第六話 命の根源



激痛の中、彼女の言葉を振り払うように、綾人はせめて情けない声を上げるまいと拳を強く噛んだ。

とは言え、そんなことは、どうでもよかった。そんなことよりも。






この痛みを消してくれ。足を元に戻せ。






荒い息を吐く綾人に、彼女はか細い声で懇願した。

「い、今から、治癒を、施します。私なら、お身体を元に戻せます。どうか、御方、私はどうなっても構いません、せめて他の者たちは―――――」


見捨てないで。


哀切な祈りに似たその言葉にかぶせるように、綾人は咄嗟に怒声を叩きつける。






「寄るな!!」


本能的な恐怖が、綾人にそう叫ばせた。

怖かった。化け物かもしれない、その女がただ怖かった。


自覚はある。綾人は、臆病者だ。恐怖を、怒りと拒絶に変えて心の盾にする。






彼女は一瞬、怯んだ。痛々しい傷口に似たひどい怯えが目に浮かぶ。

確かに綾人はそれを見た。なのに。



「どうか、治癒を!」



拒絶に臆さず叫んだ彼女は、果敢ですらあった。


それでも綾人は受け入れることができず、彼女から距離を取ろうと、した。

刹那。



―――――見てられん。



綾人の耳元で、物柔らかな声が響く。

直後、眩しさに視界を焼かれた。綾人は腕で顔を庇うようにして目を閉じる。直後。

「…、?」



灼熱に似た激痛が、唐突に鎮火する。全身に張り詰めていた緊張が一気に抜け、その場にへたり込んだ。


気づけば、全身が冷たい。激痛が、噴き出させた汗のせいだ。



目を開け、足を見遣れば、…元通りだった。夢でも見ていたのかと思う。

ある程度の予感を持って、ぐったりした顔を上げれば。


「事故だ、我が選びし者よ。…許しておやり」

座り込んだ綾人を、微笑を浮かべた童子が上から覗き込んでいた。



白い髪。白皙の肌。紺碧の瞳。白い水干。目尻に赤い化粧。



子供に諭された。そこはかとなく漂っていた自己嫌悪と罪悪感が、いっきに、正気の綾人の心を鷲掴む。

ぐぅ、と喉を鳴らし、綾人は片手で顔の反面を覆った。



「許す以前の問題だ」



思わぬ出来事に一番驚き絶望していたのは、彼女だ。取り返しがつかないことになった、と表情が言っていた。


気づいていながら綾人は、慰めるどころか突き放してしまった。

理由が、彼女が怖かったからだというのが情けない。

こうなると自分の臆病さが憎かった。傷つけてしまった、と強烈に胸が痛む。



「女泣かせた上にひどいことを言って放置してきたとか…最低だろ」



周りを見渡せば、あの白い空間の中だ。やはり、あまり見入ると、上下左右の感覚がなくなる。悪酔いしそうだ。

綾人は強く目を閉じ、深く息を吐きだした。


「これは驚いたな」

おんぶをせがむ子供のように、童子が落ち込む綾人の背中からくっついてくる。



「綾人は、やられたからやり返す、とは思わないのか」



執拗に殺そうとされたらさすがにやり返すが、彼女は苦しんでいた。

「あのヒト自分がやったこと後悔してたじゃないか」

そんな相手にやり返すも何もない。


「不思議よな」


童子は、興味深そうな声を上げた。綾人にくっつくようにわきを通って、ちょこちょこ前へ回り込む。

「自身を害した相手を殺す、という思考を、綾人からは欠片も感じない」


一瞬、綾人は能面じみた無表情になった。

彼女は泣いていた。やり返すとか殺すとか、どうやったらそんな思考が湧いて出るのか。その結論に至る思考回路が綾人には理解しにくい。


綾人の態度に、童子はなぜか嬉しそうに小さな両手で口元をおさえ、くふふと笑った。

まさか望んだらできてしまったりするのだろうか。危なっかしくて、つい言ってしまう。

「やめろよ、そういうのは」


「うむ」

童子は素直に頷いた。そのまま、片方だけ胡坐をかいて座った綾人の足に腰掛ける。

その感覚に目を開ければ、童子は満面の笑みで綾人を見上げていた。

「だが今までの御方ならば、先ほど言ったことを即座に望み、実行したろうな」

童子と目を合わせていれば、視覚からの悪酔いの感覚は消える。が、聞いた言葉のせいで気分が悪くなった。


「嘘だろ」


そんな横暴、許されない。いや、それ以前に、勝手な相手には誰もついていかない。

憮然となった綾人に、童子は静かに告げる。




「今まで、御方という地位は、世界の民が、一番の強者に与える誉れであったのだ」




「世界の民って、さっきの、女の人みたいな、か?」

思い出せば、ますます、先ほどのやり取りが気まずい。

言いにくさに、自然と言葉がぶつ切りになった。気づいているのかいないのか、童子はさらりと一言。



「ちなみに彼女は魔人だ」



やはり、と綾人は納得する。彼女は、人間では、ないのだ。

それきり、童子は話を元に戻した。


「強者がさらに力を持つとはそういうことだ。止められるものは誰も居らん」


「そういう相手に、真っ向から反対するのが難しいのは分かる」

なにも、無理に戦えとは、綾人は言わないし、できれば自身もモメ事は避けたい。

「それならそれで、従わないっていう選択肢があるだろ」


童子は、不意に、厳かな声で告げた。






「―――――御方の発言は絶対である」


紺碧の目が、神秘の深みを宿す。



「はじまりの神樹、即ちこの世界において命の根源たる我の力、その唯一の通り道であるゆえ」






言葉としてなら、何とはなしに理解できた。だが、体感は薄い。


経験として理解できない限り、この世界における御方という存在の意味を、腹の底まで納得することは綾人にはできないだろう。ただ、頭の理解だけでも、なにやら危ないことは分かる。


御方に従わない、という自由は、この世界に住む以上、許されないというわけだ。

綾人は呆れた。




「個人がそんな力持つなんて、独裁もいいところじゃないか。ろくなことにならないぞ」


言って、今更なことに気付いた。実際、綾人は目にしたではないか。ろくでもない結果を。




「左様。なればこそ、今までの御方は、ああしたいこうしたい、ばかりで窮屈でなぁ」

つまり、対象を言いなりにさせたいという存在ばかりだったのか。

「ゆえに我は世界に告げたのだ」

童子は、張った胸を、小さな手で押さえた。




「次の御方は、我が決めると」




綾人は、思い出す。髑髏の口の中にあった赤い勾玉を。

「決める前に、お前も死にかけてたじゃないか」

ウンザリ言えば、童子は楽し気に両手を叩く。





「然り! だが、なるようになった。死してなお我を離さず、図に乗った先代の御方を、綾人が乞食呼ばわりして砕いたのは今思い出しても痛快だな!」




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