七、異形の羽
七、異形の羽
切浄の儀の当日。そして羽祓いの儀を行う日だ。
あっという間に時間が経ってしまった。夏休みに入る前に、皆には詳細を伝えておいたけど、夏休みに入ってからはメッセージのやり取りだけだ。
動きやすく、なるべく目立たない服装に着替え、僕は待ち合わせ場所へ向かった。
鴛鴦神社へ行く道から少し離れた朽ちた果てた物置がある場所で純と会う事になっている。総一と日野さん、君嶋さんは鬼無里さんが車で迎えに行ってくれる事になっている。
純は少し大きめのリュックを背負っていた。
緊張しているのかリュックと重なって見える羽も色濃く見える。
「純、おはよう」
「……ああ。ところで、神社の北東の方の鎮守の森の中と聞いてるが、どこから登るんだ?」
「確か鳥居から東の方へ回っていくと土砂崩れ跡があるらしい。そこを越えた所に大きな石があって、その横から上の方へ昇れるみたいなんだ」
「そうか。自転車はここに置いてけ」
盗られる心配はないが、堂々と置いておくのも気が引けたので物陰に隠した。
鳥居を遠目で確認してから東の方へ向かう。百メートルほど行くと土砂崩れの跡がある。草が生い茂っていてもかなり削れているのが分かる。
「これも十年前の影響でこうなったのかな」
「さぁな」
石の横に獣道みたいなのが上へと続いている。
「階段になってるわけじゃないから登るのがつらい」
「つべこべ言うな。足跡があるから、もうみんな先に行ってるぞ」
「うぇ。じゃあ遅刻か。それよりも、そのリュックの中には何が入ってるの。まさかお弁当で、終わったら皆で食べようってんじゃないでしょうね」
「あぁ」
「うそ?」
「冗談だ」
純の冗談を初めて聞いた気がする。ただのピクニックなら良かったのにと心底思う。
羽祓いの儀を行う場所は、鴛鴦神社がある場所よりも少し高い場所にあるようだ。参道の階段の倍以上は登ってきた気がする。
鬱蒼とした森の獣道を登り、その出口だと教えてくれるように、先の場所から光が溢れてくる。そこへ足を踏み入れると光が広がって、目が眩んだ。
だんだん目が慣れてきて周囲を見回すと、森に囲まれた三十メートル四方の開けた場所だと分かる。太陽の光は正午前の暑い日差しのはずなのに、ここは不思議と涼しい風が吹いていて汗が引いてくる。
その空間に圧倒されていると、日野さんから「遅い」と怒られてしまったので謝った。
広場の中央には地鎮祭のような小さな祭壇が既に設置されている。
白木の八脚案の上には八方が置かれて神饌が供えられている。今回の儀式で鴛鴦は供えられていない。供えるのは僕達の羽だから必要ないのだ。
束帯の格好をした鬼無里さんが少し困った表情で僕を見て言った。
「あぁ、那由崎君。逆にそれは目立つかもしれない。装束は一応持って来てあるからやっぱり着替えた方がよさそうだ。君達は神社に忍び込むんだからね」
君達と言われたのは、僕だけではない。僕だけで祈り羽と太刀を拝借し、空神美羽を連れ出すのは難しい。だから純と総一の二人にも協力してもらう事になっていた。
神職の人は位によって袴の色が違う。鴛鴦神社では宮司さん以外は水色で統一されているらしい。
それにしても二人とも何故着れるんだろうか。訊いてみたら総一は中学生からバスケをやっているが、小学生の頃は剣道をやっていたそうだ。純は祖母に教えられたらしい。着付けを教えてもらえるなんて、純の家も古くからの名家だったりするのかもしれない。
着物の帯の結び方は聞きながらなんとかできたが、袴の紐の結び方が聞いても良く分からない。上手く着れずにまごまごとしていると、総一が「こうだって」と袴の紐を結び直してくれた。
総一は袴姿を日野さんにどや顔で見せつけている。
日野さんは「はいはい」とあしらってはいるけど、「いつもより格好よくは見える」と、僕達みんなを褒めて頂いた。君嶋さんも純の事を褒めている。そして、漫画の作画の参考にさせて欲しいと言っていた。
