第十話 空からの訪問者

「御方がこの世に降臨なさって、まだ数日も経ってないのよ? こんな時に挨拶の使者なんて来られたら逆に迷惑ってなんでわからないかな~!」


鈴を転がすような声が、にわかに苛立ちをにじませた。同時に。

噴水の水滴、一滴一滴が、声の抑揚に応じて毬栗のように棘を生やした。

水をすかして見えたのは、長いピンクブロンドの髪をひっつめ、束の書類を片手に早足で歩く儚そうな美女だ。


あれが一旦戦場に立てば、長斧を振り回し、一騎当千の働きを見せるなど、誰が想像するだろう。


白く品のいいドレスから伸びたほっそりした手足は、石ころ一つ持つのも苦労しそうだ。




「仕方ないさ。天人や竜人の気位の高さは天井知らずだからね」




彼女の苛立ちに、可愛らしい声が、蓮っ葉な口調で応じた。


「待てと言っても、素直には聞かないよ。連中が自ら足を運んで来たってだけでもウチは奇跡と思うけどね」


彼女の後ろをついて歩くのは、褐色の肌の少女。

あれで、この街では一番の古株だ。


頭の上に、大きな黒い猫耳を生やしている。その毛の上に、肌色と同じ褐色の縞々が走っていた。

後頭部で腕を組んで、にゃははと彼女は嬉しそうな笑い声を上げる。対して、



「また厄介な種族が…誰が相手してるの」



ピンクブロンドの女が、低い声を地に這わす。顔をしかめた。

「天人は時雨、竜人は巽さ」

「同族をあてたのね」

呟き、立ち止まる。怒っていた肩が、すとんと落ちた。安堵したように。


「なら、わたくしが出向かなくてもいいってことか」

寸前までの放たれた矢の勢いはどこへやら、ゆっくりと踵を返す。


「まったく、いい迷惑よ」

その背に、褐色の肌の少女はまたついて歩き出す。

「それだけ、皆が当代様に興味津々、無視できないってわけさ」


「鈴」


白い美女が、前を向いたまま立ち止まった。一歩の距離を置いて、猫耳の少女も足を止める。彼女の背後で三本の尻尾がぴんと立った。




「状況を、どれだけわかっておいでなのかしら、貴女」




顔だけ振り向いた彼女の可憐な唇から放たれたのは、鞭打つように厳しい声。

「わかってるさ、壱花」

怒りにきらきらと輝くうつくしい空色の瞳に、猫耳少女は両手を挙げた。

茶化す動きで、降参。ただ、表情はひたすら真面目。


「当代の御方は、世界の救い主。これ以上の無礼は許されないねえ。だからって」

鈴がふっと視線を横へ流す。見守っていた玄葉と視線を合わせた。

縞柄の尻尾が、彼女の後ろで左右にゆったり揺れる。



「過保護もどうかと思うわけさ。なあ、玄葉」



すぐに部屋へ連れて行ったことを揶揄しての台詞だろう。

振り向いた壱花と二人合わさる視線に応じ、玄葉は首を横に振った。


「問題は、それ以前にあるだろう」


過保護は否定しないが。

まだ痛みの去らない側頭部を押さえ、玄葉は二人に近づく。




「垂れ流しのご神力だ」




ああ、と、はるか頭上を見上げる三人。

壁越しにすらわかる。神力の輝きは、地上から見上げてもありありと目に見えて、昼日中にもかかわらず世界を照らしていた。


「あれで、御方は平気なのかい?」

目の上に手で庇を作り、鈴が半眼で呟く。

「かつての御方は、あのご神力を後生大事に隠し持ってたじゃないか」


「おそらくだが、今までの在り様が間違いなのだ」

玄葉は目を閉じ、記憶をたどった。

「もっとはっきり言えばいいじゃない」

壱花が冷めた目で囁く。



「今までの御方は、ご神樹に嫌われてたって」



「不敬だぞ、壱花」

力なく嗜め、玄葉は俯いた。


「まああの方が、…寵を受けておいでなのは事実だろうがな」

ただこの状態では、安堵すべきか困るべきか分からない。

壱花が無念そうに声を上げる。

「…本当に、あれさえなければ…いえ、ごめんなさい、無礼ね」

実際、壱花の呟きは、文句ではない。腹の底からの悔しさに満ちている。

なにせ壱花はそれゆえに、当代の御方に近寄ることすらできないのだ。玄葉は力なく首を横に振った。


「いや、ああでは、私より魔力量が大きい壱花では厳しいさ。かと言って」


視線を向けられた鈴は、両腕で×を作り、首を大きく左右に振っている。

「ウチも無理。玄葉くらい強くなけりゃ、近寄ろうとしただけで昇天さ」

たは、と耳が伏せられた。



…そうなのだ。

現状、御方たる藤綾人のそば近くに侍ることができる存在は、玄葉以外に存在しない。


無論、光栄な話だ。身に余る。ただ問題は。


―――――玄葉の身体が、いつまで保つか。この一点に尽きた。



「ひとつ、朗報がある。幸いあの方は、聡い」

自身が、周囲にどう見えるか。

薄々理解し始めた手ごたえを、先ほどの様子から感じた。

「それにやさしい!」

両手を挙げ、鈴がはしゃぐ子供のように言う。


壱花が何事か考える様子で下唇に自分の指の甲を当てた。

「周りが困っているとご理解下されば、ご神力の制御も、可能と言うこと?」


「おそらく。ただ、今は迂闊なことを告げるのは憚られてな…」

壱花の問いかけに、玄葉がらしくなく目を伏せた。他の二人はすぐに察する。




玄葉は、酷い失敗をしたばかりだ。この上で、さらに御方に問題を提示すること自体、恐ろしいだろう。




揃って嘆息。

なんと、確証のない会話だろうか。その上、他力本願とは。自身を笑って、あがった声は小さかったが、それでも彼女らの顔は明るい。なにせ。


中庭の真ん中で、鈴が大きく伸びをするように、両腕を広げた。





「なんにしろ、当代様は素晴らしいな! 泉が湧き、砂漠の大半に緑が復活した。山に実りが満ちて、肥沃な大地を川が流れる」





輝く目を頭上へ向け、満面の笑みで、

「なによりこの、紺碧の空!」

憧れに似た眼差しを、彼女たちが大空へ向けるなり。


にわかに、彼女たちは真顔になった。




「…おい、先ほど、使者が来たと言っていたな」

尋ねた玄葉の言葉は不穏。応じる壱花の声は、物騒に低い。


「…言ったわね」

「それは、竜人か」


前触れなく周囲の気温が下がった。二人の殺意が気温に干渉している。


「そうだけどねっ?」




鈴が殺気に尻尾を膨らませた。弾かれたように、彼女たちから距離を取る。

焦る気持ちもそのままに、その場でくるくる回って走る。


「少なくとも、野良の竜じゃなかったよ…あれ、当代様のお部屋じゃないか!」

彼女らの頭上では。

竜が、城の壁に両足の爪を食い込ませていた。しかもそこは、


「なぜ御方の部屋のそばに…!」

壱花の叫びと同時に、その一角を大きな翼で覆うようにして、竜が中を覗き込む。



「まさか…星みたいに光っているから、宝と勘違いしたかっ!?」



叫び、踵を返した玄葉が駆け出すなり、長い竜の首が最上階の窓の中へ突っ込まれた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る