五、禍津日神の巫女

五、禍津日神の巫女


 空神が退院してから一週間ほど経った。

 君島さんと日野さんは、普段通り空神に接してくれている。総一は空神に遠慮する……と言うよりも、あっちこっちの女の子に声を掛けるのを控えるようになった。早く日野さんと付き合えばいいのに。

 純は空神に対しての疑いは晴れたには晴れたが、距離を置いている。あの距離感は変わっていない。やはり父が儀式で亡くなった事がまだ納得できていないからだろうか。

 僕も気になる。空神のお母さんを助けたいと思っていた鬼無里さんも、何か助けられる方法が無ければ動きようがなかったはずだし、失敗しなければ命を落とすこともなかったからだ。

 そんなわけで僕は、鬼無里さんに当時の事を聞く為、再び会いに行く途中だ。

 待ち合わせ場所は白羽駅前のベンチ。十分前に着いた僕より先に鬼無里さんは既に到着していた。羽は相変わらずくたびれてぼろぼろなのに、少し輝きが戻ったような感じもする。

 挨拶を簡単に済ませて、近くの喫茶店に入った。

 最初に口を開いたのは鬼無里さんだ。

「あれからどうだい」

「変わらないです。空神も羽を隠して、見せてはくれないし」

「羽……隠せたりも出来るんだね。見えるのに見せてはくれないか。羽が見えない人も心を隠したりするんだから、それと同じなのかな」

 見えない者からの皮肉だったのだろうか。空神家の人間でも見えない人が居るのに、部外者の僕が見える事への。

 作り笑いで誤魔化しながら儀式の事を聞く。

「早速ですが、十年前の儀式の事について詳しく教えてください」

「……羽祓いの儀と言うのを行ったんだ。鴛鴦神社に祈り羽が奉られているのは知っているかい?」

「……いえ」

 羽見の儀式の時に空神が使っていたのを思い出したが、覗き見ていたので知らない事にした。

「祈り羽は羽見の儀式の時に用いられる物なんだが、羽祓いの儀の時にも用いる。神饌のなかで鳥の命を生贄として祭壇に捧げて祈り羽を翳し、祓言葉を唱える。善良な魂、穢れの無い羽として鳥の命が必要だったのだろう」

「そんなに簡単な事なのにどうして失敗してしまったんですか?」

「分からない。何かが足らなかったのだろう」

「何かって……」

「単純に生贄にした鳥の命が足らなかったのか。手順を間違えたのか。その結果真さんが犠牲になり、姉さんは心を失ってしまった。そして美羽に羽を摘む力が宿ってしまった」

 鬼無里さんの羽がしおしおになっていく。

 生来自分を責めてしまう性質なのだろう。だけど今落ち込まれても困る。鬼無里さんには耐えてもらって、過去の事を聞き出さないと。

「生贄にする鳥の種類が違うとか?」

「種類に関しての記述は無かった。ただ羽と書かれていたから鴛鴦神社に謂れがあるので鴛鴦を捧げた」

「鴛鴦。人の羽じゃなく……」

 言葉にして後悔した。それは命を捧げるのと同義だ。

「試すには恐ろしすぎた。そもそも僕には人の羽が見えない」

「そうですね。ただ、結果として切浄の儀は一時的にでも回避は出来ています。となると鴛鴦でも効果があったんじゃ……」

「馬鹿な。真が死んだという事は、鴛鴦では意味が無かったという事だ。君が言った人の羽が生贄には必要だと言う事を示しているだろう。当時はこの呪われた切浄の儀も羽祓いの儀で終わりに出来ると期待したりもしたんだが」

 下手に希望的な事を言ってイラつかせてしまった。僕もちゃんと向き合わないと。

「亡くなったのは何故真さんだったのでしょう」

「ああ。何故僕ではないのかと思ったよ」

「どうして真さんはその場に?」

「儀式の前にやるべき事は多かった。空神家の人達に気づかれないように姉さんを連れ出して、鴛鴦神社の人達に気づかれないように祈り羽を拝借する。そして、鴛鴦。ああ、切浄の儀で使われる太刀も必要だった」

「太刀?」

 儀式と呼ばれるものは何事も手順や祭具が大切なのだろう。どんな意味があるのか分からないけど、問題なのはやはり真さんの命。即ち羽が関係している。かろうじて空神美羽のお母さんの命が助かっているのにも理由があるはず。単純に『羽』が足りなかったから――なのか?

