三、善の羽、悪の羽

三、善の羽、悪の羽


『悪』と言うと、他人を殴ったり、他人を騙したり、他人の物を盗んだり、貶めたり……。そういう他人に対して不利益になるような事を言うのが普通だろう。

昔は、悪という言葉にそう言う意味はなくて、勇猛だとか力が強いとか、そういう言う意味で使われていたそうだ。

羽を見ていても、その言葉通りの意味ではないことが分かる。悪い行動をしたからといって、その羽が悪という色や形に淀むことはない。羽が見える僕にとって、そこら辺は厄介だ。現実の犯罪と羽の色や形は一致しない。

中学の頃、盗みをしていた生徒を見つけたことがある。だけどそいつの羽には淀みはあったけど、僕の羽基準では善い人になる。先生に報せるべきなのだが、僕は見なかったことにした。

後で話を聞いた話だと、その生徒は誰かに命令されてやっていたことが分かった。テレビに映っている犯罪者とかもそういう感じの羽は、少なからず見かける。

他人から命令されたりしていると、その人の精神の徳みたいなものが悪ではなければ、羽はそれなりに綺麗なのだ。

つまり、人の社会で善だと思われている行為は、必ずしも羽の色彩や形で悪を証明しないという事だ。


 昨日空神が日野さんを助けた行為は善なのだろうか。空神の羽は見えないから分からないけど、永田先生の羽は、見た通りの悪だった。

被害届は日野さんが出し、犯人死亡のまま書類送検されたとかなんとか……。朝に杉浦先生からそう聞かされた。恐らく先生は一睡もしていないと思われる。日野さんは、今日は自宅で休んでいるそうだ。


 空神には羽を見る能力と、少し先の未来が見える能力がある。あの時、僕らが来た時点では未来は変わらなかったのだろうか。それとも、もっと悲惨な未来になってしまっていたのか。

羽を見ることが出来る人は、世界にはどれくらいいるのだろう。未来が見える人はどれくらいいるのだろう。

見える人が限られているのは何故だろう。

「おいっ!」

 呆っと考えていたら、純に怒られてしまった。

 そう。今僕は、放課後のパソコン室で昨日の出来事を純に説明している途中だった。

 純は一日休んだだけで登校してきた。だからまだ具合は悪そうだ。

昨夜空羽村で、空神家周辺が慌ただしかったらしく、悪い予感がして無理して学校へ来たそうだ。そしたら案の定、昨日の出来事が起こってしまっていた訳だ。

 この場には総一と君嶋さんにも来てもらっている。

 君嶋さんは羽が見えるとか、そう言う話にはハテナマークを浮かべているような表情だったが、永田先生が日野さんにした犯行は理解し、怒りの感情を露わにしている。

 総一は、僕の話を信じようとしているものの、いまいち納得がいかないようだ。

「わからねぇ。そんなんで人を殺しちまえるもんなのか。確かにみうちゃんのおかげで桜は助かったけどよ。そのまま入院しちまったじゃねーか」

「力を使うのは身体に負担が掛かるみたいだったよ」

 入院については杉浦先生から今朝聞いたけど、昨日の空神の様子は酷く、死んでしまいそうな感じだった。だから入院するのも当然だろう。

「今度みんなでお見舞いに行こうよ」

「無駄さ」

 君嶋さんのせっかくの提案を純が遮る。少し諦めた感じでその先を続けた。

「どうせ空神家の人間が会わせてくれない。空神がやったと思われる事件も空神家の人間が隠蔽している。こういうのには関わらないほうが良い」

「希崎はやけに詳しいな」

 総一が脅すような感じでつっかかる。

「纏めてあるから見てみな」

 純がパソコンのディスプレイを顎で差した。前見た時より整えられて表示されている。

 総一は純が座っている椅子を押しのけるようにディスプレイを見る。

どうも総一は純の事があまり好きではないようだ。純も総一の事は気に入らないと言っていた。ただ、羽を見ても言うほど嫌ってはいないようなので、仲を取り繕うようなことは言わない。

