第二話 はじまりの神樹
同時に。
とうとう、涎をまき散らしながら、綾人たちの間合いへ、数体の矮躯の恐竜たちが狂った勢いで駆け込んで来た。
合間を縫って、駆け出す。
「死にたくないなら、走れよ! 可能性は、アレだ!」
全力で疾走しながら、綾人は、不吉な暗雲を大きく指さした。
「もうやだぁ!」
頭を抱えて走り出しながら、優香。
「助けてえ!」
隣で情けない声を上げたのは、恭介だ。
綾人の声に、二人が鞭打たれたように続いてくれたのは不幸中の幸い。
腰を抜かしている暇などない。
ただ、綾人たちをこの場に連れてきたらしい男は動かなかった。
蹂躙された彼が、あっという間に肉片になったのを尻目に、綾人は歯噛みしながらも全力で逃げるしかない。
助ける力など、綾人にはないからだ。
しかも、目的地へまっすぐ駆ける綾人たちの眼前にある障害は、恐竜たちだけではなかった。
西洋風の鎧を身にまとった者たちや、生身で凶悪な武器を携えた者など、ケモノではなく意識を持つ、人間たちがいた。
厳密には違うかもしれないが、質問している余裕などないし、そもそも好意的に接してくれるとは思えない。
内の鎧の二体が、あまりに迷いなく駆ける綾人を脅威と取ったか、低い姿勢で馳せ寄ってくる。
漆黒と、純白。
どちらも血塗れだ。
だが、双方とも、他と格の違いを感じさせるくらい、その動きは切れ味鋭く、甲冑のラインは美しい。
その手に握られた大刀が左右で振り上げられた、直後。
「俺たちは召喚された労働力だ!」
綾人は叫ぶ。
奴隷です、と宣言した気分だったが、ちゃんと勝算あってのことだ。
さっきの男は、別の世界から労働力を奪うと言った。
そして今身近にいる相手は、立派な甲冑をまとっている。
心ある騎士なら、誘拐してきてしまった相手に罪悪感くらい覚えるんじゃないか?
咄嗟に、綾人はそう判断した。もちろん、半ば博打だ。正反対の結果が出る可能性だってあった。
結論から言えば大当たり。
相手は、びたり、動きを止める。
門のようになって停止した刃の真下をかいくぐり、綾人はひた走った。
どうも、甲冑をまとった連中は、綾人たちの目的地を守護している立場のように見える。
幸い、引き留められることもなかった。
綾人たちの、あまりの無力さゆえに、見逃されたか。
「で、でも、あの勾玉みたいなののところに行ってどうするの? 誰も近寄れないみたいだけど」
必死についてくる恭介がべそをかきながら尋ねてくるのに、叫ぶ。
「お願いするしかないだろ!」
綾人だって、そんなの知らない。
この終焉の光景の中、誰かを助けてくれる心の余裕を持ってる相手が本当にいるのかどうかも怪しい。
それでも、逃げる場所もないのに逃げ惑うって言うのもばからしいじゃないか。
だったら、少しでも可能性のある方を綾人は取る。
(帰るんだ)
問題の場所へ近づくたび、人影が減って行った。
あの、小型の恐竜みたいな生き物は、完全に近寄れないみたいだ。
「な、なあ! 綾人、なんか変じゃね? 近寄るたび、重力が増して行ってるみたいな…」
恭介がよろめくのに、綾人は断言。
「気 の せ い だ !」
「遠目に見えた暗雲の中じゃ、視界も真っ暗だよ! 根性で何とかなる話じゃ…うわっ」
恭介の隣で、思い切り優香が転んだ。
「ゆ、ゆうか、大丈夫か!」
「早く帰りたいよぉ、もう帰ろうよぉ」
とうとう、優香がわんわん泣き出した。こうなると、恭介は優香から離れられない。
「…綾人っ」
幼馴染が呼ぶ声を背に、綾人は一人、先へ進む。
この辺りにはもう、危険はないようだから、一人でも平気だ。
二人を見捨てるつもりはない。
だが助かるためにも、行ってどうなるかは分からないが、試してみる人間が必要だった。
「優香を頼む」
これがいつもの綾人たちだった。子供の頃から、こうだ。
結局、途中でリタイヤする二人を尻目に、綾人一人が突き進む。
平気だ、無事帰れるさ。というか。
「絶対、帰る」
女手一つで育ててくれた母親が、夕飯を作って待ってくれている。
一流企業で快進撃を続けている兄貴は、テレビを前に馬鹿笑いしている頃だろう。
今年高校に入学したばかりの妹は、最近お気に入りのラジオを部屋で聞いているはず。
帰るんだ。あの家へ。
思いのままに、手を伸ばした。髑髏へ。正確には。
髑髏の口の中の、紅い勾玉に。刹那。
―――――…しぃ…
囁きが聴こえた。と感じるなり。
ぞぶっと泥沼にでも足を踏み入れたような感覚に、全身総毛立つ。
たちまち、おぞましい声が、脳内に反響した。
―――――欲しい欲しい欲しいほしいほしいほしい…
全身振り絞るような渇望の絶叫。綾人は髑髏を睨む。
「乞食はすっこんでろ」
こんな欲望は、何も持っていないから抱くのだ。
持たざる者は乞食で間違いない。
ならば、コレは綾人が求めているものではなかった。
お前はお呼びじゃないんだよ。
「帝王はどこだ、話をさせろ!」
王者こそ、与える者。帝王。
綾人が、用があるのはそちらの方だ。
あらん限りの力を込めて、吼えた。
とたん。
―――――そなたに、決めた。
涼しい風に似た、さわやかな笑い声が突如綾人を包み込む。
直後、全身にかかる重さが消えた。息苦しいような、視界を遮る闇の嵐も唐突に失せる。
耐えていた反動が生じ、たたらを踏みそうになった。
でも呑気に転んでいる場合じゃない。
ぐっと足先に力を入れた。
踏みとどまる。
勢い良く、顔を上げた。瞬間。
「ほお、青年かと見えたが、まだ少年と言っても差し支えない年頃の男子(おのこ)よな」
―――――目の前に、青年が立っていた。
白い水干姿。
純白の髪。
白皙の肌。
目尻に赤い化粧(けわい)を施した、紺碧の双眸の、品が良い男。
気後れするほど整った容姿をしている。
かといって女性的でもない精悍な美貌が、綾人の顔を覗き込んで不意に綻んだ。
「名乗りを上げよう。我は、この世で御神木と崇められるもの。はじまりの神樹である」
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