会議
義父はリカバリと称して、デイサービスに行っている。
月、水、金の週三回、車が迎えに来てくれて、デイサービスを受け、午後四時過ぎに帰ってくる。
この、義父のいない時間が唯一、妻にとっての安らぎの時間だ。
義父は何とか歩くことはできるが、身体が大きく、病気もしたため風呂に入ることができない。そのため、デイサービスに行って身体を洗ってもらっている。
この施設では、リハビリ会議と称して、施設の責任者、本人、サービスの現場の方、施設の事務方、担当のケアマネージャー、そして家族が集まり、数ヶ月に一度会議が行われる。家族として妻に声がかかり、妻が出席していたのだが、内容は身のあるものではなく、行政からの補助を受けるための、あくまでも形式的なものではないかと、妻は嘆いていた。
妻はパートの時間を調整し、何度かはこの「リハビリ会議」に出席していたのだが、内容がないし、父の言うことに一々腹が立ち、ストレスになることから、出席する意味が無いと判断して、数回出席した後は断っていた。
やがてコロナ禍となり、会議は消滅したかに見えた。
しかし今回、義父から妻に一枚の紙が渡された。その内容は、かつてのリハビリ会議を、我が家で開催する、ついては、ご家族のご協力、ご出席を賜りたく云々、との内容だった。
義父は、お願いしますでも何でもなく、ただ一枚紙を渡すだけだ。自分のことで会議が開催され、それが自宅で行われ、家族の誰かが都合を付けて出席しなければならないのに、それに対して一言もない。わかっちゃいるけど、妻は腹を立ててしまい、大きなストレスを抱えてしまった。
その会議が今日、我が家で行われる。
高価なペースメーカーにて心臓を動かし、夜間は酸素を吸入し、挙げ句の果てには透析が間近だというのに、自分勝手な食生活を辞めず、好き勝手に暮らしている彼。関係者は、彼の老いと病から発生する報酬で生計を立て、私達の貴重な税金が注ぎ込まれていると思うと、いたたまれない気持ちになってしまう。
こんなのやらなくていいので、自然の淘汰に任せておけばいい。
どうして毎日下剤を飲んで便を出さねばならないのか。その薬を仕分けするために訪問看護などが来なければならないのか。
「なるべく感情的にならないように、腹を立てないようにして、早く終わるようにするからね」
今朝、妻はこう言っていた。
私がもし出席してしまえば、大変なことになるだろう。
まったく、何のための介護なんだか、わかりゃしない。
これじゃ日本もそう長くはないだろう。
この会議も、今回限りにして欲しいものだ。
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