六、羽祓いの儀

六、羽祓いの儀


 父に借りたノートを見返す。儀式の方法は分かった。ならばそれを実行しなくてはならない。

 切浄の儀まであと二週間。今学期はあと一週間で終わる。

 父の話を聞いて具体的なやり方を自分なりに纏めた。祈り羽は絶対に必要だ。もちろん太刀も必要だ。祓言葉は練習したし、禹歩のやり方も練習した。そして、羽祓いの儀を成功させる為に必要な人の羽。

 鬼無里さんが言っていたように一人ではとても無理だ。

 最後に空神美羽にも伝えなくてはならない。

「予行練習とか出来ればいいのに……」

 授業が始まるので。父のノートを鞄に仕舞って一先ず儀式の事を考えるのを止めた。


 休み時間になったので、前の席に居る総一に聞いてみる。

「ねぇ。寿命をあげれるとしたら他人にどれくらい上げれる?」

「はぁ? いきなりなんだよ」

「いいから答えて」

 腕を組んで深刻そうに悩んでるけど、答えるのは早かった。

「そりゃ一日たりとも嫌だよ」

「そうだよな」

「だがな、嫌だけど、ダチが死にそうになってる時だったらまんざらでもねぇな。俺の寿命を取ったらみうちゃんが助かるのか?」

「うん、まぁ……。分からないんだけど……」

 明確には答えられないない。羽祓いの儀について掻い摘んで話した。

「ほ~ん。ってぇ事は、持ってかれる命を補えるぐらいの羽を寄せ集めると」

「自分なりの結論なんだけど。他で代用できるならそうしたいし……」

「いや、そんな柔い考え必要ねぇ。ペキ。お前は助けたいんだろ。自分の命じゃ足りないから少しくれって事だろ? だったらもっと堂々と俺に言えよ」

 男気溢れる物言いだ。

「ありがとう」

「桜には俺から伝えといてやる。部の連中にも――」

「待って。日野さんには伝えても良いんだけど、あまり広めすぎると収拾がつかなくなりそうで」

「確かに」

「事情を知ってる僕等だけで羽祓いの儀を行おうと思ってる」

「でもよ。足りんのかよ」

 もっともな疑問だと思う。

 単純に人一人が生きる寿命を四人で均等に負担して捧げたとするなら足りる。百人集めて一人一年捧げてもらえたとしたら負担も少ないだろう。けれど儀式の場に百人集めるのは現実的じゃないし、事前にバレたりして太刀や祈り羽が用意できなくなったりする間抜けな事態だけは避けたい。だから、口の堅い事情を知ってる人で固めた方が成功すると思う。

 そもそも上手い具合に均等に出来るかどうかわからない。考えたら切りがない。

「ま、俺達だけで足りるならそれに越した事はないか」

 僕が答えに窮しているのを見て、抱いた疑問を無かった事にしてくれた。

 もし自分がお願いされる方だったら、総一みたいに格好良く言えるだろうか。


 次は純だ。部活へ行く前の純を渡り廊下で見つけたので声を掛けた。

「なんだ? お前結局パソコン部にしたんだったな」

 パソコン室へ向かいながら羽祓いの儀について説明した。

 パソコン室に入って父から借りたノートも純に見せた。

 ノートと共に鋭い言葉が返ってきた。

「断る」

「な、なんで」

「何でもクソもない。親父の仇と言っても間違いじゃない相手だ。鬼無里さんがやった事に父は賛成していたのかも知れないけれど、父の意思は、今はもう知る由もない。鬼無里さんの浅はかな儀式で犠牲になったのは親父だぞ。空神美羽は知らなかったみたいだけどな。それにノートに書いてある殆どが仮説じゃないか」

 何も言い返せない。

「ただな、鬼無里さんならわかる。実の姉を助けたいんだ。身内だからな。だがお前はなんだ。切浄の儀で空神美羽が死のうとそれは空神家の問題で俺らには何の関係も無いのに何故なんだ?」

「違う!」

 柄にもなく大声を出してしまった。

 純も少し驚いている。

 幸いパソコン室にはまだ他の部員は来ていなかった。

「関係ない訳ない。本当ならもっと沢山人が死ぬんだ。みんなで解決しなければならないのに、その役目を空神一人に押し付けているだけだ」

「空神美羽にとっては余計なお世話かも知れないだろ。空神の家も分かっているから排他的にしてるんだ。一方的な感情は、相手にとって迷惑でしかない。そしてあいつは、実際に人を殺している」

