第七話 責任
何やら覚えのないことを言われ、
「待て。砕いた覚えはないぞ」
綾人が冷静に否定すれば、童子は鼻で笑った。
「王様気取りのいけ好かないヤツには、衝撃だったのだ」
…まさか精神的ショックで砕けたと言っているのだろうか。ばからしい、と笑いかけ、止める。童子の目は笑っていなかった。
この話題は危険な気がして、綾人は別のことを言う。
「なんにせよ、…元気そうでなによりだ」
昨日は、姿を保つのも難しいと言っていた。今はまだ童子の姿だが、苦しそうな様子はない。とはいえ。
この童子が世界の命の根源であるなら、世界がなくとも彼だけは存在できることにならないだろうか。
そう、思ったが。
昨日の状態から察するに、御方とのつながりがなければ、ともするとこの童子も危険、と言う話にならないだろうか。
―――――コトは、そう単純な話でもなさそうだ。
「うん、今なら、足をくっつけるくらい簡単にできる」
「力とやらは元に戻ったのか」
「全快とはいかないが」
答えになっていない。だがその元気さが、答えなのだろう。元通りとはいかないが、順調に回復している。そういう雰囲気だ。
「綾人のおかげだ」
「俺はなにもしてない」
実際、昨日からしていたことと言えば、寝ていただけだ。なのに、そんなことはない、と童子は言う。
「我を縛ろうとしない。放置しているようで、気にかけている」
………………それがなんだろうか。普通のことだ。
取り残された気分の綾人は置き去りに、童子は不思議そうに、それでいて嬉しそうに顔を覗き込んでくる。
「すごいのう! 我はこれほどのびのびできたことがかつてないぞ」
特別なことのように言われるが、この童子の本性は、樹木だ。自然のものは自然なままであることが一番なのは、ただただ、当たり前の話だ。
そこがいい、と童子は言っているようだが、綾人にはイマイチ理解できない。
だがこの感覚を説明しろと言われても、通じるように言葉にすることは難しかった。黙り込む綾人に何を思ったか、
「だが、綾人は帰りたいのだろ?」
さっきまで満開の笑顔だったのが嘘のように、童子は寂しげな微笑を浮かべる。
その通りだ。とはいえ、帰るにしても、先に間借りしている世界が破滅しては、話にもならない。
だから、綾人はその役目を引き受けた。
引き受けざるを、得なかった。ただ。
「気持ちは変わらない、俺は帰りたい。けど」
迷いながら、それでも。
はじめは、強制的に選択を迫られたが、綾人は受け入れたのだ。
御方、とやらの役目を。そうなった以上、もう一方的なものではありえない。知らぬ存ぜぬでは通らない。で、ある以上、
「責任は取る」
綾人は気負いなく、さらり、断言した。
「だから…お前に謝りたい。昨日はキツイこと言った。ごめん。できる限り、仲良くやって行こう」
現在の状況から考えるに、今すぐ帰るのは難しい。
帰る方法だって、あるのかどうかすら分からない。なかったら作るまでだが、長期戦になるのは必須。
だったら、これから世話になる以上、なんらかの恩返しもしなければならない。
綾人の中で、それは筋の通った話だった。うん、と一人で納得し、頷く。
この世の安泰が、綾人が責任を取るということだ。
そのためにも、反発し合うのはデメリットしかないと思うのだ。もちろん、簡単な話じゃない。
一拍、置いて。
言葉を理解した童子は、紺碧の目を限界まで瞠る。まん丸だ。
「話を聞いて思ったんだけどな」
拙いなりに、感じたことを素直に言ってみた。
「お前が自由になったら、一番いいんじゃないか?」
その方法を、探そう。
そしたら、世界は万々歳だ。そうだよ、御方ってシステムはおかしくないか?
「綾人、そなた」
童子は深刻な顔で言った。
「大丈夫か。阿呆と思うほどヒトがいいな」
違う。誰かのためじゃない。結局は、自分のためだ。
どうして俺が、と。
溶岩のようにぐつぐつ煮え立つ怒りは、胸の底でまだ残っている。それでも。
「いつか帰る日に、俺が胸張って出て行くためだ」
ムッとなった綾人に、童子はからからと笑う。
「許せ。まさか、真面目にそんなことを言い出すとは思わなくてな」
彼に、綾人は改まった口調で尋ねた。
「―――――そっちこそ、大丈夫か」
首を傾げた童子に、訥々と言葉を続ける。
「俺は弱い」
「そうか」
「しかもこの世界の人間じゃないし、だからもとに世界に帰りたい」
「そうか」
「いいのか、そんなやつを御方とかいう―――――役目はよくわからないけど―――――重要な地位につけて」
綾人はただの学生だ。失敗する自信しかない。
「綾人はもう、真価を示しておる」
童子はすました顔で言う。紺碧の目を、きらきらとひからせて。
「自分を傷つけたものを、痛めつけたり殺したりしなかった」
足を断ち切られたことを話しているのか。
だがそれは綾人に、やり返すような度胸がないというだけの話だ。力でかなう気もしない。
「いや普通のことだろ。暴力なんて、できるなら、避けたいと思うし」
臆病者と言いたいなら言えばいい。童子は首を横に振った。
「それは、綾人の強さだ」
「強さ?」
「これは単純な力の強さとは違う強さだよ」
童子は跳ねるように立ち上がり、綾人から離れる。
「なにより、綾人は我を縛ろうとしない。世が始まって以来、我はこれほどの自由を感じたことは、ないぞ。これはすごいことだ」
彼は後退し、綾人から距離を取った。離れることで、たちまち目がくらんだ。
世界の根源たる存在は、高らかに宣言する。
「時代が変わる! 世界が変わる!」
その行動で、なんとはなしに理解する。
―――――時間が来たのだ。
「さて。今日は、ここまでのようだな。これ以上は厳しい。まだ話し足りないが」
童子は、穏やかに微笑んだ。
「知識を得たいなら、ここ、御神木の街のものに尋ねるといい。喜んで答えてくれるだろう。彼らは綾人の味方だ。なにせ」
彼は静かに告げた。
「彼らは見ていた。我が綾人を選んだその瞬間から、綾人が何を選択し、―――――何を捨てたかを」
それが何を意味するのか。
「では綾人、近いうちに、また会おう」
未だ事態を正しく飲み込み切れない綾人を前に、童子はすべてを全身で受け止めるように両腕を広げた。
直後、その姿は光の粒子になって飛び散ってゆく。
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