 純が椅子の背もたれに力をあずけて、独り言のように呟く。

「空羽村に居る奴らはだいたい知ってるさ。ただ、『羽を摘むと人が死ぬ』ことは最近まで知らなかったけどな。もっと物理的な方法で犯行を犯してると思っていた」

 君嶋さんは、純が『空神がした事』を『犯行』と言ってしまった事にむっとしたようだ。いや、咎めようとしたのかもしれない。羽が純に対して疑うように変化している。君嶋さんは、昨日の空神の様子からはそんな事はしない人だと信じているのだ。

でも僕は、純のそういう正確に計れる所は信頼出来ると思っている。調べた上で言葉を発しているからだ。それに、本人から直接聞いたのは僕だし。

「純はどうして空神の事を調べてたんだ?」

「父の死因が納得出来なかったからだ」

 それを聞いて君嶋さんの羽はしゅんとなってしまった。総一は純を一瞥してからディスプレイに向き直った。

 小さい頃、純のお父さんのお葬式には僕も参列した。

「死因は事故だったって聞いてたけど」

「父は……羽見の儀式について調べていた。何でかは知らない。それに、死んだ状況について誰も詳しく教えてくれなかった。空神家は葬式の事とか墓の事とか、いろいろ面倒をみてくれたんだが、それがなんだかな。なんだか、疑わしかったんだ」

 純は自分の行動理念を確認するように喋る。

「そう言えばその頃か。パソコンに興味を持つようになったのは……」

「調べる術がそれぐらいしか無かったんだよ。誰に訊いても答えてはくれないし、死因に結びつくような証拠も無かった。ただ情報に縋っていただけだったのかもな」

総一がディスプレイから顔を話して、小さく息を吐く。

「希崎は、空神家自体を疑ってるだけで、別に空神に対してどうこうしたい訳じゃないんだろ?」

「真実が知りたいだけだ。だからって、それに関わっているかもしれない人物と慣れ合ってどうする」

 もっともだけど、反論したい部分があった。

「なぁ純。空神は何か知っているかもしれないけれど、純のお父さんに能力は絶対に使ってない」

「どうしてだ?」

「純のお父さんは、悪い人じゃないから」

 空神は無差別に能力を使っていない。それだけは分かる。

 沈黙が流れた後、総一が口を開いた。

「ま、空神家のことなんて、この際どうでもいい。俺はとにかくみうちゃんに礼を言いに行くだけだ」

「じゃあ、今週の日曜日。みんなで行くからね」

 君嶋さんは、か弱い声に似合わず強引に話を纏めた。純の忠告を無視する形になってしまったが、純が何も言わないので承諾したと言うことだろう。


 日曜日の午前中。穏やかな日差しが白羽中央公園を包み込んでいる。

 僕はベンチに座って、犬の散歩をしている老人や、子供連れの親子。ローラースケートで遊ぶ少年達が行き交っているのをぼんやり眺めていた。

「早く来過ぎたかな……」

 時計を見ると、十一時少し前だ。僕は約束の時間の三十分前には来ていた。特にやることもなく、待つのも苦じゃないから。

 待ち合わせの場所と時間が決まったのは、僕がみんなに羽の事を話した次の日。君嶋さんからメールが来た。

――せっかくだからお昼みんなで食べよう。

と、書かれていた。

 のんきなものだと思ったけど、考えてみれば友達と外でご飯を食べるなんてことは、今までなかった。

 総一と日野さんは寮だし、純は空羽村方面で白羽町の中心街とは反対側だし、ファミレス類のものは、村に無い。

「ぺーき!」

「いてっ」

 後ろから頭をはたかれた。振り向くと総一が笑っている。

「老人みてぇ~にぼーっとしてるなよ」

「老人はないだろ。お年寄りに失礼だ」

 総一の後ろから日野さんが控えめに出てきた。お見舞いの花を持っている。その花の晴れやかさとは反対に笑顔を取り繕うとしているのが痛々しい。どれほどの恐怖だったかは本人にしかわからない。心がきしきしと痛む。