 憤りながらも声を抑えて言う純は得も言えぬ迫力があった。純は考えを変えるつもりはないと言う風にパソコンい目を向けた。

 僕はひとまずパソコン教室を出た。


 美術室を覗いてみる。君嶋さんは居るが、空神はまだ来ていないようだ。準備もまだなのに本人に報せる訳にはいかない。

「君嶋さん、空神はまだ?」

「美羽ちゃんなら先生と話があるとかで少し遅れるって。待ってる間、また描いてみる?」

「いや、いいです。それより君嶋さんにちょっと聞きたい事があって」

「私に?」

 僕は羽祓いの儀について説明した。

「んー。いいよ。ちょっとぐらいなら」

「え? 大丈夫? ほんとに……」

 ふんわり言ってくれると助かるけど、命に関わる事だ。ちゃんと考えてくれてるのだろうかと少し心配になる。

「だってそうすれば美羽ちゃんが助かるかも知れないんでしょ」

「うん……。まぁ、おそらく」

「これ、みんなにも伝えたの?」

「総一には伝えて、日野さんには総一が伝えてくれるって。空神本人にはまだ知らせてない。全ての用意が整った時にちゃんと言おうと思ってて」

 首を傾げて不思議そうに聞き返す。

「希崎君は?」

「断られちゃった」

「どうして」

「説得力が無かったみたい。仮説だし僕の動機がわからないって」

 突然君嶋さんが立ち上がった。

「ど、どうしたの?」

「希崎君のところへ行くの。那由崎君も!」


 君嶋さんに連れられるがままに再びパソコン室に戻って来た。

「一緒に謝りに来たお姉ちゃんか何かか?」

 純がかなり呆れている。僕が君嶋さんを連れてきて説得しようと思っているらしい。

「希崎君はわかってない」

「何がだよ」

「もー。好きな人を助けたいと思うのは当然でしょ。」

 純が今までに見た事が無いほど苦い顔をしている。そして僕は驚いて唖然としてしまった。そんな事言ってない。

 けれど、そうだという事にした方が良いのかもしれない。いや、実際そうなんじゃないか?

 僕は小さい頃に見た空神美羽の羽の美しさに心を奪われているのだ。

 羽見の儀式の舞を覗き見たのも羽が見たかったからだった。羽そのものがその人の命ならば、その人が好きだと言っても過言ではない。

 君嶋さんの恋愛脳と呼ばれるものなのかも知れないが、助けようとしてくれているんだ。説得できるのならこれぐらい。

 唖然としていた僕の表情を見て、少し僕を哀れんでくれたのか、純が投げやりに言い放った。

「あぁ……。わかったよ。愛の為ならしかたないな」

 君嶋さんが全て解決してしまったかのような笑顔になった。

「じゃあ私は行くから。那由崎君、あとで連絡してね」

 パソコン室をさっさと出て行ってしまった。

 肩を落として純がため息を吐く。

「俺は儀式の失敗で死にたくはないし、寿命も取られたくはないんだが」

「とにかくありがとう」

「お前はそれでいいのか? 助けることが出来てもフラれたら格好悪いな」

「言わないでくれ」

「で、俺達以外に頼むのか。日野桜と手塚総一には言ったんだろ?」

「うん。もっと大勢の人をとも思ったんだけど、空神の事を知っている人にしか頼みようがなくて」

「それはそうだろ。空神家の事とか儀式の事とかは村に住んでても知らされない。で、俺達は何をすればいいんだ」

「羽見の儀式の時に居てくれるだけで大丈夫。鬼無里さんも手伝ってくれる。けど、前もって鴛鴦神社に行って、段取りだけでも確認しておこうかなって」

「じゃあ一緒に行ってやるよ」

「最初は断ったのに、積極的だね」

「本番になってからの失敗は御免だからな。ほんの少しの寿命程度で済ませたい」

 未来なんてわからないと言えばそれまでだ。どんなに羽が美しくとも交通事故などで死ねば寿命は関係ない。それが寿命と言えばそうなのかも知れないけど、いつまで生きるか分からない生きる可能性を奪うのは悪い事だと思う。

