シラミ捕り大会
私は小学生の頃、周囲の友人達が田舎に帰省するのがうらやましかった。
父の生まれは大田区蒲田、母の生まれは文京区小石川、私は江戸っ子だ。
田舎などない。
父の実家はよくわからない。父は長男で、弟が一人おり、その下に女性が四人いる。
母は私と姉をよく、小石川の実家に連れて行った。8時だョ、全員集合!でドリフターズが活躍した、文京公会堂の目の前。最寄りの地下鉄後楽園駅まで、丸ノ内線でよく行った。赤いボディーに白い独特のラインが描かれ、つり革が斜めに付いている丸ノ内線。新宿駅は未だに西だか東だかがよくわからないが、京王線から丸ノ内線への乗り換えの道は、今でも思い出すことができる。
母も父と同様兄妹が多く、母には姉、兄、妹、弟がいた。
第二次世界大戦当時、都市部への攻撃から逃れるため、都会の子供達を地方へ避難させる、集団疎開が行われた。これは小学校3年生から小学校6年生に対して行われた。父と母はちょうどこれに該当した。
父は新潟へ、母は宮城県の鳴子へ、集団疎開した。
父は酔っ払うと、新潟が何とかかんとか、あの時はああだったこうだった、と言っていたが、私達に聞かせたり、説得するレベルの話ではなかった。ただ、父の頭の中には、小学生当時の疎開の記憶があるらしいことは、その喋りからわかった。
母は時々疎開時の事を話してくれた。鳴子は宮城県である。私は東京を離れ、巡り巡って今は宮城県に落ち着いている。仕事で何度も鳴子にも行っている。何という偶然。
集団疎開では、身体だけが先に行き、その後で家から荷物が送られて来た。その荷物によって、その子が何たるかが、子供なりにわかるのだと言う。
家の中でかわいがられている子は、きちんとした荷姿の荷物が沢山届き、そうではない感じの子だと、それなりの荷物しか届かない。
荷物の到着もそれぞれで、なかなか届かずに気を揉むこともしばしば。
みんなで集まって体操をしたり、東京では体験できない大自然の中でいろいろな事をしながら過ごしたらしいが、中でも興味深かったのが、シラミ取り大会だ。
身体や髪の毛に付いているシラミを取り、それを小さな瓶に入れ、その数を競う。
庭や畑で取るのではない。一緒に疎開している友人の身体から取るのだ。
いろいろな瓶があっただろうが、どんなに小さくても、ポケットに入れればゴロゴロする位の大きさはあったと思う。その瓶の中にシラミを入れ、その数を競うとなれば、かなりの数のシラミが必要、ということになる。
当時の衛生状態なら、ぎょう虫だって、大腸菌だって、そしてシラミだって、今に比べたら格段に多く、身の回りに存在していたのだろう。
それでも子供達は、それを大会にして楽しみながら、毎日を頑張って過ごしていた。小学校の中高学年ともなれば、今、自分の住んでいる地域がどのような状況で、自分がどうしてこんな所に送り込まれているのか、それなりに理解出来ていただろう。
それから一世代、屎尿を畑に撒くこともなくなったので、大腸菌が付いた野菜などが販売されることもなくなり、シールぺったん、恐怖のぎょう虫検査も廃止され、住まいの遮へい性が高まるなど、周囲の環境は格段に良くなった。
しかし同時に、今まで世の中に出てくることのなかったインフルエンザや新型コロナのウィルスが、私達を苦しめる事となってしまった。
便利な生活への代償なんて偉そうな事を言うには証拠が足りないけれど、私はいつも、便利すぎる生活を送り続けている事自体が、巡り巡ってこのような形で、私たちに何かを訴えているような気がしてならない。
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