「那由崎。この前はありがと」

「え。いや、お礼なんて……。全部空神のおかげだし」

「ったく。桜はもう少し周囲に気をつけとけよな。空神が居なかったらと思うとぞっとするぜ」

「ごめん」

「だぁーもう。調子でねぇだろ。しょげるなよ。今日は楽しんでこうぜ。せっかくの日曜なんだから」

「僕等お見舞いに行くんだけど……」

「わかってるよ!」

 総一は隣のベンチにどかっと座り、少し笑顔になった日野さんが総一の横に座る。

 二人並ぶと、羽が実に綺麗なグラデーションになる。見ていて飽きない。

 眺めていると、総一に少し睨まれた。羽が見えなくても見られているのを良しとはしない。誰だって内面を覗かれたくないんだから当たり前か。

 日野さんは当事者だから、羽の事を伝えないわけにはいかない。総一に頼んでおいたからきっと伝え聞いているだろう。


十一時丁度に純が来て。十分遅れで君嶋さんが到着した。

君嶋さんはお見舞いの品を選んでいて遅れてしまったそうだ。むしろ手ぶらで向かおうとしていた男共の気遣いの無さに情けなくなってしまう。

 それにしても女の子の私服はお洒落だ。総一も意図して服に気をつけてるわけじゃなさそうだけど、雑誌にありそうな服を違和感なく着こなしている。それに比べて僕と純は……少しもっさい感じかな。まぁ、人は服じゃなくて羽で決まるし。


 白羽中央病院は公園から駅に向かって十分ほど歩けば辿り着く。ドクターヘリがあったりで、とても大きな病院だ。

 見上げると空に届きそうなぐらい高い。

 二重になっている入り口の自動ドアを潜ると、豪華なエントランスが広がっている。まるでホテルだ。

「広いね。お見舞いの人はどうすればいいのかな」

 君嶋さんが先頭に立って受付へ向かう。学校だとおどおどした感じなのに、こういう時は皆を引っ張っていくタイプなのかな。

「あの、お見舞いなんですけど……」

「はい。患者さんのお名前は?」

「空神美羽さんです」

 受付の人は、横にあったパソコンで名前を打ち込んで調べている。

「あ、この方は面会が許可されていません。ごめんなさいね。お見舞いの品は渡しておきますので」

 受付の人の対応に、羽をしゅんとさせた君島さんと日野さん。やっぱりという感じの羽の色をさせている純。総一は、「なんでだよ!」というような色を滲ませている。もしかしたら本当に症状が重いのだろうか。

仕方なく君嶋さんと日野さんが受付の人にお見舞いの品を渡そうとした時、横から声を掛けられた。

その人は背広を着た三十前後の男性だ。笑顔は穏やかなのに、少し頬がこけてやつれているように見える。羽は、綺麗な色なのに所々ほつれてくたびれている。苦労が滲み出ているようだ。

「あの、すみません。今、空神美羽と聞こえたのですが、美羽のお友達ですか?」

 君島さんが無言で頷く。

「僕は鬼無里静羽。美羽の叔父です。大丈夫ですよ。面会」

 それを聞いて皆の羽が明るくなったが、受付の人は慌てている。

「えっ? その……。困ります」

「身内でもダメですか?」

「はい……」

「じゃあ、院長先生に僕の名を告げて頂ければ大丈夫ですので」

 そう言うと鬼無里静羽と名乗った空神の叔父は、懐から名刺を取り出して受付の人に渡した。

 受付の人は少し疑わしそうに奥の方へ行って内線を掛けている。

 この人は一体院長とどういう繋がりがあるのだろうか。やっぱり空神家の関係者だから? でも、苗字が違うという事は、空神家の人間ではない。婿養子にでもなったのだろうか。