「鴛鴦神社の御神体は太刀なんだ。瑠璃羽と言う号がついていて美しい太刀だ」

「鴛鴦が神使で、御神体が太刀? 鴛鴦なのに太刀で断つなんて縁起が悪いような気もしますね」

「神主さん曰く、空を穢す妖を切ったと言う伝説があって、その中に悲恋の話があったから太刀と鴛鴦なんだそうだ。そういう縁を守る為の太刀なのだよ」

「へぇ……。なんだか面白い話ですね。太刀にそういう力があるのなら羽に干渉する力があるのかも知れない」

「と言うと?」

「鳥に羽はあるけれど、なんて言うか、魂というか、人の意識の色をした羽は鳥には無いし、人の羽は触れることが出来ません。けれど、空神家で力を持ってる人は摘みとることが出来る。じゃあ切浄の儀で必要な太刀は、空神の力と同じように羽を摘み取れるのかもしれない。じゃないと空神の力で摘み取った羽を誰も空へ還せなくなる。だから羽祓いの儀で真さんの羽がその太刀によって摘み取られたんじゃないでしょうか」

 鬼無里さんが小さく笑った。

「真の羽が太刀に摘まれたのは、太刀が僕より綺麗な羽を選んだから?」

「あ、いやそういう風に言ったわけでは」

「はは、気にしなくていいよ。僕の羽は、君の眼にはどう写っている?」

「えっと、ちょっとくたびれてます」

 正直に答えたら笑ってくれた。

「僕の羽も一緒に摘んで姉さんを助けてくれれば良かったのにね。人以外にはそういう羽は見えないのか……」

「はい。鳥の羽はそのままです。見える羽は人だけ。動物とかは見えません。亡くなった人の羽はうっすらと消えて見えなくなります。だからきっと生きている人の羽じゃないとダメなんです。穢れの無い羽を持った純のお父さんが犠牲になった」

「人の羽を……」

 鬼無里さんがその先を言おうとして口をつぐんだ。恐らくこう言おうとしたのだろう。

――もっと捧げれば助けられたかも知れない。

 だが真さんは鬼無里さんにとって信頼出来る人の筈。そうじゃなければ助けを求めたりしない。自分がそう考えてしまった愚かさを呪うように机に置いていた手を握りしめた。

 そんな鬼無里さんの羽を見てふと気がついた。あのやつれた感じは、ひょっとしたら鬼無里さんの羽も影響を受けていたんじゃないか?

 業を纏った空神の羽を空へ還す際、正常な人達の羽を犠牲にすれば命は助かるのかもしれない。現に真さんは亡くなってしまったが、空神のお母さんは、意識は無いものの生きている。羽祓いの儀で必要になる羽が多いとその家族から恨まれるし、本人の知り合いなら尚更つらくなるだろう。空神家の人間一人が背負わせる敢えて切浄の儀を選んでいる?

 鬼無里さんが大きく溜息をついた

「……空の神様への誤魔化しが通用するものかと戒められたのかも知れないな」

 神様……。その言葉は万能だ。良い事も悪い事も全て神様のせいに出来る。だけど神様自身が空神家を苦しめている。何百年もその血を分かつ者達のみを。

 神の力の一部を貸し与えられたとしても、少ししか生きられなくなるなら、僕はそんな力要らない。

 身勝手な神様だ。

「空神家が途絶えたらどうなるんですか」

「血筋の者が犠牲になるだけだ」

「それらも全部」

「わからない。想像がつかない。当時、儀式の失敗で空が荒れに荒れた。もしかしたら、空が落ちてきて、この世が終わってしまうかもね」

 冗談めいた口調だが、実際そんな事になったらたまったものではない。

 血筋の者を途絶えさせてはならないと、空の神様も分かっている? 空神美羽に子供はいない。兄弟姉妹が居るのかは分からない。居ないまま切浄の儀を迎えれば本家は途絶える。切浄の儀があるから空の神様は怒らない。怒らせない為に空神家の血筋の誰かが犠牲になる。歴史が長い家だ。空神美羽が本家じゃない可能性だってある。そう考えると一体どこまで分家があるのだろうか。

