お彼岸とか葬儀とか

 カミサンのお母さんのお姉さんという方が亡くなった。


 カミサンからみれば、叔母さんである。


 義父はあっちこっちの親戚と連絡を取り、病院通いの合間をぬって葬儀に参加した。

 

 カミサンにも一応声はかかったらしいが、彼女が葬儀に行くことはない。


 義父は先祖崇拝や葬儀になると人が変わり俄然張り切る。一緒に住んでいる家族とコミュニケーションも取れない位になってしまった今でさえ、それは変わらない。カミサンのお母さんの30回忌などは、自分は病気だから行けないので、私とカミサンで行ってきてくれないか、などと言い、私達は仕方なく墓のある所に行き、よくわからない札をもらったり、お経を上げてもらったりしてきた。カミサンは幾らかが入った袋を坊様に渡していたが、この金額、実は先方から指示があるとかのことで、これまた私達の癪に障るのである。


 こんな勝手なことをする傍ら、自分では行政の補助があるタクシーチケットを使って、毎日食べたいものを買いに行く。自分の欲求を満たすための買い物なら歩けるのに、自分がちょっとでも嫌だと思うことでは歩かない。自分の欲求を満たすためだけに生きている彼との生活が、特にカミサンにとって大きなストレスとなってしまっている。


 かつての我が家も同様だった。私の父は金がないと言いながら私を育てたにも関わらず、高尾の山の中に墓を買った。彼なりのこだわりだったのだろうが、これもまた残念ながら私達には子供がいないので、あと数十年すれば価値のないただの石となってしまう。


 墓参りに代表される先祖崇拝は日本人として人間として大事なのかもしれない。でも、こだわりすぎるあまり、身近に生きている人に嫌な思いをさせてしまうのなら、それは本末転倒である。


 義父の生き方や動きを見ていると、先祖崇拝や葬儀参加への執拗なまでの執念が感じられる。言葉は悪いのかもしれないが、そんなことよりも、一緒に住んでいて、トイレや家の掃除をしたり、最近では換気扇を取り換えるなど経年で傷んできた箇所を修理したり、ゴミをまとめたり出したりしている私達にもう少し感謝するとか、自分が病気で行政や沢山の人々に支援してもらっている事に感謝するとか、そういった方面への気遣いをして欲しいな、などと思った。


 葬儀出席に関して義父といろいろあったのか、カミサンは昨日久しぶりにストレスから体調を崩してしまったので、こんな事を書いてしまった。


 とにかく、死んでしまった人はともかく、生きている人を大切にしてほしいものである。



 

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