第八話 ニンゲン、ボッチ
あまりのまばゆさに顔を庇うように腕を上げ、綾人が目を閉じるなり。
「―――――御方!」
悲鳴のような声が上がる。
驚きに目を瞠り、顔を跳ね上げれば。
御神木を背にして立つ綾人から、綾人の感覚からして家屋一戸分の距離を置いて、跪く数多の存在が見えた。
その、一番前で頭を垂れていたのが。
…先ほどの、女性だ。
綾人は自分の左足を見下ろした。くっついている。立っていても違和感はない。
ただ、服までは元に戻っていなかった。ちょっと中途半端でみっともない格好だ。
彼女に目を戻せば、視線を意識したか、わずかに肩が揺れた。
「厳罰は、覚悟しております」
放たれた強い声に、もう涙の名残はない。それが逆に、彼女が決死の覚悟でそこにいると感じさせた。
正直、綾人はほとほと困った。うまい慰めの言葉も思いつかない。ゆえに。
思ったことを、正直に口にした。
「さっきは、俺が悪かった」
その言葉に、返ったのは沈黙のみ。
彼女が、…そしてその背後に控える彼らが、何と感じたか、なにひとつ読めない。
それでも、綾人は一通り、思いを口にすることに決めた。
「帰るって言ってごめんな。怖かっただろ」
要するに、問題はそこにあるのだ。となれば、非は全面的に綾人にある。
さすがにもう敬語は吹っ飛んでいたが、こちらの方が、彼女たちにもやりやすいだろう。
「まだ、俺にはよく分からないんだ。この世界における、御方って存在の重要性が」
なのに。
御方、というこの世界にとって失えない存在が、言ったのだ。この世界を去ると。
容易に、そうですか、と許容できる言葉ではない。
綾人の理解力では、御方というのは、支配者というより、象徴のような存在に感じられる。
現在では、その程度の認識に過ぎない。だがそれは、この世界の者にとっては何か足りないのではないかとも思う。
…そう、例えば、命そのものとも言える存在、とか。このように考えること自体、冗談のような気分になるが。
「半ば強制されたみたいなもんだって言っても、一度引き受けた役割だ」
せめて少しでも彼らの不安は拭ってやれるように、綾人は言葉を続けた。
「中途半端に投げ出したり、逃げたりしないから」
だから、と綾人は祈るように続ける。
「…泣くなよ」
祈る気分で見ていた彼女が、ぱっと顔を跳ね上げた。
すぐ目は伏せられたが、その顔に、涙の痕がもうないことに綾人は震えるほど安堵する。
―――――綾人は知らない。
周りに、綾人がどのような姿に見えるか。
それは、例えるなら、遠い空の彼方で輝く恒星が何かの間違いで地上に落ちてきたような存在と言える。
目を潰すような輝きと、対面すれば消え入りそうになる巨大な存在感を持つ者、それが新たな御方…綾人だ。
力あるものであればあるほど、綾人をまともに見ることは難しい。圧倒的な光の塊としか見えず、正しい姿を認識することもできない。
だからこそ。
直前のような過ちが起きたのだとも言えた。
まさか、これほど巨大な存在に、赤子じみたこの世界の住人の力がまともに通るなど、想像の範疇外にあったのだ。
その上、ちっぽけなはずの存在を相手に、かの存在は、労わるような気遣いを見せる。
あまりにアンバランスだった。
すべてを総合すれば、この世界の者にとって、逆に綾人がどういった存在か、掴みにくくさせている。
ゆえに。
綾人の前に控えている者は、皆、異様に緊張していた。
それがための、静寂である。
「は、い…あの、ですが」
それでも真っ直ぐ綾人を見上げた彼女は、相応に勇敢だった。
「ですが、は無し。この話はもう終わり」
綾人が強く断言すれば、命令と取ったのか、彼女は畏まる。どこからどう見ても、彼女は人間のようだが、
「今後気を付けてくれたらそれでいいよ。人間じゃないなら、仕方ない話なんだろうし」
それこそ、綾人が知らない色々な力を持っているのだろう。
「…は、」
彼女は一瞬、呆気にとられたようだ。戸惑いをすぐ隠そうとしたところを見逃さず、
「どうかしたか」
綾人はすかさず尋ねる。彼女は目を伏せたまま、
「―――――畏れながら」
戸惑った声で言った。
「『ニンゲン』とはなんですか」
その言葉に、綾人は一度首を傾げ、―――――まさか、と息を呑む。
「…この世界、いないのか、人間は」
彼女の後ろにいる者たちも、惑いの視線を交わし合っていた。
彼らを代表するように、彼女は首肯する。
「そのような種族名は、今まで、耳にしたことがございません」
言いにくそうな物言いに、綾人は思った。
詰んだ。
知識の取得は急務だった。…思っていた以上に。
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