 その重みを感じながらパソコンで父のノートを見ながらやるべき事を纏める作業をした。


 早めに部活を切り上げて、僕は家に戻ってから自転車で鴛鴦神社へ向かう。純はバスで家に帰ってから徒歩で来ると言っていた。

 バスにはさすがに追い付けないが、自転車だと大回りせずに空羽村へ行くことが出来る。

 途中の無風丘を横切り、水路に掛かる小さな橋を渡ればそこはもう空羽村だ。

 白羽町もそうだけど、標高が高めの場所にある地域でもこの時期は流石に暑い。陽も高くて、まだまだ沈みそうにない。

 鴛鴦神社の参道まで来て自転車を降りる。

 石段は苔生していて風流だ。鎮守の森に広がる椎や楠、楢などの樹々ははどれも幹が太くて立派だ。空を覆うような葉っぱが夏の暑さを和らげてくれている。

 観光地化されておらず、空神家が情報統制でもしているかの如くどの本にも載っていない神社。

 人も安易には来れないようにしているのか、通りからは外れていて、参道すら見つけにくくなっている。

 しばらくして純が来た。

 じゃあ行くかと言う感じで、二人で長い階段を登り始める。

 二の鳥居を潜って境内を見渡すと神職の人が忙しそうに働いていた。

「切浄の儀の準備をしてるのかな」

「違うだろ。切浄の儀みたいな特別な儀式を表だってやるか。そうでなくとも神社はそれなりに忙しいものだ」

 拝殿の前に立ってお賽銭を入れる。

 僕は奮発して五百玉を投げ込んだ。純が鈴を鳴らし、二人して祈る。

 友人の願いを聞いたりするような事はしない。僕の願いは言わずもがな。

「裏の方へも回ってみよう」

 拝殿の脇には舞殿があり、舞殿の裏からは空神家の方へ通ずる渡り廊下がある。そこを通り越してさらに奥へ進むと本殿がある。本殿を脇から覗き見ても中がどうなっているのかわからない。

