ケチの行く末
携帯電話はドコモを使っている。
今月は 0.72G 使っており、あと 0.28G 使ってしまうと電話代が1000円高くなる。
今までは気にせずに使っていたが、今月はやけにこの1000円が気になって仕方ない。
今週から節約を始め、1Gに抑えてやろうと張り切っている。
スマートフォンで文章だけを見ようと頑張っても、イメージの広告が出てくるので、パケ代がかさむ。マイドコモというサイトで利用データ量を見てみると、この広告がかなりデータを食っているのがわかる。
外でのYouTubeなどは論外だ。こんなのを見たら即死である。
大昔にHPを作っていた際、ホームページビルダーのマニュアルには、「各種イメージはデータが大きいので、データを小さくしてアップしましょう」と書いてあった。
私はその通り、各種JPEG画像の解析度を下げてアップしていた。とびうおなんかは、輪郭がボケて蜃気楼の中を飛んでいるような感じになってしまったが、こうすることが礼儀なのだと思い、HPデータの削減に励んだ。
この頃はまだ、PCでしかHPが見られない時代なのにである。
今となってはどうだろう。
デジカメよりも性能の良いカメラのついたスマホで、物凄いデータ量の写真や動画をじゃんじゃん撮りまくり、それを当たり前のように、どこからでもSNSにアップしてしまう時代がやってきた。
かつて、遠慮しながら、自ら契約したサーバーにJPEGの画像をちまちまとアップしていた身としては、隔世の感があるどころではなく、高画質のデータを大量に扱うことにおいては拒絶反応さえ覚えてしまうのだ。
電気が発明され、今は自由に使えるようになったけれども、今年の夏はおそらく電力が逼迫し、大変なことになりそうな気がしてならない。いや、なる。
車が発明され、人々は簡単にあっちこっちへ移動できるようになったが、便利さと引き換えに地球は既に壊れてしまった。人々は手に入れた便利さだけを我が物顔で享受し続けるばかりで、事の重大さに気づかぬふりをしている。ようやく動き出したような気もするけれど、グレタさんの言う通りで、次世代への後回し感は否めない。
家にいながら簡単に食べ物を頼めるようになったし、商品を買えるようにもなったけれど、目的の物を手に入れた後には、とんでもない量のプラスチックや段ボールが残る。ゴミを処理するにしても、リサイクルするにしても、これをこの先一人一人が続けて行ったとしたら、次の世代はどうなってしまうのだろう。
私が1Gにこだわってしまう、隠れた理由がこんな所にあるのかもしれない。無駄な物を使わないで下さいね、それはもったいないんじゃないですか、という、多くの人々が既に麻痺してしまった感覚。何とかそれに再び気が付いて取り戻し、できるなら今すぐにでも改善して欲しい気がするのである。
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