人形の人形
朝霧
檻の中
その少女は奴隷だった。
どこにでもいる金髪の、どこにでもいる青い目の少女だった。
どうして奴隷になったのか少女は覚えていない。
気が付いた頃から、奴隷として生きることが決まっていた。
親が奴隷だったからそうなったのか、それとも赤子のうちにそういった輩に拾われたのか。
兎に角、少女は奴隷だった。
正確に言うと、奴隷として売られる商品の一つだった。
物心ついた頃から、狭く汚い場所で生きていた。
鉄格子の檻の中に幾人もの同じ境遇の子供達と共に押し込められて、外から檻の中を覗き込んでくる大人達を見て育った。
周囲の誰か――自分と同じく奴隷としていつか売られる誰かや檻を覗き込む大人達から、汚い言葉や罵倒の言葉、時折綺麗な願いや祈りを教わり生きていた。
汚い言葉にまみれて生きていたから、少女は当然のように口が悪かった。
それからあんな環境で育ったにしては妙に頭の回る子供だった。
少女は檻の中の彼ら彼女らをしょっちゅう口で負かしていた。
反対に腕力では勝てなかったからいつも仕返しにボコボコされていたのだが。
それでもめげずに少女はしぶとく無様に生きていた。
何故なら、それが当然のことだったから。
最低なものしか知らなかったから、それがどこにでも溢れている日常だと信じて疑わなかった。
檻の外の大人達のように好き勝手にしたいと考えたことは全くないわけではなかったが、きっとそれは不可能なのだろうと少女は思っていた。
後々思い出してみると、あそこは多分地獄だったと少女はのちに語る。
あの環境に逆戻りしたらおそらく舌を噛み切って自殺するだろう、とも。
しかし、当時の少女はそんなことをかけらも思わなかった。
自殺という概念すら知らなかったからだ、だから当然のように生き続けた。
口が達者だから、檻の中の子供達にも檻の外の大人達にも嫌われていた。
だから、当然のように少女は売れ残り続けた。
もしもどこにでもいる金髪で青い目でなかったら、まだ買い手がついただろう。
だけど、少女はどこにでもいるなんの特殊性も稀少性もない普通の子供だった。
顔立ちも醜くはないが普通で、特徴が薄い。
頭は少しだけ良かったのだろうが、そんなものを求めるような大人が檻の前に現れることもなく。
檻の中の子供が彼女以外綺麗に入れ替わっても、買い手は現れなかった。
このまま誰に買われることなく一生この狭い檻の中で一生を過ごすのだろうか?
少女がそう思いはじめた頃に、それは訪れた。
その日はとても寒い日だった。
檻の外の大人達は全員暖かそうな格好をしていたが、檻の中の子供達は普段通りの粗末な格好をしていた。
だから、子供達は全員で寄せ集まって互いの体温で暖をとっていたのだが、嫌われ者だった少女だけは爪弾きにされ1人離れたところで身体を抱えてしゃがみ込んでいた。
そのことに対して、少女は何も言わなかった。
自分が嫌われるのが当たり前だったからだ。
少女は口が悪かったが、基本的に自分から喧嘩を売ることはなかった。
喧嘩を売られれば当然のように買っていたが、自分から喧嘩を売ることはほとんどなかった。
だから何も言わずに1人で膝を抱えていた。
ふと少女が視線を感じて顔を上げると、見たことがないくらい太った男が少女を見ていた。
太った男はしばらく少女を見て、他の男――子供達を売る奴隷商人に声をかけて少女を指差した。
「ああ、これですか? もう随分と長いこと売れ残ってる商品でしてねえ……口がすごく悪いんですよ」
ニコニコと愛想笑いを浮かべて太った男に媚びる奴隷商人を少女は睨んだ。
その様子を見て、太った男はほほう、と頷いた。
「確かに随分と威勢がよさそうな子供だ……壊しがいが、ありそうだな」
壊す、という言葉に少女はピクリと反応して小さな口を開く。
「ハッ! 壊せるもんなら壊して見やがれこのでぶまる男。そんな動きにくそうな身体で私がどうにかできるとでも?」
その言葉に奴隷商人が少女に怒鳴る。
「……本当に申し訳ございません……このようにとにかく生意気な小娘でして」
「いやいい。逆にいい」
ペコペコと頭を下げる奴隷商人に太った男はハハハハ、と笑う。
その態度に、頭を下げていた奴隷商人は密かに口元を歪めた。
そして愛想笑いを浮かべて顔を上げる。
「もし、お気に召されたのであれば格安でお売りいたします……そうですね……」
と、奴隷商人は少女の値段を提示した。
その値段は、少し大きめのパンが買えるだけの金額だった。
「……本当にその金額で良いのかね?」
「ええ。正直言って扱いに困っていて、処分することも検討していまして……本当にお気に召されたのであれば……」
奴隷商人と太った男が同時に似たような笑みを浮かべた。
「……ちょ、まっ……私そんな変なまる男に売られるの!?」
牢屋の中で少女が喚く。
「口を慎めこのクソガキ。やっと買い手が見つかったんだ。泣いて感謝しろ」
「嫌だよ、だってそいつさっき壊しがいがあるとか言ってたし!! 何されるかわかったもんじゃ……」
「黙れクソガキ。……ああ、すみません……それで、どうなさります?」
奴隷商人は檻に向けていた顔を太った男に向けて慌てたように口調を戻す。
「うむ。いただこう」
太った男のその言葉に奴隷商人は満面の笑みを浮かべる。
毎度ありがとうございます、と言おうとしたところで、その声が割り込んできた。
「待って。それ僕も欲しい」
その声はまだ幼い子供のものだった。
太った男と奴隷商人、それから檻の中の少女がその声が聞こえてきた方向に顔を向けると、いつの間にか檻の前に少女とちょうど同世代くらいの少年と、その少年の保護者らしき背の高い男が立っていた。
その少年の顔はフードを目深に被っているせいで大人達にはよく見えなかったが、檻の中で膝を抱える少女にはよく見えた。
その少年は美しい顔立ちをしていた。
肌は陶磁のように白く、瞳の色は少女が一度も見たことがない不思議な色をしていた。
赤と青が混在した色、紫色に混ざっているのではなく、青と赤が混ざり合わずに混在した奇妙な色の瞳だった。
フードの隙間から見える髪の色は薄い青色で、その色も少女が初めて見る色だった。
その少年の言葉に大人達はざわつき、少女は状況を見定めようと口を閉ざした。
「ううん、これは困りましたな……すみません坊ちゃん、こちらの商品は今商談が成立したので……」
「欲しい。ちょうだい」
やんわりと事を収めようと口を開いた奴隷商人に、少年はただそれを繰り返す。
保護者らしき男はそれを止めることなく、ただ事態を静観していた。
「いやですね……その……」
「お金なら、今はこれだけ出せるよ」
少年が懐から丸々と太った小袋を取り出して、奴隷商人に押し付ける。
その重みに奴隷商人は目を見開き、思わずその小袋を開けた。
「……なっ!?」
奴隷商人と、袋の中身を見た太った男は絶句した。
袋の中身は全て金貨だった。
この辺りの住民であるのなら、数年は遊んで暮らせる金額だった。
「足りる? 足りない?」
奴隷商人と太った男は首をかしげる少年をまじまじと見る。
一方で少女は小袋の中身の価値を正確に理解できなかったが、それが大金であるということだけは理解して小さく首をかしげた。
この子供は一体何者なのだろうか、と。
「いや……十分すぎる、というか……これだけあればこの檻の中身を全て売っても十分すぎるくらいですが………………別のものでは駄目でしょうか? 例えばそちらの緑色の髪の少女は顔立ちもよく……」
「これ以外、買う気はない」
少年は檻の中の少女を指差してバッサリと言い捨てる。
奴隷商人は自らの手に乗る小袋を見て唸り始めた。
「……それとも、そちらのおじさまにお金を払うべきかな? ねえ、おじさま? どのくらいあればこれを僕に譲ってくれる?」
少年が甘い声で太った男に声をかける。
太った男は困惑した様子で口を開く。
「き、きみは一体何者だ……?」
「何者だっていいでしょう? ねえいくら? いくらで譲ってくれる? 僕ねえ僕だけのお人形が欲しいの。最初はなんでもいいかなー、って思ってたけど、これがものすごく気に入っちゃったんだ」
「いや……私、一応人間……」
「お前は黙ってろ……!!」
檻の中から声をあげた少女に奴隷商人が小さく怒鳴る。
少年に対して初めて声をあげた少女に少年は薄く微笑んだ。
「うん。知ってる。君は人間だね。……でもね? 生きている人間を人形にしている人もいるんだよ?」
「それって殺してその死体を人形に、とか? こ、殺せるもんなら」
と、いう少女の言葉を遮って、少年は綺麗に笑ってこう言った。
「違うよ。そうじゃない。生きたままお人形としてそばに置いておくんだ」
「……うーん?」
よくわからなそうな顔で首をかしげる少女に少年は満足そうな笑みを浮かべて、大人達に顔を向ける。
「ねえ? いくら?」
ただそれだけを繰り返す少年に大人達は顔を見合わせた。
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