第十二話 もたらされたもの

これ…すごい迷惑をかけている気がする。顔をしかめた。


白い青年を思い出す。こんな肝心なこと、先に話しておけよな…っ! 不貞腐れて呟く。



「誰かにとって毒になる力ならいらねえよ」



それのせいで誰とも顔を合わせられない、話せない、なんて、ちょっとひどくないか。

半分以上本気の言葉を、竜の翼が風を切る中、玄葉の耳は、しっかり拾い上げたらしい。

恐怖を覚えた顔で、叫ぶ。



「誤解なさらないでください! 毒、などではありません。決して!」



驚いた綾人は目を瞠った。玄葉はすぐ、臆した顔になる。

「…ぁ、申し訳、ありません」

顎を引き、どう説明すべきかと、途方に暮れた声で続けた。


「御方の、お力は…この世界には絶対に必要なものなのです」

どうも、また困らせたようだ。何も知らないからこそ、やりにくい。思わず舌打ち。それに対し、玄葉が怯えた様子で身を竦める。違う、叱責じゃないんだ。



正直、何が失言になるか、どんな態度が傷つけてしまうか、想像も及ばなかった。

だが何もしないでは始まらない。



「くそ、ああもう…それ! ご神力? だっけ」


困惑を吹き飛ばす勢いで綾人は声を張った。

「コントロール…ってか、操作、できるのかっ?」

玄葉は、目を瞠った。顔を輝かせる。小刻みに頷いた。

その反応に、悟る。

彼女はそれを望んでいた。知らず、綾人は安堵した。なにせ。


話をしたくない、とか。


避けたい、とか。


そんなつもりは、玄葉にはないのだ。


もっとちゃんと、話をしようという気があるということで。ただ、今は。

ご神力とやらが障壁になってしまっている。それだけの、話なのだ。

「なら、方法を教えてくれ」


乞うだけしかできないのは業腹だが、ことは緊急を要する。いやそもそも、玄葉はその方法を知っているのだろうか? 

幸い、その疑念は杞憂にすんだ。

玄葉はその場に膝をついた。竜の背にへばりついた綾人の頭へ慎重に顔を近づけ、告げる。


「…身体の中心を意識なさってください」


身体の中心。丹田か? 綾人が思う間にも、玄葉の言葉は続いた。

「そこへ、ご神力をまとめるようになさってください」


「まとめるって言われても」

そもそも、ご神力とやらがどういうものかすら、綾人には掴めない。玄葉は考え考え、言葉を紡ぐ。


「…そうですね、身体の中心に、小さな球体を想像されたりなさると、よろしいかと」



丹田に、小さな球体。



猛烈な風を顔に受けながら、綾人は意識をすぅっと臍下へ下ろした。とたん。

身体に、浮遊感。垂直に上空へ上がっていた竜が、平行の飛行へ切り替えたようだ。


その、一瞬の変化が。



(あ、これ)



綾人に、体内にある『それ』を気紛れのように簡単に掴ませた。刹那。




爆発の勢いで、神力が解き放たれる。




綾人はいっきに青ざめた。―――――失敗、した。


意図的ではない。扱いに慣れていないための、単純な誤作動だ。間髪入れず。

びくんっと竜の身体が激しく跳ねる。竜体にとっては、ただの痙攣。ただし極限まで発達した筋肉がもたらす衝撃は、綾人をその身から弾き飛ばした。


空気も薄い高度だ。摑まるところなど何もない。綾人の目が回る。

その、視界の隅。

ぐったり、力の失せた玄葉の身体が映った。


紛れもなくそれは。



(俺のせいー!)