 「空神家だけが犠牲になるなんて酷い話です。いっそ大昔に空の神様が滅ぼしてたらこんな事にはならなかったのに。ご先祖は未来の子孫の苦労なんて知りえないでしょうね」

 少し考え込んでから鬼無里さんが話す。

「儀式については、君のお父さん。蒼太さんにいろいろ調べてもらったから、聞いてみてはどうだろうか。僕に教えてもらったこと以外にも、何か新しい事実が見つかったりしたかもしれない」

「父に?」

 意外だった。僕の父まで関わっていたなんて。

「もしかして、子供の頃引っ越してきた時、父の事を知ったうえで僕に?」

「いや、知ったのはその後だよ。そもそも最初は君から美羽に話しかけて来たんだよ。覚えていないかい?」

 まったく覚えていない。四歳ぐらいだと記憶も曖昧だ。曖昧……。

――当時、儀式の失敗で空が荒れに荒れた……

 なんだろう。空が荒れた風景が脳裏に浮かんだ瞬間軽い頭痛がした。

「ただ、那由崎という苗字が珍しくてね。本も出していただろ? ペンネームかと思ったんだが、調べてみると本名で、思い切って尋ねてみた。それで何か知恵が借りられないか相談してみたんだ」

「それで、父は?」

「今まで聞いたことが無い話だと言って、満面の笑みを浮かべて熱心に聞いてくれたよ。それで儀式の概要を調べてくれた。ただ、成功するかどうかはわからないと……」

 当時の鬼無里さんが父の好奇心で困ったような笑顔をしていた事が容易に想像できる。父は、興味を持ったものには飽きるまでのめり込んだりする。相手の気持ちを考えずに質問攻めにしたりしたんだろうな。

「……父らしいです」

「気さくで話しやすい人だね。だけど、口外しないで欲しいとお願いした」

「当然だと思います。ああ見えて口は堅い方だと思いますよ。家族にも話してないですし」

「よし、家まで送ろう。ここで答えの無い問答をしていても仕様が無いだろう。那由崎君は美羽を救うために僕の失敗を糧にしてくれ」

 そう言われても素直に頷く事は出来なかった。


 自宅に帰った僕は、長らく入っていなかった父の書斎に入る事にした。

 六畳よりは大きい筈なのに、天井まである本棚が壁にあり、塔の様に積まれた本などがあって狭っ苦しい。本自体に愛着はないみたいで、日に焼けた本とか破けたりしてる本もたくさんある。本にはいくつもの付箋が挟んであって色鮮やかだ。色ごとに何か意味があったりするのだろうか。

 正面の窓の横に机がある。その上にノートパソコンが起動しっぱなしで置いてあった。

 今でも農作業の傍らに原稿は書いている。スクリーンセーバーを解除して開きっぱなしのファイルを覗きこむ。地域の伝説と気象に関する繋がりについてらしい。少し関係あるかと思ったが、他県の知らない地名の水害についてだった。

