男は無言で小さく頷いた。

 その様子を見た男達は大きな門を開いた。


「ほわぁ……」

 建物の中も大層広かった。

 少女は建物の中をキョロキョロと見渡し、興味深そうにあちらこちらに視線を彷徨わせる。

 どこか小動物じみたその様子に少年は笑みを深める。

「とりあえずまずお風呂入ろっか。着替えとかは……まあなんか適当なものを見繕ってもらおう」

「ふろ?」

 げぇ、と少女は顔をしかめる。

 少女にとって風呂といえば冷水をぶっかけられて、乱暴に体を擦られることを意味していた。

「嫌かい? あったまるよ?」

「はあ? 寒くなるだけだろう?」

「え?」

「は?」

 互いに何を言っているのだろう、と言った表情で2人は顔を見合わせた。

 そんな2人と、2人の後ろに控える男の様子を建物の中を忙しなく行き交う人々が訝しそうに見ていた。


 広い建物の中を歩いて数分、どうやら少年が目指していた場所にたどり着いたようである。

 少年がドアを叩くと中から1人の女が出てきた。

 白と黒の服を着た女だ。

「休憩中にすまない。ちょっと良いかな?」

「はい。何用でしょうか?」

「この子をお風呂に入れたいのだけど」

 少年の言葉に白黒の女は少女の姿を目視する。

「……え?」

 白黒の女は少女を見つめたまま絶句した。

 少女の格好が汚いからだろうか?

 それにしては少々大仰な気もするが、なんなのだろうかと少女は思った。

 白黒の女の口が小さく動く。

 何か小さな単語を言ったようだが、少女の耳には何も聞こえなかった、そもそも音にすらなっていなかったかもしれない。

「これね、僕のお人形。さっき買ってきたの、かわいいでしょう? でもちょっと汚いから洗いたいの、手伝ってくれる?」

「さ、さっき買って? どういうことです?」

「んー? 説明した通りだよ? 母上みたいに僕も僕だけのお人形欲しくなったから買ってきたの」

「は、はあ……?」

 白黒の女は困惑したままだ。

 まあ意味がわからないのだろうと少女は思った、彼女自身も自分の現状がよくわかっていないのだ。

 そんなことを考えているうちに、寒さからか少女はくしゃみをした。

「あ。ごめん細かい説明は後ででいい? 風邪ひいちゃうかも」

「わ、わかりました……ではそちらの……えっと」

「あー……ごめんね、まだ名前ないんだ。あとで可愛いのをつけてあげようと思ってるんだけど」

「そう、ですか……ではお嬢様、こちらに」

 と、白黒の女は少女に手を差し出した。

 少女は数秒何かを考え込んで、それから合点がいったように顔を上げた。

「…………あ、おじょーさまって私のことか? 悪いわかんなかったわ」

 そんなふうに呼び掛けられたことが一度もなかったので反応が遅れてしまったのだ。

 とりあえず少女は白黒の女の方に歩み寄ってみた。

 じゃらりと少女の首に繋がれた鎖がなる。

「……その鎖は」

「あ、そっかこれ邪魔か。ごめんとるよ」

 と、少年は懐から小さな鍵を取り出して、少女の首輪の鍵をあっさりと外した。

「……いいのか?」

「ん? なんで? 首輪があってもなくても君はもう僕のだし。逃げようとしても無駄だし」

「……そうか」

 確かに逃げようと思っても無理だろう、少女一人ではこの建物の中から出ることすら難しい。

「では、お連れします。少々時間がかかりそうなので、お部屋でお待ちください」

「ん? 僕のだし手伝ってくれるだけでいいよ?」

「いえ、貴方様のお手を煩わせるわけには……それに、女の子ですので……」

「……そっか、まあそうだね。着替えとかは適当なの見繕っといてくれる?」

「……使用人用の服であれば……少々大きいですがすぐに用意できます」

「使用人用って、それと同じの? だいぶ大きくない?」

「いえ……その諸事情あって子ど……ではなく小さい方用のものが一着だけあるのです」

「ふうん。ならそれでいいや。じゃあお願いね」

「はい」

 白黒の女は少年に向かって頭を下げた。


 白黒の女は少女を連れて風呂場に向かった。

 そこは使用人用の広めの風呂場だった。

「こんな時間ですので浴槽は貯められないのですが、よろしいですか?」

「よくそー……? よくわからないけど別にいいよ」

 できないことをわざわざ要求しても無駄だし、そもそも浴槽とやらの意味がわからない少女はとりあえず首を縦に振っておいた。

 服を脱げと言われたので少女が服を脱ぐと、白黒の女はなんだか変な顔をした。

「……傷だらけ、ですね」

「腕っ節弱いからな。口喧嘩以外の喧嘩では毎回負ける」

「そうですか……」

 白黒の女はしばらく変な顔だったが、気を取り直したのか顔をきりりとさせて少女の手を引いて浴室へ。

「……うおわっ!!? なんだよそのみょうちくりんな棒!! 水が出た! しかも冷たくないんだけど!!?」

「……これはシャワーというものですよ」

「しゃわー? すげえななんでこんな水があったかいんだ? 意味わかんねえ!!」

 意味がわからなすぎるのと暖かくて少女ははしゃいだ。

 はしゃぐ少女を白黒の女はまた妙な顔で見て、それから少女を容赦なくピカピカに洗い上げた。

 甘ったるい匂いのする謎の白いあわあわで全身もみくちゃにされ、これまた甘ったるい匂いのする謎の液状の何かを髪に塗ったくられた少女は困惑しつつもはしゃいでいた。

「うわあ……意味わかんないくらいピカピカになってる……なあなあそのぬるい風が出るやつなんてーの?」

「これはドライヤーですよ。温かい風を出して髪を乾かす魔法道具です」

「へえ……魔法ってすげえななんでもできるんだな……檻育ちだから今まで魔法ってやつあんま見たことないけど、すごいんだな魔法……」

 白黒の女は感心したような少女の髪をドライヤーで乾かしながら溜息をついた。

 少女は何も知らなかったがどうも好奇心旺盛な性格をしているらしく、わからないものがあるたびに白黒の女に質問責めをしたのだ。

 少々疲れはしたが悪い気分ではなかった、それどころか懐かしいとさえ白黒の女は思っていた。

 白黒の女には何年か前に亡くした娘がいた。

 ちょうどこの少女と同じくらいの年頃に病で亡くなった娘が一人だけ。

 髪の色や目の色も似通っていて、痩細った少女の身体からどうしても病で痩せ衰えていった娘を連想してしまう。

 それにしても檻育ちとは、と白黒の女はひっそりと溜息をついた。

 あの少年がどこでこの少女を手に入れたのか、その大方の予想はついた。

 あの男は何故そんな危険な場所にあの少年を連れて行ったのだろうかと軽く憤ったが、逆らえなかったのだろうし逆らって一人で抜け出されでもしたら大ごとだ。

 だからまあ仕方なかったのだろう、そこはもういい。

 しかし問題はこの少女の今後だ、と女は考え込む。

 お人形にすると言っていた、『母上みたいに僕も僕だけのお人形欲しくなったから買ってきた』とも。

 ならどう扱おうとしているのか予想は大方ついた。

 だがそれでいいのだろうか? いいや良くない。

 それはきっとこの少女にとってもあの少年にとってもよくないことだ。

 ならどうすれば、と白黒の女は頭を悩ませた。

 少女はそんな様子に気付くことなく、ドライヤーのぬるい風に頰を緩ませていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る