 しばらくして受付の人が戻ってきた。

「確認が取れました。大丈夫だということなので、こちらの用紙に記入して、これを胸に付けて下さい」

 渡されたのは面会カード。大きい病院には大抵あると思う。これがなければ不審者扱いされてしまうのが今の時代。ほとんどの人が気にしないだろうけど、僕はこういう名札や腕章みたいな、目印みたいなのを付けるのがあまり好きではない。なんとなく羽ばたきが邪魔される気分になるからだ。

「それじゃ行こうか」

僕ら五人でわらわらと鬼無里さんに付いて行く。


 エレベーターは大型で、六人入っても余裕だ。大きい病院は何もかも大きい。

エレベーター内では鬼無里さんが「美羽にもうこんなに友達がいるとはね」と、安堵した感じで笑っている。転校したばかりで孤立してるんじゃないかと思っていたそうだ。流石に事件の事は話さない。

 エレベーターの扉が開くと、空の景色が広がった。最上階に近いからだろうか。下から見上げるより、上から見下ろす方が高く感じる。

 空の道を歩いているような廊下を歩く。そして、その先の角部屋にあたる病室の前で、堅気ではないような風貌の人が二人、ドアの前に立っていた。

 これは怖い。

 鬼無里さんはその二人が居ないものと振る舞って、ドアをノックする。両脇の二人も無言でドアから少し離れた。

「どうぞ」

 と、中から空神の声が聞こえてきた。鬼無里さんが扉を開けて僕らを中へ誘う。堅気ではないような人と目を会せないように素早く中へ入った。


 病室は広い個室で、窓が前面に広がっている。その手前にベッドが置かれていて、空神が上半身を起こして笑顔で迎えてくれた。

「いらっしゃい」

「よかった。辿り着けて」

 君島さんが一番に空神の下へ駆け寄る。

「叔父さんが受付に通りかかってくれて助かったよ。うちの人が余計な事しなければ、もっとすんなり会えるのにね」

 空神家のやる事は昔からそうだというような感じで溜め息をつく。

「元気そうで安心した。面会できないとか言われたから。これ、お見舞いの品」

 君島さんがベッドの脇にある棚の上に花を置く。後ろに居た日野さんは、少し戸惑ってから空神にお見舞いの花を渡した。

 どう言葉を発したらいいのか考えている日野さんを気遣って、空神が先に優しく声を掛けた。

「桜、大丈夫?」

「うん……。助けてくれてありがとう」

「よかった。ほんとうに……」

 空神に手を握られた日野さんは、心から救われたように安堵している。

 空神の羽は見えない。けれど、外の眩しい日差しに照らされて、見えない羽が光っているように見える。慈愛に満ちた天使みたいだ。

「それはこっちの花瓶に活けておくね」

 君島さんは誰かのお見舞いに来たことでもあるのだろうか。なんだかとても手際が良く感じる。

 続けて総一が空神に話しかける。

「俺からも礼を言わせてくれ。桜を助けてくれてありがとな」

「まったくもう。手塚君と那由﨑君がもっとしっかりしてればこんなことにならなかったのに。情けないな」

「面目ねぇ」

「ごめん」

 僕と総一は頭を下げるしかない。本来空神が持つ力なんてあってはならないものなんだから、二人で助けなければならなかった。情けないという言葉が胸に刺さる。

 空神に対して何も言わないと思っていた純が、僕の前に出た。

「空神。俺の父が死んだのは、お前の能力のせいでか?」

「おい純!」

 なんでいきなり。

 純はもともとその事を聞くために付いてきたのか。お見舞いの話も純なら断りそうだから少し変だと思ったけど、こういう場で訊くことじゃないだろう。

僕の思いとは裏腹に、訊かれた空神は然程気にせず、遠くを見るように昔を思い出してから純の方へ向いた。

「私は知らないわ」 

 知らない? 否定ではなく、その事実自体を知らないのか? 

