第九話 〈漆黒〉

木刀一本で敵陣に突っ込めと言われた方が、気持ちが楽だ。


無双の騎士<漆黒>の二つ名を持つ魔人・玄葉は、最上階の一室の出入り口に立ち、室内に向き直った。頭を下げる。折り目正しく、礼。


ひとつの余裕もなかった。ただし、表面上は冷静に。

視線の先には、この世で最も重要で、高貴な方だ。不快にさせるわけにはいかない。



そう、もう、これ以上は許されない。



「ご用件があれば、お呼びください」

一言放つだけでも、気合が必要だ。言葉が終われば、つい息をつめてしまう。

室内に満ちているのは、強烈な…いや、猛烈な光。いっそ部屋が燃え上がってしまいそうな輝きだ。毎回、映している眼は、いつ潰れてしまってもおかしくないのではと思う。

輝きの正体は、はじまりの神樹とつながった御方が放つ、神力だ。

ダダ漏れである。いっそザル。

だがそれすら、彼が持つ神力の、ほんの一端に過ぎないのだろう。なにせ、これほど垂れ流しながら、本人には支障を感じた様子がない。


底知れなさに寒気がする。


先代は、今現れているこの半分ほどの神力すら持ち合わせていなかったのに。

一方で、室内の家具の情報も、視覚からしっかりと情報として入ってくる。

ただ、室内に佇む方の姿だけが、あまりにまばゆく真っ直ぐ見ることは難しかった。

頭を下げることで、ほんの少し、解放される。そんな玄葉の耳に、



「ありがとう。助かる」



ぶっきらぼうに、応じる声が届いた。素っ気ない口調。だが、確かにこもる、労わりの響き。

ほ、と知らず、安堵の息がこぼれる。身体の力が抜けそうになった。



いや。だめだ、最後まで、気を抜くな。



自身に言い聞かせ、玄葉は顔を上げた。あとは退出するだけ、といった刹那。




「悪いけど、ひとつ聞いても?」


気遣いを挟んだ、問いかけ。とたん。




いっきに、玄葉の全身から血の気が引いた。今、自分は、何か失態を犯したろうか。

この時の、玄葉の顔色の変化はよほどひどかったようだ。


一瞬で彼女の気持ちを察したらしく、

「違う、責めようとしてるんじゃない」


どこか不器用な物言いで言葉を切り上げ、彼は視線をそらした。



―――――彼こそ、当代の御方。



この世に必要不可欠な魔素を送り出す、はじまりの神樹の媒体たる唯一の存在。彼がいなければ、この世は滅ぶ。

彼の視線が外れたことで、ようやく玄葉は光の中心に真っ直ぐ目を向けることができた。

室内の人物は、青年の姿をしているようだ。やはり太陽のようなまばゆさのせいで、はっきり姿を拝見することは難しい。


とはいえ。


玄葉は、一度その姿をきちんと目にしたことがある。

滅亡寸前の荒野の中で。

御神木目掛けて走っていた彼に、玄葉は―――――刃を振り下ろした。



もし、あの時。


彼が機転を利かせなければ。


玄葉の刃がその身に届いていれば。


世界はどうなっていただろう。



考えるだけで、今にも崩れ落ちそうな恐怖に襲われた、刹那。

「名前」

不貞腐れた声で、青年は言う。


「知ってるだろうけど、俺の名前は藤綾人。あんたは?」


やりにくいのか、彼は向こうを向いたままだ。それとも。

…察して、いるのだろうか。



彼の視線ひとつすら、周囲にとって毒になると。



そんなことを、上の空で考えながら。

玄葉は呆気にとられる。まさか、名前を聞かれている?


分かり切ったことなのに。


人付き合いでは当たり前のことなのに。


それでもにわかには信じがたい。なにせ。

使う道具にそんなものを必要とする御方など、今まで―――――いや。

この思考が、いけない。

当代の、御方は―――――はじまりの神樹が自ら選んだ存在。




(今までの御方とは、違う)




黙り込んだ玄葉に何を思ったか、青年は言い訳じみた言葉を続ける。

「…用があって呼ぶにしても、名前がいるだろ」

その通り。彼の言い分は真っ当。いや、そんなことを考えたのは二の次だ。

疑問が過ぎ去った後。



真っ先に感じたのは、昂揚。



なにせ。

聞かれたのだ。御方に。名を。知りたい、と。…望まれた。



この気持ちに―――――光栄、以外のどんな言葉が当てはまるだろうか。



玄葉は、唇を引き結ぶ。気持ちとしては、前のめりにつんのめっていた。

それを無理に抑え込んだ結果、感情のない平坦な声がこぼれ落ちる。


「玄葉、と申します。…御方」


この言葉の、何に興味を惹かれたのだろう。青年がふ、と息を引いた。



「クロハ…どう書く?」



驚いた。真っ先に、文字を気にするとは。この方は奴隷として召喚されたと言った。

だが、高い教養を身に着けているのではないだろうか。

この世界において、識字率は低い。よって、どう書くか、と聞かれることは、貴族や商人以外には、滅多になかった。しかし、この方は、今。


彼の視線が、また玄葉に戻る。

思わず目を伏せた。繰り返すが、まばゆいのだ。どうにか、空中に指先で名前を書けば、

「…漢字じゃないか」

驚いたような独り言がこぼれ落ちた。カンジ?


「しかも、唇の動きから、音も同じ…」

何か考え込むような沈黙を一泊置いて、

「ああ、引き留めて、ごめん」

我に返ったように、玄葉を見遣る。


「もういいよ。ありがとう」



―――――なんと、言えばいいのか。



彼が示す丁寧さと気遣いは、こそばゆいほどだ。相対する緊張感さえ無視できれば、ぬるま湯にでも浸っている心地にさせられる。

おかげで、緊張とはまた別の意味で、玄葉は居たたまれない。

落ち着かない心地で、玄葉は再度頭を下げた。



「御前、失礼いたします」



退室の挨拶をする。玄葉は丁寧に扉を閉めた。とたん。


自然と身体が弛緩する。

正直に言えば―――――目が痛い。頭も痛い。膝が震える。魔力酔い寸前の症状だ。


それでも、<漆黒>がへたり込むわけにはいかない。


背筋をしゃんと伸ばした。軽快な足取りで、階下へ降りていく。

外の空気を吸おうと、城の一角から外へ出るなり、






「…またぁ?」


うんざりした声が、噴水近くで上がった。声に合わせるように、吹き上がる水が空中で形を変える。




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