家族な友人

 妻の友人が倒れた。


 私も妻も今までの数十年間を生きてきた中で、それなりに友人はいる。私は高校の同級生と今でも付き合いがあるが、妻は殆どと言っていいほど友人との付き合いがない。


 そんな中、唯一今でも時々合って話をしている、仲の良い友人が倒れてしまった。


 昨年妻が病気で倒れた際には、「家族と同じだから」と接してくれた。


 本来なら私が病院に付き添って行くべき所、何度も仕事を休むと、お金の面は当然ではあるけれど、今もらっている比較的内容の良い仕事を、他の人に取られてしまうような気がして、私は会社を休んで病院の付き添いに行くことに積極的になれなかった。結婚して20年以上が経つので、ある意味冷酷なこの態度を妻もわかっていて、妻はこの友人と一緒に通院をしてくれた。


 家に迎えに来てくれて、病院内では調子の悪い妻の付き添いをしてくれた。こんな言葉を使っていいのかはわからないけれど、病院というのは、いろいろと面倒臭い事がある。家族の付き添いが必要だとか、家族と一緒に話を聞きに来て下さいとか、家族が平日の昼間に呼び出されることがよくある。


 こっちは最低限の食い扶持で毎月カツカツではあるものの何とか生活している。拘束時間と給料のバランスがいい今の仕事を他の者に取られてしまえば、更に状況は悪化する。


 死にそうになっているのなら仕事を休んで行くけれど、妻は何とか一人で行くことができる状態だったし、話だって電話でも何でも方法はあると思ったので、私は自分で態度を決めていたのだが、それを知った妻はこの友人にお願いをするという状況になっていた。お願いされる彼女も、我が家の状況をわかってくれていた。


 妻が大病をしたのにも関わらず、何とか回復することができたのは、この妻の友人のおかげと言っても過言ではない。妻の入院以来、お互いに何かがあった時の為に、私は彼女のLINEの連絡先をもらい、妻も彼女の子供のLINEを知っている。


 彼女は妻と食事中、突然具合が悪くなり、家に帰ってもいいかな、と言った。妻は家まで送って行くからと言ったものの、彼女はそれを断り、一人自分の車で帰途についた。途中で更に気分が悪くなってしまい、もうダメだと思った彼女は車を停め、自ら救急車を呼んで、病院に搬送されたというのだ。


 これを聞いた妻は、自分が家まで送って行けなかったことを悔やみ、泣きながら私に状況を話してくれた。


 循環器系の疾患だったのだが、入院して検査した結果は何ともなく、更年期やストレスから来る症状かもしれない、という診断だった。


 妻から聞くところによると、彼女も仕事や家族に対する事で、肉体的、精神的にも無理を重ねていて、とても心から幸せいっぱいという状況ではないらしい。


 いつまでも自分は30歳位だと思ってしまっているが、確実に歳を取っており、身体の負荷に対する抵抗力もこれまた確実に衰えている事を忘れてはならない。


 私達の世代には年金などあるかどうかもわからないし、あっても雀の涙なので、せめて健康第一で、何とか人様にご迷惑をおかけすることなく、人生を全うしたいと思っている。


 彼女は数日の入院を経て退院し、今日から少しずつ、仕事に復帰すると言うことだった。これを聞いて私も妻も安心したが、彼女は今までかなりのハードワークをこなしていたようなので、今までのように無理はしないで欲しいと願うばかりである。


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