 純がリュックからカードキーにレンズを組み込んだような小さな機械を取り出して、辺り一面をさっと眺める。

「やはりあるな……」

 目を細めてから、何か凄そうな小さな機械を直ぐにしまった。

「なにが?」

「監視カメラと赤外線装置」

「要塞か何かですか」

「まぁ盗難防止の為とか、ホームレス避けとかかな。神具が盗まれたら大変だし、ホームレスとかに居座られったら困るだろう」

「それはそうだけど」

「ま、ここの場合は俺らみたいな奴を監視する為だろうな」

 監視されていると聞いただけで臆してしまう。

「過去に鬼無里さんに切浄の儀を邪魔されてるんだ。これぐらいはするだろう。あそこから空神美羽を連れ出す事が出来るのか?」

 純は空神家がある敷地の方を指さした。敷地の方には病院で見かけた黒服の人が見回りをしている。

「がんばるよ」

「そこは出来るって言いきれよ」

 そう言うと純は踵を返した。

「もう帰るの?」

「ああ。当日はお前が動けるように俺もがんばってやるよ」

 男らしい。

 純は監視カメラと赤外線装置の位置を確認しに来ただけらしい。僕も改めて建物の配置などを再確認できた。

 鴛鴦神社の階段を下りた所で純と別れ、僕は鬼無里さんに電話をした。父と話した事をまだ報告していないし、僕がやるべき羽祓いの儀についても話さなくては。

 電話には直ぐに出てくれて、仕事が終わったら無風丘で会う約束をした。


 十九時少し前。家には少し遅くなると連絡しておいた。陽が高いと言っても流石に辺りは暗くなってきている。お腹も空いて来た。

 無風丘の上空を行く烏を漠然と眺める。今でも狩りをする人はいるだろう。けど人は、家畜化された飛べない鶏の肉をスーパーで買って食べる。そして烏を食べたりはしない。

 空亡は人を食べる。人の羽を食べる。飛べない人間は、空亡にとっては家畜同然なんだろうか。

 夜に飛んでいった烏が闇に染まって見えなくなった。


 辺りが完全に暗くなってから、車のヘッドライトが無風丘全体を撫でるように照らした。駐車場に停まった車は電気自動車らしく、エンジンの音はしない。

 ライトを消して鬼無里さんが降りて来た。二十時ぐらいになると思っていたけど、もしかしたら早めに仕事を切り上げてくれたのかも知れない。

「お忙しい所すみません」

「いや。それで、どうだったんだい」

 僕は結局人の羽を使うしかないという事を鬼無里さんに伝え、羽は協力してくれる友達から少しずつ分けて貰う事も伝えた。

「この間の友達か。命の欠片を差し出してくれるなんて良い友達だ」

「ええ……。それで今さっき鴛鴦神社へ下見をしにいったのですが、羽見の儀式はどこでやればいいのかと」

「場所は鴛鴦神社の北東、鎮守の森の中。少し開けた所があるんだ。そこで行おう。十年前もそこで行った」

「必要な祈り羽と太刀は当然厳重に保管されてますよね」

「厳重にと言う程でもないが、鍵は掛かっているな。祈り羽は宝物庫、瑠璃羽は本殿に祀られてある」

「無くなった事に気づかれて大事になる前には羽見の儀式を行いたいですね」

「切浄の儀は逢魔が時の頃に行うが、準備は朝からしている。祈り羽と太刀は直前までは移動させないから、どちらも拝借する隙はあると思う。それよりも美羽を連れ出す方が難しいかな」

「と言いますと?」

「羽見の儀式の時も切浄の儀の時も、巫女は虚空の間と言う部屋で待機するのだが、切浄の儀の前は、その部屋を封印するんだ。今まで集めた業を溢れ出さないようにする為に」

「虚空の間……」

「僕が空神家から絶縁されていなければ連れ出すのも楽だったんだろうが、すまない」

「いえ、僕が行かなくちゃ」

「出来る限り手伝うよ」

 経験した人がいるだけでこんなに心強い事はない。儀式自体は十年前と同じなんだ。

 車で送ろうかと尋ねられたが、自転車だと告げて断った。

 僕は街灯の灯りを頼りに暗い道を帰る。

 実際は鳥目と呼ばれる鳥は少ない。夜の世界も見えている。



 次の日。僕は空神に羽祓いの儀の事を告げる事にした。

 終業式間近だからだろうか、生徒達は夏休みを前にして浮かれているのかも知れない。短縮授業が終わり、教室はザワついている。

 個人的な話をするのがこれほど難しい場所も他に思い当らない。

 部活へ行く生徒とそのまま帰宅する生徒に紛れながらさりげなく日野さんに話しかけた。

「総一から聞いてるよね?」

 日野さんは静かに頷く。空神に助けられているし、助けたいと思っていたから断る事はないと思っていた。けどそういう人の善意を利用している感じがして嫌な気分だ。きっと僕の羽にもそういう恩着せがましい感情が表れているだろう。

「ごめん」

「平気よ。気にしないで」

 日野さんは空神なら席に居ると視線で教えてくれた。

 空神はクラスメイトと雑談をしている。会話をしている表情はとても愛想が良く見える。

 空神が僕に気がつき、クラスメイトと話を切り上げて別れを告げたようだ。

 僕が近づいても表情を変えないし、もちろん羽も見えない。

 僕はなるべく小声で話しかけた。

「来週、羽祓いの儀をやるから」

「私は覚悟をしてる」

 毅然とした応えだった。

 冷淡な声色は僕が知っている空神美羽だ。

 空神は椅子から立ち上がり、机の上に置いてあった鞄を取って屈服させられるような視線を僕に向けてきた。目を反らさず対抗するも気圧されてしまいそうだ。その視線の攻防を仲裁するように日野さんが話しかけてくる。

「美羽。私は、あなたを生かす為に覚悟を決めたの。何もしないなんて嫌」

「桜も知ってるのね。それで碧に協力するの? あなたが恩に感じる事なんてないのに。それに失敗した事も知ってるんでしょ?」

 責めるように日野さんに詰め寄る。

 僕は日野さんを庇うように割って入った。

「今度は成功させる」

 その言葉を言った瞬間、視界が真っ暗になった。そして痛みが顔面に広がって腰にも痛みが走った。羽が詰み取られた衝撃かと思ったけど、普通に殴られて尻餅をついただけだ。

 何が彼女の怒りを買ったのか直ぐには分からなかったが、分かるような気がした。日野さん達を巻き込んだ事だろう。

 けれどまさかぐーで顔面を殴られるとは思わなかった。


 結構な鼻血が出ていて、日野さんが僕の鼻血を拭いてくれている。

 空神は情けない僕を見下したあと、何事も無かったように教室を出て行った。

「断られちゃったね」

「これは、やるなら勝手にやれって事だよ」

「そうなの?」

「だってやるなって言われてないし、僕の羽が詰み取られてないから」

 殴られて嬉しい訳はないけれど、言葉で断られていない。怒りと言うより、呆れだろうか。却って喝が入った。

 教室内にはまだ数人の生徒が残ってこの出来事を目撃していた。

 どういう噂が立つのか……。儀式の心配より、そっちの方が怖くなった。




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