「とにかく空羽村に関する事……」

 当たり前かもしれないけれど、何処にどんなファイルがあるか分からない。鬼無里さんに口外しないでくれと頼まれたんだから、流石にパソコンの中に入れとかないか。

 パソコンから離れて本棚を見上げる。

 本以外にも調べた事を纏めたノートや資料が無造作に押し込められている。この中から探すのには嫌気がさした。

 仕方ないと割り切って上の方から探し始めた時、部屋のドアが開いた。

「お、びっくりした。なんか調べものでもあったか」

 父は農作業を終えて直ぐだったのか服が汚れたままだ。籠って書き物をしている時よりかは健康的で良いと思う。

「勝手に入ってごめん。ちょっと空羽村について」

 父の表情が厳しくなった。秘密に関わる事だからだろう。直ぐに唯の興味本位ではない事を伝えた。

「鬼無里さんに言われて」

 父の表情が少しゆるむ。情報の漏洩には気を付けているのだろうけど、だったらパソコンにパスワードぐらい設定しておいてほしい。

「そうか。鬼無里さんが許可したのなら構わない。てことは、羽祓いの儀についてか」

「うん」

「ちょっと居間で待ってろ。着替えて資料を持ってくから、あまり本棚を漁るんじゃない」

 そう言うと、父は僕の背中を押して部屋から追い出した。


 居間のソファーに腰かけて鬼無里さんから聞いた儀式の事を思い出す。切浄の儀も羽祓いの儀もどんな感じに執り行うのか。僕が儀式と呼べるものを実際に見たのは羽見の儀式ぐらいだ。覗き見しただけだけど。

 本来羽見の儀式だって公開してるのは村人だけだし、儀式が始まる前の舞は非公開だ。あの時見ていなければこんな風に熱心に調べたりしなかったのかな。

 あれより前に儀式を見て逃げ出した事があっただろうか。なぜかその頃の事を思い出そうとすると軽い頭痛がする。

 なんなのだろうと思っていると、父が居間へ入ってきた。

 沢山の資料を持ってくるのかと思ったら、A4のファイル一冊とB5のノート一冊。神様の本と陰陽師の本。妖怪の本。三冊のみである。

 父はその中のB5のノートに指を置いた。

「さて……と。どう話せばいいのやら」

「じゃあ、羽祓いの儀について。なぜ失敗したのか。どうやれば成功するのか」

「何故……か。結果は聞いている。何故失敗したのかはわからないし、成功する方法ももちろんわからない。希崎さんが亡くなった事は残念でならない」

「父さんは、やっぱり鳥の命じゃ駄目だったって思う?」

「やっぱりってなんだ。結果論だろう。けどまぁ、どうしてその儀式に至ったかぐらいは説明できる。まずは、鴛鴦神社の縁起についてから」

「そこから?」

 父はノートの最初の方のページを開き、その後A4のファイルを数頁捲った。ノートを覗くと細かい字で隙間なく書かれている。

「鴛鴦神社の建立は治承・寿永の乱、源平合戦の頃より少し前だと思われる。正確には分からないが太刀が奉納されたという記録は残っていた。治承三年六月三十日。旧暦だから、新暦で言うと7月末頃か」

「それって……」

「切浄の儀とおおよそ被るな。建立してすぐ奉納されたかは分からないが、神社はそれよりは前には建てられていただろう」

 父は次に妖怪の本を開いて説明する。

「空亡(そらなき)と言う妖怪について知っているか」

 僕は首を横に降る。

「百鬼夜行の終わりに出現する黒煙を纏った太陽の様なモノ。これはそれを妖怪に見立てたら、という考えによって妖怪かどうかで解釈が分かれていたりするのだけど、空亡を斬ったというおとぎ話が羽喰小学校の資料室に保管してあった。いや、空亡とハッキリ書かれている訳ではないが、特徴からそのようなモノが空亡に当てはまる。そしてそのおとぎ話に因れば、その妖は人を喰うそうだ」

「人を喰う……。それじゃあその人食い妖怪を退治して終わり。めでたしめでたしだったんじゃないの?」

「めでたしと言うよりは悲しいお話だ。最終的に空亡を斬ることは出来ず、巫女さんが妖を自ら取り込み、巫女もろとも空亡を斬ったと言う結末だ」

「巫女もろとも……」

「その空亡を鴛鴦神社に奉って空の神として神格化し、巫女の家系が空神と名乗って子々孫々神社を守って今に至る」

「巫女もろとも切る意味が分からない」

 父はファイルを数頁捲って、巫女について纏められた文を指さす。

「禍津日神と言う神様がいる」

 父は僕に知っているかどうか尋ねず、知らない事を前提として話してくれる。

「神産みで、黄泉から帰ったイザナギが禊を行い、黄泉の穢れを祓ったときに生まれた神様だ」

 神様の本も開いて禍津日神の頁を開いて指さす。

「当時の巫女さんが、その神様の力を使ったわけ?」

「ふむ。巫女は神社で奉職している人だけじゃない。憑依によって神様から神託を賜わったりする口寄せ巫女と呼ばれる人達もいる。青森県恐山でイタコと呼ばれたりする人も巫女だし、梓巫女と言って各地を巡り、お祓いや祈祷をしていた巫女も居る。舞で神を憑依させたりする白拍子も巫女だろう。こういう自らの肉体に神を憑依させる巫女を口寄せ巫女と呼ぶ。空神家は今でこそ神社巫女として鴛鴦神社の祭事に関わっているが、昔は神様の力を借りてお祓いをしていた口寄せ巫女の部類と思われる」