日野さんが「巫女の恰好を私もしたくなった」と呟くと、鬼無里さんが「鴛鴦神社ではアルバイトの巫女さんは募集してないんだ」と、申し訳なさそうにしていた。
僕が着付けに戸惑っている間に、純はリュックから得体のしれない機械を出していた。ドローンらしい。電源を入れて起動テストをしている。操作機に小型のディスプレイもついていて、ドローンのカメラでとらえたのをリアルタイムで確認ができるようになっている。
「こいつを拝殿の上に着地させて妨害電波を出す。それで監視カメラと赤外線装置を妨害させる」
「そんなことが出来るの?」
「この前見た時に確認しておいた。監視カメラは無線でデータを送信するタイプだったからこれでいけるだろう。ただ、偽の映像で誤魔化したりは出来ないから長時間は騙し続けられないだろう」
「上等よ」
と、総一が意気込む。
操作機と本体の調整を終えて、ドローンが飛び立った。
「出来るだけ高度を取って、高い位置から着陸させよう。本体を見えなくさせる光学迷彩とかがあれば良いんだが」
そういう技術があるのはニュースで見た事がある。実際にどれくらい研究が進んでいて、どのくらい実用化されているのかはわからない。
それに対抗する科学技術も発展していく。対抗する技術があれば良いけれど、科学技術ででは対抗できない現象に、僕達は立ち向かわなければならない。不安ばかり募っていく。
操作機のディスプレイに映った俯瞰した鴛鴦神社全体の映像は分かり易い。建物の配置も何か風水的なものに則って建っているのかな。
ひゅうっと急降下して拝殿の屋根の上に着地させた。
「よし。妨害電波のスイッチは忍び込む前にオンにする。俺らが出て五分後に頼む」
そう言うと純は操作機を君嶋さんに渡した。事前に使い方は教えていたそうだけど、すんなりと自分の物を託すなんて。君嶋さんのおかげで純も少し柔らかくなった気がする。
手ぶらになった純の前に鬼無里さんが鍵を差し出した。
「祈り羽は希崎君が取りに行くんだったね。これは宝物庫の鍵の合鍵だ。真さんが作ってくれたものだから、そのまま君に上げるよ」
純は鍵を受け取った。
「ただのカギですよ。でもありがとうございます」
「そいじゃ、ささっと行ってきますか」
「うん」
僕達は三人は鎮守の森の中へ入り鴛鴦神社へ向かった。
羽祓いの儀を行う広場から鴛鴦神社までは近かった。南西に下ってきただけで建物が見える。ここは鴛鴦神社の北東部。その草影から顔を出して鴛鴦神社を見渡してみる。
「なんか静かじゃないか?」
総一が訝しむ。
「そうだね。でも一人二人は参道の方を行ったり来たりしてるよ。本当に今日切浄の儀をやるのかな」
「やるに決まってるのに何言ってんだ。まだ時間が早いだけだろ。向こうが準備万端にしてたら盗めないだろ」
ややむっとして純が答える。僕は盗むと言う言葉を訂正する。
「盗むんじゃなくて借りるだけだよ」
「どっちでもいい。時計は?」
「あと三十秒」
前もって時刻を合わせて置いた時計を見る。妨害電波が出ている間はスマートフォンにもどういう影響が出るか分からないから腕時計をしてくるよう純に言われていた。
妨害電波で監視カメラが機能してないのを信じて行くしかない。
「宝物庫はここから一番近い。太刀がある本殿も楽だろう。碧が一番遠くて大変だろうけど大丈夫か?」
「まかせてよ」
「じゃあ行くぜ」
総一の言葉で頷き合い、草影からそっと出た。
急がず焦らず、神職の人のように何気なくさりげなく鴛鴦神社の境内を歩く。
純とは草影から出た時点で別れ、本殿で総一と別れる。僕は舞殿の裏手の方へ回り、渡り廊下の所へ来て周囲を見回す。
舞殿側の渡り廊下に窓がある。鬼無里さんの話だと、ここの鍵は空気の入れ替えの為にいつも朝開けて、夜までそのままだそうだ。
足場になりそうな箱が側に置いてあった。これも鬼無里さんが置いておいてくれたんだろうか。それとも前の儀式の時のまま置きっぱなしなのだろうか。
