スーパーカー
インスタグラムで、仕事をしているかつての旧友をフォローしている。多分、向こうはわかっていない。
彼とは地元の友人で、免許を取得してからあっちこっちへ一緒に出かけた。車で東京から北九州まで行ったこともある。
かつての「屋久島のとびうお漁師はトレーラー暮らし」のHPでは、田舎暮らしに目覚めた経緯を少し書いたが、そのモデルとなっているのが、彼との車でのキャンプである。
お金を節約するためにテントを張って野宿をし、焚き火を焚いて語り合った、いわゆる竹馬の友だ。
親同士も仲が良く、結婚してから、カミサンに紹介した唯一の友人だ。
数年前、「以前のようにキャンプをしようよ」と、誘いがあったが、私は当時、自営業でこしらえた借金の事で頭がいっぱいで、それこそ自己破産寸前の状況にあり、申し訳なかったが顔を合わせることができる状況ではなかったので断った。
彼と私とは、好みも生活状況も全く違う。彼との関係は、カミサンが私と出会って、今でも不思議がっている事の一つだ。
何があろうと、中学生から社会人になるまでの多感な数年間を共にした仲は、そう簡単に崩れるものではない。
しかしここ数年は、彼との距離が離れてしまったのを痛切に感じている。
彼は雇われではあるものの、とある会社の社長で、ウィキペディアで検索すると名前も載っている。
そして極めつけは、おしゃれ関係の仕事をしていることだ。靴や時計やファッションのエキスパートであり、日本における第一人者となっているのかもしれない感が漂っている。
私と同じで、彼も車が好きだ。
車好きに関して、始まりから途中までは同じだったが、しばらくすると行く方向が二つに分かれた。
取材ではあったものの、彼は二億円のスーパーカーに乗って、私のスマホにあらわれた。フロントガラスがない、究極のスーパーカー。奇跡的な晴天の中、フロントガラスのないスーパーカーを走らせながら微笑む彼。
私だってスーパーカー世代だし、車は好きだけれど、修理や故障などの高額な維持費用を考えると、知らぬ間にスーパーカーには乗りたいとも思わなくなっていた。
昭和に買った車を今でも大切に修理しながら乗っているし、家の車だって、11万キロ走っているけれど、まだまだ乗ろうと思っている。
「名誉やお金やモノは、いくらあっても幸せにはなれない。むしろ、そこから墜ちる時の事を考える時のストレスが半端ではなく、実際にはお金を持っていない人よりも幸せではない場合が多い」と読んだことがある。
そうなのかもしれないが、一緒に原付に乗り、車に乗り、キャンプに行って時間を共にした竹馬の友が、2億円の最新のスーパーカーに乗ってスマホに現れたのだから、自分が蹴落とされたような劣等感、お金や生活に関して、それ程のレベルにして上げることができなかった罪悪感に苛まれないわけがない。
「あんな仕事なんかどうでもいいんだ。どこか田舎に行って、野菜でも作りながら暮らしたいよ…」
彼はかなり前にそう言っていた。
本音だと思う。
仕事という、与えられた運命の中で頑張っている彼は、心から幸せなのだろうかと逆に考えてみると、そうでもないのかもしれない。ただ、社長として、仕事としてやらなければいけない事をやっているだけであって、おそらく心の底からの幸せは感じられていないと思う。
人生において何が幸せなのだか、答えを出すのは難しいけれど、少なくとも、お金があるから、地位があるから、名誉があるから、幸せになれるものではないと思う。
私は昨日夜、食事の後、翌日のMRIの検査に出かける準備をしている妻の姿を横目に、ミンネで販売予定の作品に色を塗っていたのだが、こんな事でも充分に幸せだった。妻が病気を克服し、一年間、転移などがなかったことや、今、こうしてお客様の元へお届けする予定の我が息子達に息を吹き込んでいるんだという、何とも言えぬ充実した気持ちが、昨日夜の私にはあった。
コロナが明けて落ち着いたら、彼と連絡を取ってみようと思う。
週末は、庭のトマトとナスの手入れもしなければな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます