檻の外

 最終的に小袋の中身を奴隷商人と太った男に半分ずつ払い、少年は少女を手に入れた。

「わーい。ありがとうおじさま達」

「い、いえ……」

 少女の首輪に繋がる鎖を大事そうに両手で抱えた少年は本当に嬉しそうな顔で2人に礼を言った。

 一方首輪を嵌められた少女は不機嫌そうな顔で少年達の様子を伺っている。

 逃亡の余地があれば逃げてしまおうと思っているようだ。

 しかし、首輪につながる鎖はしっかりと握られてしまっているし、少年の保護者らしき男が目を光らせていた。

 ――こりゃ逃げるのは難しいか。

 少女はそう考えて密かに唇を噛む。

 それに、仮に逃げられたとしてもどうしようもないのだ。

 何も持っていない非力な少女が1人で生きていけるわけもない、無様に野垂れ死ぬことになるだろう。

 容易にその想像がついた少女は表情を曇らせていく。

「ほら、おいで」

 反対に晴れやかな顔をした少年が左手で鎖を握ったまま右手を少女に差し出した。

「……?」

 差し出された手の意味がよくわからなかった少女は小さく首をかしげる。

 少女が意図を理解していないことを悟ったのだろう、少年は特に気を悪くした様子もなく少女の左手を握った。


「……なんだ、こりゃ」

 物心ついた頃から檻の中にいた少女は、少年に手と鎖を引かれはじめて見た外の世界に絶句した。

 少女は外が広いということを知っていた。

 空というものが、雲というものが、太陽というものが、街というものが存在しているということだけを知っていた。

 だが、外の世界は少女が思っていたよりも広かった、広すぎた。

 上を見上げるとただひたすらに青く、ところどころに白いものが見える。

 その青と白の中で眩しく光り輝く丸いものがきっと太陽とか呼ばれているものなのだろう。

 あちこちに建物があり、多くの人々が建物の間を忙しなく歩いている。

 建物のてっぺんや下を覆っている白いものは、きっと寒い時に空から降ってくるらしいと噂の雪であるのだろう。

 少女はその場にへたり込みそうになった、外の世界のあまりの広さに何も考えられなくなった。

「どうしたの?」

「なんでも、ない」

 不思議そうな表情で少女の顔を見つめた少年に、少女は首を横に振る。

「あ……寒い?」

「……寒くない」

 むしろ、あの暗く狭かった檻のほうが寒かったのではないかと少女は思った。

 その時、ビュウ、と音を立てて強い風が吹いた。

「……っ!!?」

 檻の中では感じたことのない冷たさを伴ったその強風に、少女は顔を引きつらせ小さく悲鳴をあげる。

「やっぱり、寒いんじゃないか。……早くうちに帰ろうか、そんな薄着だと風邪ひいちゃいそうだし」

 少年はそう言って少女の手を強く握った。


 その後、少女は少年達と共に『車』と呼ばれる乗り物に乗った。

 なんで動くのかという少女の疑問に、少年は魔法で動かしているんだよとだけ返しておいた、詳しい仕組みは少年もよく知らなかった。

「お、おわわわわ……ガチで動いてる動いてる動いてる……!!」

 勢いよく動く車に乗せられた少女はおそれおののき体をガチガチに強張らせていた。

 こういうものがあるという事を少女は知識としては知っていた。

 しかし乗ったことなど当然のようにない、それどころか見たことすらなかった、実在すら疑っていた。

「大丈夫? 怖い?」

「こここ怖くなんかねーし……!!」

 身を竦ませたまま少女は無駄に強がった。

「大丈夫だよ。うちの運転手は優秀だからね。事故なんか起こさないさ」

「……その事故とやらが起こったら、どうなる?」

「んー? 僕らみんなぺちゃんこ、かな」

「…………。」

 悪戯っぽく笑った少年に少女は絶句する。

「……不吉なことを言わないでください」

 運転席の方から低くボソボソとした声が聞こえてきた。

 声の主は少年の保護者らしき男だ。

 あ、喋った、と少女は今まで一言も言葉を口にしなかった男に視線を向ける。

「ごめんよ。いや可愛かったからちょっとからかってみただけで」

「……そうですか」

 ニコニコと笑う少年に男はそれだけ答えた。

「…………」

 少女は無言で少年の顔を睨む。

「あ、怒った?」

「……怒ってないとでも?」

 ドスの効いた声で少女が答えると、少年は飄々と微笑んだ。

「ごめんね?」

「……ふん」

 少女は少年から目をそらして窓の外に目を向ける。

 景色が勢いよく流れていく、人も、建物も何もかもが。

「そういえば、今更だけど君の名前は?」

「…………?」

 少女は言葉を反芻する。

 名前、何かを区別するために使われる言葉の羅列。

 自分はなんと呼ばれていただろうか、少女は檻の中での生活を思い出す。

「お前、クソガキ、チビ助、穀潰し……ええと、それからブス、ブサイク……平凡顔」

「待って、それ名前じゃないだろう?」

「……そうとしか呼ばれたことがない。ならそれが私の『名前』なんだろう」

 素っ気なく視線を向けることなく少女が返すと、少年は難しい顔をした。

「……それは名前じゃないよ」

「……じゃあ、私には名前がない、ってことになるのか……まあ別に困りゃしない。今までだってそれで生きてきたんだし」

「困るよ僕が困る。それじゃあこれから君をなんて呼べばいいのさ」

「知るか」

 少女が言い捨てると、少年はうーんと悩ましげな顔をした。

 しばらく唸っていたが、暫くしておずおずと口を開く。

「……じゃあ、君の名前、僕が決めてもいい?」

「好きにすれば?」

 呼び名などどうでもよかった少女は迷う様子もなくそう答えた。

「……ありがとう」

「……?」

 礼を言われた意味が少女には分からなくて、だから少女は再び首をかしげた。


「そういや。私何させられるんだ? さっきは人形がどうとか言っていたが……」

「うん。君には僕の可愛いお人形さんになって欲しいんだ」

「いやだから……人形って、何をするんだ?」

 売られた奴隷の末路を少女は檻の外の大人たちから聞いていた。

 労働力にされたり、大人たちの欲望の捌け口にされたり。

 だが、人形をやる奴隷の話など聞いたことがない。

「んー……僕のそばにいてくれればそれでいいよ。話聞いてもらったり、一緒に遊んだり……」

「……それだけ、か?」

「うん。今のところは」

「……それだけ?」

 聞いていた話と実際の話が随分違うと少女は考え込む。

「僕んところお金持ちだから。お仕事は全部他の人がやってくれてるんだ。だから君がしなきゃいけないことはないんだよ。ただ僕のそばにいてくれればそれでいい」

「ふーん」

 そんなものなのかと少女は思った。

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