「そうか……。早く治って学校へ来れるといいな」

 気遣うフォローを入れても……。

学校では訊けないし、この場にいるみんなそうは思ってても純の唐突な発言には少し苛立ちを覚えてしまっている。鬼無里さんも羽の事はもちろん知っているだろうけど。

 ちらっと部屋の隅に居る鬼無里さんを見た。表情が青ざめている。聞かれた空神より鬼無里さんの方が動揺していた。

何か知っている。きっと羽の事じゃなく純の父親に関する事を。

「じゃ、じゃあ、そろそろ行こうかな。あんまり長いしちゃ悪いし……」

 僕はこの気まずくなった空気に耐えられなかった。

君島さんと日野さんは、仕方がないという表情だが、総一は純に対して一発ってやろうかとイライラを募らせている。訊いた純はさらっとした表情をしている。

 空神は短いため息をついてから笑顔になった。

「みんな、今日はありがとう。また学校でね」

 僕らが先に病室を出て、少ししてから鬼無里さんが出てきた。空神と何か話していたのだろう。 


 廊下を無言で歩く。

 病室には十分も居なかったはずなのに、一時間ぐらい経ったような時間の重さを感じた。。

鬼無里さんは思いつめた表情で考え事をしている。羽を見なくても表情がそのままだ。きっと正直な人なんだろう。

エレベーターを待っている間がとても長く感じる。到着した時の甲高い音が響いた時、鬼無里さんが少し驚いていた。

 下りのエレベーター内でも鬼無里さんの表情は青ざめたままだ。

「まさか君が、真の息子さんだったとは……」

「会ったことはあります」

「気が付かなくてすまなかった。それから君。那由埼君だったかな」

「え、僕?」

「美羽が小さい頃会っていたんだけど、覚えてないかな」

思い出した。そういえば僕らが二人で遊んでた時、少し離れて見ててくれた小父さんが居たのを。

「確か無風丘で。空神は今も変わらず無風丘で……」

 言いかけて止めたが遅かった。無風丘で空神と会ってた事は総一には黙っていたかったのに。総一の視線が痛い。

「あぁ……あれか。村の人からも不気味がられていたから、止めさせたかったんだけど、とうとう今の今まできてしまったよ」

 純は知っているだろうけど、他の三人は空神が無風丘で何をしていたかまでは分からないだろう。君島さんが知りたそうにしているけど、言うつもりはない。

 鬼無里さんは何かを話すきっかけを探しているように感じる。でもなかなか切り出せないでいるみたいだ。

深く話をする暇もなくエレベーターは一階に到着した。

そしてまだなにか迷っているような、思いつめたような感じで羽をゆらつかせ、ようやく病院の入り口を出たところで決心したようだ。

「よかったら、このあとお昼どうだい? 奢るよ」

「よろこんで!」

 総一がまってましたと言わんばかりに声を上げる。総一流の気の遣い方だ。

 鬼無里さんは戸惑った風に笑ってくれた。

 日野さんは総一の袖を少し引っ張って「ちょっとは遠慮しろ」と言っている。

「いいだろ。どちらにせよこの後みんなで飯食う約束してたんだからさ」

 確かに総一の言うとおりだし、なによりお財布が痛まないのは喜ばしい。僕らは鬼無里さんのお言葉に甘えさせてもらうことにした。


病院から五分ほど歩いた所にファミリーレストランがある。駅の真向かいだ。その通りの先の雑居ビルに母の職場が見える。母と鉢合わせすることはないと思うけど、僕はそそくさと中へ入った。

