第五話 懺悔
面倒を見る姿勢を示してくれているが、…彼女の気持ちがこれっぽっちも察せない。
なにせ、綾人は単にぽっと出の異界の人間だ。しかも彼女から見れば、年下だろう。歳は近いだろうが、彼女は二十歳くらいに見える。
少し重要な立場にあるからと言って、こんな得体の知れない相手に、望んで頭を下げたいものだろうか。
綾人は一度目を閉じる。
彼女は何と言ったのだったか…そうだ、食事の用意ができたと言った。だが今は食べる気分ではない。話を聞きたい。
目を開けても、やはり、跪いた彼女の姿は消えていなかった。
観念した綾人は、彼方に見える黄金の葉を指さす。
「…すみませんが、俺は今すぐ、あそこへ行きたいので」
年上。
女性。
そして社会人らしき、ほぼ初対面の相手、ともなれば、まだ学生にすぎない綾人は反射で敬語になってしまう。
どちらかと言えば誘拐した側の相手に、間抜けな対応かもしれないが、こういう言葉遣い以外を綾人は咄嗟に選べなかった。
怒りで頭がカッとなった時は、乱暴な言葉遣いになってしまうが、綾人は基本的に真面目である。
「食事は他の人が食べてください」
食事を残すのは申し訳ない。しかもここが先日まで荒廃した場所だったと考えれば、食事は貴重なはず。
告げれば、彼女は真っ直ぐ顔を上げた。はじめて、目があう。視線が、怖いくらい強い。
何を考えているのか読めない。どうしてそこまで無表情なのか。
怯む心を叱咤して、綾人は言葉を続けた。
「ところで、ここはどこから降りられるんですか?」
ぱちり、彼女がひとつ瞬きする。
警戒に近い気分で注視していたため、拍子に彼女の睫毛がやたら長いことに気付いた。
「梯子や階段はないんでしょうか」
当然の疑問だったはずだ。だが彼女は少し考えた。すぐ、ひとつ頷く。
「御方は、異界人でしたね」
そこでようやく立ち上がってくれた。身長は、綾人の鼻先までの高さだ。
この美貌と無表情で綾人より長身だったなら、迫力のあまり泣いていたかもしれない。
「では、失礼致します」
正面に立った彼女は、そう言った。かと思えば。
ぎゅう。
いきなり鼻先に甘い香りが漂ったと思うなり、―――――抱き着かれた。
「???」
いや、これは抱え込まれたというか、持ち上げられそうというか…彼女の身体の柔らかさを意識する直前。
ガ。
ひょいと軽々彼女は壁を蹴って、城壁から飛び降りた。
―――――悲鳴を上げなかったのは上出来だろう。
内臓まで落下と浮遊に引きずられる気持ち悪さに、ぎゅっと口を引き結んだその時。
じゃり、と靴底が大地につく感覚があった。
「降りました」
言わなくても分かる。
だが、言われてはじめて、何が起こったか理解が追い付いた。
飛び降りた…飛び降りやがった。あの高さから!
彼女から慎重に離れながら、綾人は城壁を見上げる。つまり、あれか。
彼女は、行動で示したわけだ。十分安全に飛び降りることができるから、階段や梯子は必要ない、と。
そんなことは普通の人間には不可能だ。…不可能…。
思った端から、嫌な予感を覚える。まさか。
すぐそばにいる彼女は、人間ではなかったり、するのだろうか。
乾いた笑い声を立てる。首を横に振った。とにかく、彼女は綾人の願いを叶えてくれたのだ。
「ありがとう、ございます」
お礼は、伝えておくべきだった。礼儀知らずになりたくはない。
それに、綾人にとって、彼女がきれいなバケモノにも思えるように、彼女にとっては異界人の綾人も似たようなものかもしれなかった。
「…、いえ」
微かに目が瞠られた気がしたが、すぐ、静かに伏せられた。
「必要ならば、すぐにでも階段や梯子を設置いたします」
頷きかけ、寸前、綾人は動きを止める。唇を引き結んだ。
気遣ってくれた彼女に素直に頷けなかったのは、まだ拗ねた気分が残っていたからだ。
まるで綾人がずっとここにいることが前提のような物言いは、彼はもう帰れないと言外に告げているような気がしたからだ。
分かっている、そんなこと彼女は一言も言っていない。単なる被害妄想だ。
本当に自分は子供だな、と思うが、止められない。
何かを思い切る態度で、踵を返す。彼女を背にして、歩き出した。
鬱蒼と茂った木々で視界を邪魔されても、あの樹木の位置は分かる。
「お供します」
間を置かず、彼女が後ろに従った。つい綾人は、
「必要ありません、場所なら分かります」
苛立つ声を上げてしまう。どう感じたか、少なくとも表面は気にしていない態度で、彼女は応じた。
「ですが、森では今、鬼人たちが作業に取り掛かっております。なにも知らずに歩いては危険です」
きじん。…鬼人?
