10分間救世主
野中
第一話 奴隷召喚されました
「さぁ、働け」
藤(ふじ)綾人(あやと)はバイトから帰ろうとスタッフルームの扉を開けたところだった。
いきなりの不躾な言葉に、相手が店長と予測し、ため息。
また次のシフトの人間が休みの連絡をぎりぎりで入れてきたのか、と見下ろしていた腕時計から顔を上げれば、そこにいたのは薄汚れた灰色の外套を被った初老の男だった。
こんなところに浮浪者が、と顔をしかめるなり、…綾人は固まった。
―――――そこはなぜか屋外だった。
空は曇天。
足元は草一本生えていないむき出しの大地。
そして、雨でも降りだしそうな湿気がこもっていた。
開けたばかりのドアすら、いつの間にか消えている。
後ろからついてきていた幼馴染の二人ともども、揃って、土の上にがりがり描かれたヘンな紋様の上にいた。
「ど、どこだよここ…」
後ろの幼馴染の一人が呟く。何度も小刻みに眼鏡をかけなおし、忙しなく周囲を見渡していた。
「なにあれ…まさか、血…?」
目をすがめて周囲を見渡し、口元をおさえたもう一人が、絶句して固まる。
綾人にできたのは、せいぜい不機嫌に応じることだけだ。
「知るかよ」
荒野には、他にも大勢の人影が点在していたが、あちこちでいきなり炎が生まれたり、氷が地面から生えたりしている。
周囲に立ち込める、怒号、咆哮、悲鳴、絶叫。
見渡す限りの光景の中、武器や死体が散乱していた。
いっきに、胃が気持ち悪くなる。
いきなり突き付けられた光景は現実味がなかったが、あまりに酷かった。
綾人たちは、その真っただ中にいる。しかも。
はるか遠くに見える丘の上には、暗雲が渦を巻いていた。一目でわかった。
あれは、まずい。ここでい続ければ死ぬ。アレのせいで。
なのに戦う者全員、そこを目指している。
どうなっている。
しかも恐竜みたいなのが、そこらを駆け回っていた。
大きさは馬くらいだが、蹴られたら死ぬぞ、あれ。
「少なくとも見覚えがない場所だ。見たことない生き物もいる」
「まさか異世界、とか」
「バカ言うな恭介」
眼鏡の幼馴染、―――――恭介が言う言葉は、否定できないが、そんな場所に来る理由が綾人にはない。
恭介とて、ゲームや小説は好きだが、綾人と同じで、それと現実ははっきり分けて考える傾向にある普通の高校生だ。
揃って、日本とは一風変わった場所に立っている事実が呑み込めず、疑問符だらけの視線を合わせる。同時に。
「やだ、触んないで!」
もう一人の幼馴染が声を上げた。
見れば、冒頭、働けと告げた初老の男が彼女の手を取っている。
「優香!」
綾人と恭介が彼女を引き寄せれば、彼女の手首にはタグのような紙が巻かれていた。
文字らしきものが書かれているが、読めない。
無言で、男は同じタグを恭介と綾人の手首にも巻いた。
骨と皮だけみたいな手を見て、なんだか気の毒に思ったが、おそらくコイツが諸悪の根源だ。
何がどうなっているかは知らないし、ここがどこかは分からないが、この場にとどまるのは危険だ。
そもそも、バイトで疲れているし、さっさと帰ってご飯を食べて、風呂に入って寝たい。
綾人はきっぱり言った。
「俺たちを元の場所へ帰せ」
この、吹けば飛ぶ木っ端みたいな男相手に強気で出るのは気が引けたが、事情を知っていそうなのは彼だけなのだ。仕方がない。
「無理だな」
案の定、男は首を横に振る。そのとき、不思議なことに気付いた。
男の言葉を理解はできるが、彼の唇が紡ぐ形と言語が合っていない。
いや、今こだわるべきはそこじゃない。
「労働力すら他の世界から奪わなければならん状況だ。精気も魔素もない現状で、貴様らを帰す力などもうないわ」
だから、働けって言ったのか。
だが、こんな状況で何をするというのか。
「連れてきたんならできるだろうが。無責任だな」