店内は思っていたよりお客が少ない。日曜でもこの空席。嬉しいけど、経営は大丈夫なのだろうかと無用な心配をしてしまう。

店員さんに案内してもらい、二つの席を合わせて六人座れるようにしてもらった。

総一は遠慮なくサーロインステーキセットにご飯の大盛りを注文した。値段も一番高いかな。決めるのも一番早く漢らしい。日野さんと君島さんはパスタ。僕は手堅く日替わりランチセットでグラタンだった。純は総一と張り合ったわけではないと思うけど、特大ハンバーグセットで、ご飯を大盛にしていた。すました顔で注文していたので、普通に食べられるんだろう。細い身体なのに不思議だ。鬼無里さんはオムライス。「子供っぽいかな?」と、照れていたけど、本当に好きみたいだ。


 料理を待っている間は簡単な自己紹介と差し障りのない話題。鳳鳴学園の校風だったり、各々の部活の話題とか、子供の頃の僕と純の話をちらほら。

 料理が来ても事件の話はせず雑談が続いた。鬼無里さんは林業に携わっているそうだ。と言っても、伐る方や植える方ではなく主に経営に関する仕事がメインと言っていた。それなのに国立の医学部を出ていて、医師免許を所持しているとか。その関係で、白羽病院の院長先生と繋がりがあるらしい。ただ、どちらも空神家と関わりが深いという事で、少し嫌そうな表情をして語っていた。