その言葉に、巨人たちの額にあった角が脳裏をよぎった。
「作業ってなに…いえ、答える必要はありませんので」
聞き返した直後、首を横に振る。知らなくていい。知る必要はない。
彼女がついてくる気配にますます意固地な気分になる。
歩く速さも変えず、言葉を続けた。
「お願いします。俺に割く時間があるなら、自分たちの復興に力を入れてください。どうせ俺はすぐ帰るんですから」
綾人の、言葉に。後ろの彼女が足を止めた。次いで、
「―――――…、」
何か、呟いた気がする。だが、改まって向き直る気分にもなれない。
放っておいてほしい気分のまま、綾人は歩き続け――――――ようと、して。
「っ!」
何もないところで転んだ。いや、バランスを崩した。
どこかに穴でも開いていたのか。大きな石でもあったのか。
恥ずかしいやら情けないやらで、腹立たしい気分で跳ね起き―――――、
「…ぐ、ぅ…っ」
刹那、燃え上がるような痛みを左膝下に感じた。とたん激痛に全身を縛られる。呻いた。
「なん、だ…これは、ぁ…!」
痛みすら邪魔ものの気分で左足を睨みつけるなり。
綾人は硬直した。今度は、驚愕で。
視覚からの情報が正確であるなら、綾人の左足は、―――――切断されていた。
左膝から下が、すっぱりと。
鋭利な刃物で両断されたかのように。
驚愕と痛みに、恐怖が最高潮に達した。悲鳴を上げかけ、綾人はかろうじで口元を殴るように、拳で覆い、栓をする。
みじめさに、自分で拍車をかけるつもりはない。
いったい誰が、と目を上げるなり。
―――――呆然と、綾人を見つめるあの女性と目が合った。視線がかち合った、刹那。
「あ、…ぁっ」
彼女は、己の罪を目の前に突き付けられた罪人のように、見開いた目を恐怖に揺らした。
喉を痙攣させ、うろ、と迷子じみた拙い動きで手を伸ばし。
一歩、危なっかしく踏み出しかけ。
先ほどまでの毅然とした態度が嘘のように頼りなく、その場で転倒した。
腰が抜けたのか、足に力が入らない様子で、それでも這うようにして綾人へ近づこうと動く。
とたん、ままならない身体にか、もどかしいような表情を浮かべ、絶叫した。
「許してください、お許しください!」
彼女は綾人の血の匂いが立ち込める空間で、土下座するように額を大地にぶつける。
「私は思っただけなのです! 願っただけなのです! あなたにっ、…去ってほしくはないと!!」
懺悔の声に、隠しきれない涙がにじむ。
「知らなかったのです。気づかなかったのです。まさかそれに魔力が乗るなど。思うだけで魔術が織り上がり、発動するほど膨大な魔素が周りに立ち込めているなど! …なにより」
泣き顔を上げ、それでもやはり、その漆黒の瞳は真っ直ぐで。
「お許しください、その程度で怪我をするほど、御方が脆いお身体とは思いもよらず!」
つまり。
彼女は思っただけで。願っただけで。
綾人の足を、斬り飛ばしたと。
そう、言ったのか。
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