窓を開け、その箱に足をかけて渡り廊下へ侵入する。警報装置は鳴らない。
「よし」
ルートは入念に確認してある。渡り廊下から本家の方へ入り、北側にある階段から地下へ行く。
本家に入った所から庭の方が見えた。病院に居た黒い服を着た人が見えたけど、家の中までは見回りをしてないみたいだ。
「それにしても広い家だな」
そして静かだ。家の人達とか、使用人とかは居ないのだろうか。廊下の曲がり角の先に人が居ないか覗き込んでみても誰も居ない。
薄暗い階段を下りる。突き当りに異様な雰囲気の扉がある。
「虚空の間だ」
扉自体は木で出来ていて、紺色の染料が塗られている。しかし無風の御札が張り巡らされていておどろおどろしいまるで悪霊でも閉じ込めておくかのように。
僕は御札を剥がし、扉を開いた。
開けた瞬間、鼻腔をくすぐるような匂いが漂ってきた。そして視界がぐらつく。羽見の儀式の時に漂っていた匂いに似ている。
「空神!」
僕の声に空神は反応しない。けれども意識はあるようだ。ぼうっとしている。肩をゆすっても反応が薄い。むしろ好都合かもしれない。僕は空神を無理矢理背負った。
――軽い。
あの時よりも痩せて、少し骨ばっている。いままでのつらさを物語っているようだ。
僕は空神を助ける。死なせたくない。決意を新たに帰り道を急ぐ。
階段を上がり、廊下を駆け抜ける。帰りは舞殿の方から出れば境内を突っ切って戻れる。と、思ってた所で立ち止まらざるを得なくなった。
「何をしておる」
渡り廊下の前に抜身の刀を持った白髪の老女が立ち塞がっている。
僕が何をしてるか分かっていて、敢えて聞いている。
「静羽がまた邪魔をしに来たかと思うたが、知らぬ輩だな」
「どいてください」
「名前も名乗らないとは無礼者め」
静かな重みがある声で窘められたので、慇懃に名乗る。
「那由崎碧です」
「空神家当主、空神時羽だ。美羽を置いていけば命は殺らないでやろう」
「できません。羽祓いの儀を行います」
「愚か者め。では死ね」
落ち着いた声で言い終えた後、刀を上段に構えて間合いをいっきに詰めて来た。
本気の殺意に生存本能が反応して、咄嗟に襖を開けて部屋へ逃げ込んだ。が、直ぐに襖が真っ二つに斬り飛ばされ、部屋の隅へ追い詰められた。空神を背負ったままではこれ以上逃げられない。
「覚悟!」
万事休すかと思って目を瞑った時、キンッと鋼と鋼がぶつかり合う音がした。
恐る恐る目を開けると、誰かが空神時羽と鍔迫り合いをしている。
「総一!」
総一は拝借した瑠璃羽の峰で空神時羽を叩こうとしたようだったが、防がれて鍔迫り合いになってしまったようだ。二つの刃が総一の方へ向いているので危うい。それに瑠璃羽は白鞘に入っていたようで柄に鍔が無く、そのまま刃を滑らされたら指がもってかれてしまう。
「心配になってちょっと見に来て良かったぜ」
「仲間か。小賢しい」
「――ッせぇババァ」
「小童が!」
総一が瑠璃羽で空神時羽の刀を斬り払った後、峰を返して刃を向けて構える。すかさず空神時羽が斬りかかり総一がそれを防ぐ。
二合三合と討ち合い、お互いに間合いを取った所で、大きな声が響いた。
「時羽様!」
様付けで呼んだ人が、空神時羽の後ろから羽交い絞めにする。
「申し訳ありません」
「おのれ……正弘か」
眠り薬か何かを嗅がせたのか、空神時羽は刀を床にガチャと落とした。
正弘と呼ばれたその人は大きく息を吐いて、冷や汗を拭っている。
総一も荒くなっていた呼吸を整えている。
「初めまして。美羽の父の正弘です」
「その……ありがとうございます」
「それよりも早く。美羽を頼みます」
名乗る暇もなく、一礼しただけで総一と共に渡り廊下を駆け抜ける。
境内にいる神職の人達は右往左往している。祈り羽が無いとか聞こえてきたので、純は成功したようだ。僕達も早く行かないと。
僕と総一が叢から出ると皆安堵した表情をする。