 鬼無里さんの羽は、見ていて痛々しいから表情を見るようにしている。僕の羽を見る癖も少しは直した方が良いかもしれない。


 みんなが食べ終わり、空の食器が下げられてから鬼無里さんがゆっくり口を開いた。

「さてと。きちんと話さなくてはね。どこから話そうか……。」

 テーブルの上に手を組んで、数秒目を瞑ってからゆっくりと目を開けた。

「学校での事件の事だけど、あれは美羽がやったことだ」

「すみません……」

 僕は思わず謝ってしまった。

「どうして君が謝るんだい」

「だって、僕と総一が助けられていれば空神も……」

「そういえば病室で、美羽に怒られていたね」

 厳しい表情が少し柔らかくなった。

「あれは、仕方のない事だから。杉浦先生に聞いたんだけど、那由﨑君と手塚君は傍に居たそうだね。だったら尚更驚いたろう?」

 僕と総一は素直に頷く。

「みんな、美羽の能力がどういう物かは何となくわかると思う。信じられないかと思うけど、分かって欲しい」

「で、鬼無里さんは何をどうしてそこまで深刻そうに考えてるんだよ」

「……つまり、今までどおり学校で接してくれないかと言う事だよ。あの能力に怯えずに」

 何か重大な事を言おうとして、鬼無里さんは躊躇った。ここまで来てそれはない。この場に居るみんな納得できるわけがない。だから僕は思わず声を上げてしまった。

「鬼無里さん!」

 僕の声に店員さんがちらっとこっちを見たけど、他のお客さんは聞こえていたとしても大して気にならなかったのだろう。注意されることはなかった。

僕は声を抑えながら、続けて言った。

「ちゃんと話してください」

 僕が声を荒げても迫力が無いみたいだ。鬼無里さんは少しも動じずに大きく息を吐いた。

「あぁ、そうか。那由崎君は羽が見えるんだったね」

「見なくても、わかりますよ」

「……美羽の命は、あと僅かなんだ」

 ――。

 声にならなかった。それほどあの力は……。

「すぐに退院できるって……」

 言葉が崩れ落ちてしまいそうな声で君島さんが呟く。

「来週には退院できるから、間違ってはいないね。だから今は、学校での生活を大切にしてほしいと思っている」

「空神は、あとどれくらいで」

「正確には切浄の儀まで」

「……? ちょっと待ってください。能力を使ったことによる身体への負担が重いからじゃないんですか?」

「それもあるだろう。だが、だとしたら能力を使わなければ大丈夫なはずだろう?」

「それは、そうだと思いますけど……」

「なんなんだよ。その切浄の儀ってのは」

 腕を組んで総一が顔をしかめながら鬼無里さんに聞いた。

「何故、彼女がそんな力をもっているのに転校させたか分かるかい?」

 訊いた総一ではなく、鬼無里さんは僕に回答を求めるように視線を向ける。

「それは、空神の力が周囲の人に知られないように……」

「違うんだ。美羽には……人の羽を摘み取って欲しいんだよ。その羽が業に染まっているほど空神家にとって都合がいいからなんだ」

「……どういうことです」

「羽を摘み取れる能力を持った空神家の人間は稀なんだ。禍津神の巫女とも呼ばれていて、空神家にとって大切に崇められる存在だ。

 人の業に染まった羽を摘み取り、禍津神の巫女はその業を自分の羽に宿らせる。

 切浄の儀とは、文字通りその羽を切り取って空へ還す。そうすれば血筋に羽を見る能力を空から授かる……それが切浄の儀だ」

「人が多い都会だと、そういった羽を摘み取りやすいから、と言う訳か」

 純が納得したように呟く。

「なんだよそれ。生贄じゃねーか」

 総一が拳で机を軽く叩く。

「その通りだ。生贄だ。そんな事がまかり通っていい訳はない。だから僕達は救おうとした十年前に……」

 十年前に空神を?

 口に出さなかった疑問に純が答える。

「救おうとした人は空神の母親ですか? その中の一人に父が居たわけですね」

純は僕の察しの悪さに少し呆れていた溜息を吐いてから続けた。

「どうして父が?」

「姉さ……僕の姉、夜羽は、羽を摘み取る能力を持っていた。当然切浄の儀で命を落としてしまう宿命だったわけだ。それを救おうと画策してくれたのが真なんだ。僕が真に切浄の儀の事を相談しなければ……。

結果を言えば、姉の命は救う事が出来た。だが代償は大きかった。触れてはならない力に触れようとしたからなのか、真は羽を失って死に、姉は魂の抜けた廃人のようになってしまった。そして、僕らが切浄の儀を止めたからか、羽を摘む力は美羽に宿ってしまった。普通は何世代か後に宿るはずだからね。最終的に僕は、家から絶縁されてしまった」

 もともとは空神には羽を摘む力は無かったのか……。

 十年前……。

 僕が何か思い出そうとした時に君島さんが少し身を乗り出して鬼無里さんに訊いた。

「命を救う方法はあるって事ですよね? なら教えてください。なんとかできるかも」

「駄目だ。 教えられない。代償として他の誰かが命を落とす。本人も廃人になってしまうなら、何にもならない。美羽は覚悟をしている。僕の過ちは、真を死なせてしまった事。姉の覚悟を台無しにしてしまった事。そして、美羽に切浄の儀を背負わせてしまった事だ」

 君島さんは鬼無里さんの静かな口調の中にある覇気に気圧されて身を引いた。そのあとでうつ向いたまま日野さんが呟く。

「でも、でもみうは、私を助けてくれました。だから、助けたい……」

 鬼無里さんはとても困った表情をした。自分が姉を助けたかった過去の自分と君島さんを重ねて見ているのかも知れない。

「まだ、何か方法が無いか、僕も調べてはいるんだ」

 他に方法が無い。手詰まりだ。鬼無里さんはそういう諦めた感じの表情をしている。

「この事は、空神には話してなかったんですね」

「ああ。さっき知らないと言っていたから、家の方も真の事は伝えなかったんだろう。空神家としては滞りなく儀式が行えれば知る必要が無いと思っている。母親がああなってしまったのは単に儀式の失敗だと。だが、美羽にも話さないわけにはいかないな」

 手で額を抑えたあと、自分のやるべき事を確かめたように頷いて僕らを見た。

「今日はすまなかった」

「何言ってるんすか。奢ってもらうこっちが礼を言う方ですよ」

「そう言ってもらえると助かる。みんな、美羽の事をよろしく頼む」

 鬼無里さんは深々と僕らに頭を下げた。

 鬼無里さんは自分の過ちを責めている。攻め続けてあんなに羽を傷めてしまったに違いない。しかし、どんなにやつれた羽でも、その羽は悪に染まってはいなかった。




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