「どうしてそう思うの?」

「空神家の巫女は、羽見の儀式の際、舞を奉納するそうだ。神楽にもいろいろある。鬼無里さんから聞くに、鴛鴦神社で奉納する舞は、白拍子の舞から来ているらしい。白拍子は舞で神様を降霊させる術に長けている。その技量を買われ貴族の所へ私的に出入りしたり出来る人も居たんだ。静御前とかがそうだ。羽喰中学校の羽喰と言うのはこの地を治めてた豪族の名から来ている。巫女は各地を巡っているわけだから、この地に行き着いた時にその豪族に取り入ったのが最初だと考える」

「空亡を退治するために、禍津日神様を舞で憑依させたとか、そういう事?」

「空神家の力はそういう物なのだろう。その力で空亡ごと穢れを自らの肉体に取り込み、浄化を図ろうとした」

「そして失敗した」

「禍津日神様は穢れから生まれた神様だ。もしかしたら空亡と相性が悪かったりしたのかも知れないが、その時どうして失敗したのか、そもそもなぜ禍津日神様の力を使ったのかもわからない。父さん達が住んでる白羽町では、空神家の巫女の事を禍津日神の巫女とも呼ぶ人もいた。忌むべきものとしてな。その力が今にも遺伝して伝えられている。やはり禍津日神様の力は遠ざけたいものなのかもな」

「禍津日神様の力を使っても祓えなかったから斬られちゃったって事なの?」

「それが後に切浄の儀となる。空亡を神として奉ったとさっき言ったが、封印と言う形が近いのかも知れない。空亡を出現させないための儀式がそれだ」

「人の業を空に還すって言うのは、空亡に一定量命を喰わせて、この世に天変地異を起こさせない為……。人から業を摘み取る為に禍津日神様の力が必要だった?」

「業と呼ぶのはあくまでも人の善くない部分だからだろう。空亡自体は穢れなのだ。穢れは死や病、不浄な事柄。そして、その巫女を斬った人も重要な役割を果たしていた」

「斬った人……」

「巫女はその時亡くなっているが、斬った人はその後生き残っていて、僅かな記録を残している。そこは昔話には無い」

「記録?」

 父が記録を写したであろう紙がノートに張り付けてある。

 崩し字で書かれていて、僕にはさっぱり読めない。

「これが羽祓いの儀の参考にさせてもらった方法だ。記録と言っても太刀に関する事と当時の世情を少し書き残していただけなんだけどな。その斬った人と言うのは太刀に銘がある蒼焔と言う人だ。当時は戦などの争いが激しく、荒んだ人の心が生み出したのが空亡だろうと書かれている。もちろん空亡と記述があるわけじゃなく、空の淀みや天変地異を巻き起こす類のモノと。そういう化け物じみた妖を斬る為に自ら作刀し、この地の水で清めたと書かれていた」

 鬼無里さんに聞いた瑠璃羽と言う号が付いている太刀。

「太刀で祓う方法をとっていたので、この人はヤミ陰陽師ではないかと思った」

「ヤミ陰陽師?」

「正式な官吏につかず。私的に貴族らと結びつき、彼らの吉凶を占ったり災害を祓うために密かに儀式を執り行ったりした連中の事をそう呼ぶ」

「へぇ……。その巫女と陰陽師のお二方が羽喰氏にとりいったと」

「刀を使ったお祓いの方法はある。この蒼焔さんのやり方は、祓言葉と禹歩という歩行の呪術。だがそれだけで祓う事は出来なかったようで、一羽の力を借りたとある。巫女の名前だろう。その事を酷く後悔していたらしく、自責の念を綴っている」