日野さんが背負っていた空神に駆け寄り、その表情を見て僕に「大丈夫なの?」と確かめる。僕は「薬で朦朧とされてるみたいだ」と答えると、労わるように空神の手を握った。
「さぁ。早く始めよう。美羽をここへ」
鬼無里さんが用意した御札が縫い付けられている布の上に、僕は空神を横たえさせる。
鬼無里さんはみんなに人型を配っている。
「気休めだが、持っていてくれ」
最後に僕にも渡してくれたので、大事に懐へ仕舞った
「ほら、ペキ」
総一が投げてよこした太刀瑠璃羽を両手で受け取る。ずっしりと重みが伝わってくる
「御神体を投げるなよ」
ぞんざいな扱いに少し呆れてしまったが、人の事を言えた義理は無い。空神を助けると言う理由があれど、二人には盗みを働かせてしまったわけだから。
祈り羽はと言うと榊の代りに奉られている。神籬と言ういう事なのだろうか。そこが禍津日神様の依り代となるのかは分からないけれど、神様が宿る依り代として使用するようだ。
「用意はいいね、那由崎君」
鬼無里さんが修祓を行い、場を祓い清めた後、僕がやるべきことを成す。
本来なら鬼無里さんが執り行うべき人なのかも知れない。
位も何もない偽神職の僕が、羽祓いの儀を行う。言い出したのは僕だし、皆にお願いしたのも僕だ。だからこそ空神を助けなければ。
鞘から瑠璃羽を抜いて構える。本当に千年近く昔の物なのだろうか。錆も無く、淡く青い光を携えている。静かに祓言葉を唱える。
羽が見える故に太刀の力も見えるのか、羽が発している光と同じようにぼんやりと青い光りが輝き始める。
祓え言葉を無事唱え終わった後は四縦五横呪を空に書き記す。
有名な臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前ではなく、朱雀・玄武・白虎・勾陳・帝久・文王・三台・玉女・青龍と太刀で空に書き記した。
そして、禹歩を始める。
禹歩(うほ)は反閇(へんばい)とも呼ばれている。
禹歩を行う前に勧請呪、天門呪、地戸呪、玉女呪、刀禁呪と道教に関連する神様などにお願いする呪文を唱えるのだが、それらが祓言葉に取って代わられている。四縦五横呪は羽祓いの儀にも残されていたのは、父のノートに書かれていた事で、太刀に力を加える為には必要なので残ったのではないか、との事。
陰陽道の儀式が神道とも混じり合って変化し、鴛鴦神社固有のものになったのだろう。
瑠璃羽に囁くように六星の名を唱え、一歩ずつ進む。
天蓬 天内 天衝 天輔 天禽 天心 天柱 天任……。
最後の天英を踏みしめた時、衝撃が走った。
瑠璃羽に羽の力が宿った力なのか、その衝撃でみんなが吹き飛ばされた。
瑠璃羽の柄も割れて茎が露になっている。
安否を確認するために周囲を見回す。みんな気を失っているようだ。
直ぐに羽を確認する。片羽の五分の一ぐらいが欠けているのが見えた。けれど光は失っていない。
それらの力が今瑠璃羽に宿っている。
「これを空神に……。」
苦しみ喘いでいる空神の、その背中から爆発的に成長した大樹のような羽が空へと広がっていく。
世界樹やセフィロトに例えるも、そのあまりの禍々しいその羽は、伝説の神樹の神々しさを超越している。
これが、業を摘み取った羽。根元には僅かに空神の綺麗な羽が残っている。
上空に広がった羽に空が反応するように暗雲が集約し、無数の目が開く。その中心に悍ましい口が開かれた。
「空亡なのか……?」
上空にある口が羽の一部を噛み砕く。それと同時に空神が小さく悲鳴をあげた。
瑠璃羽はぼんやりと光ったままそれ以上何も起こらない。
このままじゃ全部あの空亡に喰われてしまう。
そんなのはいやだ。いやだ……。
「喰わせてたまるか!」
僕は太刀を持ったまま空神美羽を抱きかかえ、とにかくこの場から逃げ出した。
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