第四話 男装の麗人
真新しい蔦に、壁を覆われた古城の外壁。
その上から、彼方を見渡し、不貞腐れた気分で綾人は頬杖をついていた。
城の前方は、見渡す限り、緑、緑、緑。…深い森におおわれている。
彼方まで埋もれ、街の気配もない。他の何かを見つけることは、そろそろ諦めたほうがいいようだ。
顔を上げ、綾人は背後を振り返った。そこには。
圧倒的に巨大な建築物が、そびえている。
大きさ、荘厳さ、芸術価値、品格、美。
すべてが図抜けていた。神話時代の神々でも住んでいそうな城だ。
あえて難点を上げるなら、長年放置されたように傷んでいるところか。
それでも、神韻漂う静寂に包まれたこの場所を単なる生活居住区と考えるのは、畏れ多い。
(こういうの、あくまで観光資源だよな)
この城を裏に回り込めば、また景色は一変する。
所狭しと個性的な家々が立ち並ぶ、巨大な都市が見えるのだ。
最初に目が覚めた場所は、最上階の一室。
急遽誂えたような、だが清潔に整えられた部屋だった。
目覚める前までは、屋外にいたはずだ。唐突に記憶が途切れている。
急な展開と状況に、色々許容範囲を超えたのだろう、おそらくは気絶したのだ。
目覚めた時は、そばに一人の執事がいた。
執事…と見えたのは、優美な室内という背景と、相手の服装からくる錯覚だ。
いたのは女性。きっちりとしたスーツを着ていた。
ただ、そのスーツが、かえって流麗な身体のラインを浮き彫りにしている。顔立ちは、整いすぎて冷徹に見えるが、無視し難い華があった。
間違っても男には見えない。
思い返せば、彼女の対応は、ひどく事務的だった。
まず、彼女は綾人が昨日倒れて今まで眠っていた旨を淡々と伝えた。すぐさま、役目は終えたとばかりに、跪いていた姿勢を解いて立ち上がる。目を伏せたまま、綾人の反応も返事も待たず、まずは食事を準備する、と言って部屋を出て行った。
綾人からすれば、自身の立場は、いまいち理解できない。とはいえ、彼女からすれば、得体の知れない異界人に違いなかった。
面倒を見る姿勢を示してくれただけでも、ありがたいと思わなければいけない。
ありがたいが、与えられるものをじっと待つ気にもなれなかった。
少しでも状況を知りたい。急く気持ちに追われる気分で、綾人は一人、部屋を後にした。
自分の姿を見下ろせば、バイト帰りの格好のままだ。誰があそこまで運んでくれたのだろう。なんにしろ。
「夢じゃ、ないんだな」
綾人はまた、何かを一つ諦め、呟いた。
城の周囲―――――正確には城壁の上を、時間をかけて一周したのは、諦めるためだったような気がして、気持ちが沈む。
再度顔を上げ、綾人は森の彼方を見遣った。目に映ったのは。
―――――黄金に透ける葉。
森のど真ん中に見えるそれは、間違いない。綾人に無茶な選択を迫ったあの存在だ。
分かっている。あれは、木。綾人と言葉を交わしたのは、青年。
だが、なんとなくわかる。あの木とあの青年は、同じものだ。
触媒となる、とはこういうことなのだろう。綾人とあの樹木は何かがつながっている。
少し見ない間に、大木と言って差し支えない大きさに育っていた。昨日は膝くらいの高さもなかったのに。
綾人は大きく息を吐きだした。気持ちを切り替える。ずっとくよくよしていても仕方がない。
情報を仕入れるためにも、もう少し、彼と話をしたかった。
自分が立っている場所と、黄金の葉を揺らす大樹の距離を測る。綾人の感覚で、歩いて三十分と言ったところだろうか。ただ、気になる点がいくつかある。
城壁から下へ降りるための場所がない。階段も、梯子すら。そして。
巨人としか言えない生き物が複数、ゆったりと城から例の樹木までの間の往復を繰り返しているのだが、あれらは何だ。
それらの背の高さは周囲の木の高さを優に超えている。
気のせいだろうか、彼らは木材らしきものを運んでいた。
大きささえ違えば、普通の人間として通りそうな見た目だ。顔立ちはどちらかと言えば、彫りの深い、西洋人と言ったところ。今気づいたが、彼らの額には、小さな角が見えた。一本だったり二本だったり、数はそれぞれだが。
他の樹木に気を配りながら、そっと歩いている。
彼らの合間を、負けじとひょいひょい跳んで往復している人影も複数見えた。こちらは普通の人間の大きさだ。
彼らもまた木材らしきものを担いでいるのだが、傍から見て、普通の人間が持ち運べる大きさでも重さでもない気がした。
数多の違和感に目を瞑れば、その光景は、活気に満ちて、賑やかだ。
最初に会った女性の格好が格好だったから、あまり世界の違いを意識しなかったのだが。
やはり、ここは日本ではない。
(地球でもない、のか?)
綾人は一縷の望みを託して、空を見上げた。
空は青い。太陽は一つ。太陽の位置から考えて、昼と捉えていいのだろう。どうしても類似点を探してしまう。だが、肌に感じる空気が、あまりに馴染みがなくて、類似点を見つければ逆に落ち着かない心地になった。
あまりの現実感のなさに、逆に冷静な心地で綾人は呟く。
「ここってあの荒野…だったんだよな?」
なにせ、あの木が見えるのだから。とはいえ、にわかには信じられない。
彼方に見える黄金の葉に目を凝らした、刹那。
「こちらでしたか、御方」
感情の起伏が少ない平坦な声が、綾人の斜め後ろから響く。
気配もない。前触れもない。さすがに驚いた。綾人の身体が跳ねる。いや落ち着け。
綾人は前を向いたまま、大きく息を吸い、吐きだした。
「お食事のご用意ができております。部屋へ、お戻りくださいませ」
低い位置で声がする。振り向けば、案の定。
―――――さっきの女性が恭しく跪いていた。
なぜだ。要件を一つ告げる程度の用事なら、立ち話で終わらせればいいのに。
その姿は、騎士であると言われても納得してしまうほど、格好よく様になっている。
有体に言えば、有能な雰囲気が格好や所作からにじみ出ていた。そう言った女性と日頃から接したことがない綾人は、傅かれるとやりにくいし緊張する。
黒髪は耳の下あたりで切り揃え、後ろ髪だけが長く、首筋を覆っていた。黒い目は遠慮がちに伏せられている。
彼女の黒目黒髪には少し安心するが、肌の色と顔立ちは、やはり日本人とは違った。
黄色人種とは異なる肌は雪のように白い。顔立ちは、恐ろしく繊細で、かつ華やか。
つまりはどこか作り物めいた美の結晶だ。表情がないから、冷厳に見えて仕方がない。
普通の学生に過ぎない綾人から見れば、たじろいでしまう相手だ。
雰囲気は大人しげだが、きびきびした所作が、彼女の厳格さを感じさせる。
そんな、彼女は。
跪いたまま、じっと綾人の答えを待っていた。
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