先ほど竜の背中に張り付いた時の比ではない。失敗は許されない。その一心で、手を伸ばす。

腕を掴めたのは僥倖。


不自然な態勢の中、いっきに、玄葉の身体を掻き寄せた。どうにか腕の中に抱き込むのに成功。玄葉は朦朧としている。が、息はあった。

彼女はそれでも、武器はしっかり胸に抱いていた。さすが。


だが、これからどうすれば。


風圧に、顔の筋肉がすごいことになっている。正直、痛い。それでもどうにか顔を巡らせた。

すぐ見えた光景に、ぎょっとなる。

蒼天のただなか、ご神力とやらの直撃を浴びた竜が、失神したまま墜落していった。その姿は、見る間に雲の中へ消える。


結局、斬るなと言った綾人が、墜落死させている。



すまない! かなうなら、きちんと成仏してくれ。心の中で合掌。



同時に、ああなるものかと身を引き締めた。


先ほどの失敗のおかげで、なんとはなしにご神力とやらの感覚はつかめている。

そう、失敗は成功の母だ。

失敗を失敗のままで終わらせる、そんなつもりは毛頭ない。

続く惑乱の中、それでも必死で、自分がどうしたいかのイメージを描き出す。

まずは、下向きになった頭だ。一番に重力に引かれているこれを。


空から引っ張り上げるイメージを描く。



―――――よし! 視界がどうにか、落ち着いた。と言っても、周囲には何もない。


次は。そう。



足裏が、地上へ向いている。そこに、ブレーキをかけた。ロケットの逆噴射と言った感覚…これも、イメージだ。


ただし、いきなりだと身体に負担がかかる気がする。幸か不幸か、地面は遠い。

逸る気持ちを抑え、ゆっくりゆっくり、力を強めた。次第に速度が落ちて行く。

少し余裕ができれば、周囲に吹き荒れる風の強さが気になった。自覚はなかったが、随分流されたのではないだろうか。


そこで周囲に風よけの壁を作る。そうまでして、ようやく、



「ふぃ~…」


一息つけた。



今、二人はゆっくり落ちている状態だ。

空気が変に薄い以外は、特に問題はない気がする。心が落ち着いてくると同時に。

腕の中で、ちいさく呻く声があがる。見下ろせば、うっすらと玄葉の目が開いた。

彼女は朦朧と綾人を見上げる。

「あ、気が付いた?」


声をかければ、びくっと玄葉の全身が震えた。漆黒の目が見開かれる。


「…御方っ!?」

忙しなく周囲を見渡した。かと思えば、彼女は思わぬほど小さく身を縮めてしまう。

「も、申し訳ございません! お手間を取らせ…降ろしてくださって結構ですので!」

強い口調に、綾人は彼女を横抱きにしている現状をようやく理解した。

…セクハラとか言われないかな? と場違いなことを綾人は心配した。

緊急事態とはいえ、勝手に触って横抱きにしている。それに、もしかすると、


「もしかして、玄葉はこの高さから落ちても平気とか?」



だったらなおさら、余計なことをしているわけだ。



言えば、玄葉は一瞬、きょとん。子供みたいな顔になる。

次いで、下方を見下ろした。しばらくして綾人に向けられた顔は、―――――真っ青。



「気合で、なんとか」

どこの脳筋かな?


「はい、却下」



ということは、玄葉は、自分とて無事で済まないと知っていて、追って来たということだ。

頼もしくはあるが―――――なんという無鉄砲。


いかにも『デキる女』の印象があるが、意外とドジっ子なのかもしれない。


「悪いけど、地上につくまではこれで我慢してもらえるか」

「我慢など」

随分狼狽えているようで言葉もない様子の玄葉に、…綾人はふと気づいた。

気のせいでなければ、彼女はまっすぐ綾人を見ている。その表情に、しんどそうな様子はなかった。


「なあ、もう光ってないか?」

期待を込めて、顔を覗き込む。とたん、玄葉は目を瞠った。一拍置いて、頷く。

「あ…はい、ご神力が―――――今は」

言葉の途中で、ふぅっと彼女の身体から力が抜けた。かなり身構えていたようだ。


「く…良か…った」

感極まった様子で、眉間を押さえる。やはりどうも、苦労をかけていたらしい。

あまり詳しいところには突っ込まないようにして、


「ははっ、やった」

どうにか、問題をうまく対処できたらしい状況に、綾人は素直に喜んだ。

満面の笑みを浮かべる。たちまち、鋭い目つきが和らいで、幼子めいた、どこか無防備で可愛らしい印象が強くなった。

玄葉は一瞬、呆気に取られ―――――次いで、


「ふふ、…やりましたね」

綾人の笑顔につられる。気付けば、微笑んでいた。

それは、綾人が知る中では、母親が彼を見るときに浮かべる微笑によく似ているものだ。

相手への肯定しか感じられない柔和な雰囲気に、無双の騎士<漆黒>としての彼女を知るものが見れば、この女性はあの騎士とは別人だと断言したことだろう。


だが、普段の玄葉を知らない綾人は何とはなしに思う。




玄葉はやさしいひとなのだろうな、と。


えらい誤解だ、と首を横に振りながら彼の肩を叩く人物は、今ここにはいない。




初っ端にされたことを思い出せば、彼女もまた相当やらかす相手なのには違いないだろうが。


―――――できればあまり、迷惑をかけないようにしたい。


反省しながら、余裕のできた意識が、不意に、周囲の光景を拾い上げる。

そこに広がっていたのは―――――…、





「―――――うわぁ…、すげ…」


腹の底まで染め抜くような紺碧。





自然が作り出す、魔法じみた色彩に、見入る綾人の目が輝いた。


言葉もない。思考も止まる。そんな彼の耳元で、玄葉は誇らしげに告げた。






「すべて、あなたがもたらしてくださったものです」




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