綾人は呆れた。そもそも、
「そんな状況でどうやって連れてきたんだ」
「…死体ならたらふくあったのでな」
常軌を逸した答えが返る。すぐ、脳内から抹消。
「世界自体も穴だらけだ。なんにしろ、この世界はあと少しで滅ぶ」
「あんたは、すぐにも滅ぶ世界に、労働力としてオレらを連れてきたのかよ」
恭介が唖然と言った。嘘だろ、と。
男は不貞腐れた態度で鼻を鳴らす。
「滅ぶ恐怖をワシだけが味わうのは理不尽だろう」
ぶっ飛んだ答えが返った。
どうやらこいつは救いを求めたわけでもなければ、この世界で明日が続くと思ってるわけでもないらしい。
絶望に他人を巻き込んで憂さ晴らししようってわけか。ふざけんな。
「労働力を他の世界から奪うのが、ワシの仕事だった。だからいつも通り、仕事をしただけだ。お前たちも働け。あと少しで滅ぶがな」
「滅ぶ滅ぶってうるせえな」
綾人とて、いつも通りの仕事をして、いつも通りに日常をこなそうとしていただけだ。
学校帰りに毎日バイトしているのだって、大学の学費を貯めるためで、後ろめたいことは何もない。
今日もいつも通りに終わらせ、明日もいつも通りに始める。
悪いが、よその世界の事情なんか知ったことじゃない。
「だったらてめぇらだけで勝手に滅んでろ、俺は帰るぞ」
ココがどこでどういう状況だろうが、知ったことか。
すくなくとも意図せず連れてこられたならこれは誘拐だ。犯罪だ。
匂いや空気が、これは現実だ、と残酷に告げてくる。ここは日本じゃない。地球でもない。
まったく、縁もゆかりもない場所だ。
―――――異世界だ? よし、なら、そうかもしれないと認めたところで。
でもそれがなんだ。綾人は拳を握りしめた。
俺は帰るぞ。こんな状況、すぐ笑い話にしてやる。
「でもどうやって!」
優香が泣きそうな顔で叫ぶ。昔から、メンタル弱いな、お前。
おろおろ恭介が優香を慰めるのもいつもの光景。逆に綾人は落ち着いた。
「おい、おっさん。やりようはあるんだろ。答えろ。知ってることぜんぶ」
「…世界の根源たる御神木なれば方法もあったろうがな」
男は、丘の上に見える暗雲の渦を見上げた。同じ方向を見上げ、綾人は目を細める。
暗雲の中央。雲が切れた合間に見えたものに、息を呑んだ。
男が陰鬱に呟く。
「御方(おんかた)がああなっていては、是非もなし」
見えたのは、白い髑髏。
そして、大きく開いたその口の中に、輝くものが見えた。それは、
「―――――勾玉?」
見覚えがあるシルエットに呟けば、
「あ、ほんとだ」
恭介が、綾人の呟きに応じた。男がどうでもよさそうに尋ねる。
「それは、紅いか」
「そうだね、赤い」
「ではそれが、御神木の種だな。…もう、そこまで縮んだか」
縮む? 世界の根源とやらが? それってもう本当にギリギリな状況なんじゃ?
思うなり、綾人は焦りを振り払う。
「御神木とやらが何だろうがどうでもいい」
男に言ったというより、それは自身に言い聞かせた言葉だ。
要点だけを押さえて動け。
他は考えるな。
「それがあれば、帰れるんだな」
「可能性があるとすればそれだけだ。やりたいならやってみろ」
男は、どこまでも投げやり。だが、逆を言えば。
もう世界が滅ぶ、自分が死ぬという時に、嘘をつく余裕などあるまい。
「死がはやまるだけだろうが」
嫌味に言葉を続けた男を前に、
「なんにしたってなぁ」
綾人は、ととん、と地面の上で足踏みした。
さっきから、恐竜たちが間合いを詰めてきているのだ。
幼馴染二人に、目で合図した。
「じっとしてても死ぬだけなら」
使い古しのスニーカーの馴染み具合を再確認。綾人は、今度は地面を蹴った。大きく、前へ出る。
「走るしか、ねえだろ!」
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