「巫女を斬ってしまった事への?」

「蒼焔さんだってなんとか斬らずに済む方法は考えていたからこそ責任を感じていたんだろう。ただ、空亡が無差別に人を喰らっていくのは何としても止めなければならなかった」

「なるほど。切浄の儀の始まりは分かったけど、羽祓いの儀は?」

 父がノートの最後の方のページを開いた。

「羽祓いの儀は、やり方としては切浄の儀と然程変わらない。何代目かわからないが鴛鴦神社の神主の記録の中にあった。この神主さんは禍津日神の力を宿す巫女に見える羽に注目していた」

「羽……」

「結果を言うと、羽祓いの儀は当時も成功しなかった。その後慣例に従って切浄の儀を行い、以来羽祓いの儀が行われた試しはない。鬼無里さんが行うまでは」

 当時の人も失敗して断念した儀式。鬼無里さんも試みて失敗した。それをまた僕がやろうとしている。

「巫女の命の代りになる羽とは何かと考えて、神饌に鳥を選んだわけなのだが……結果は、そういう事だ」

 父さんは失敗する事をわかっていたのかも知れない。

 空亡が何を欲するのか知っているし。知っているからこそ避けたように思える。鬼無里さんが殺人者になるのを防ぐ為に。けれど希崎さんは犠牲になってしまった。

 鬼無里さんが許可したから僕に話してくれているけど、父さんは希崎さんのような死者が今回も出るならば、鬼無里さんが許可したからと言って僕に教える訳はない。

「退魔のプロフェッショナルみたいな人が関わっても出来なかったのに僕が成功させることが出来るのかな」

「成功させる見当はついているんじゃないか?」

 僕が鬼無里さんに訊きに行き、ある程度憶測を立ててから書斎に入って調べ事をしていたと父さんは思っている。父さんは空神美羽が何の為に引っ越したのかも知っているだろうし、その力がどういう物なのかも知っていて当然だ。

「お前に羽が見えるのも不思議な話だ。もしかしたら蒼焔さんの血を引き継いで居たりしてな」

「僕がそうなら父さんだってそうでしょ」

「俺に人の羽は見えないよ」

 父さんは本とノートを閉じた。そして、ノートの方を僕に差し出した。

「貸してやる。大したことは書かれてないさ。人知を超えた力。世界中どこの神様だってそういう力を行使する神話はある。大抵人は成す術が無いが、対処法を調べられる事が出来るだけマシだろう」

 差し出されるがままに受け取ってしまったが、不安が込み上げてきた。新しい事実や明確な方法は無い。けれどたぶん、僕が考えてる事が、父さんが一番成功するだろうと思っていた仮説に近いのだろう。

 僕の不安な表情を見て父さんが言った。

「おまえは死なないよ。羽が見えるんだから」

「そんな無茶な……」

 絶望してる所に明るい声が「ただいま」と玄関で響いた。母が帰ってきたようだ。

 父は明確な回答はせず、話しは終えたと言う風にソファーに深く体を預けた。

 居間の扉が開いて母が入って来た。

「なぁに。珍しいわねぇ。二人で悪だくみでもしてるの」

「悪だくみなんてしてないよ。な?」

「そうそう」

 父は本を纏めて横のソファーに置き、僕は父に借りたノートを隠すように脇に置いた

「そうですか。だったら怖い顔して話してないで、お茶でも用意して楽しく話してたらいいのに」

 母はそういうとキッチンの方へ行ってお茶の用意をしてくれた。

「そういえば碧、美羽ちゃんに会ったわよ。すっかり綺麗になっちゃったわねぇ。付き合ってるの?」

「いや、母さん、いきなりそれは……」

「小学校の頃仲良かったじゃない」

「そうなのか碧? だからそんなに熱心なのか。なるほどな」

「……」

 僕の意見は聞いてくれないけど、こういう呑気な会話ができる事は幸福だと思う。命が犠牲になる空神家の呪縛から彼女を解放できるなら……。

 母が淹れてくれた紅茶を飲みながら深く息を付いた。



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