便利なもの
便利な物が続々と開発、発売されている。
今日のニュースでは、渋滞時に運転手が何もしなくていいというシステムを搭載した、ホンダのレジェンドという車が紹介されていた。
価格は1,000万円。
また、中国のファーウェイが作っている最新型のスマホらしからぬ、パソコンのような機能を兼ね備えた携帯型端末は32万円で、予約がじゃんじゃん入っているらしい。
こちらは電子部品の調達が難儀していて、更に価格が高騰している。
なんじゃこりゃ、という感じである。
便利な物は、何でも電気が絡んでいる。東日本大震災の被災者だからじゃないけれど言わせてもらうなら、停電したらどうするのだろう。
長い人間の歴史の中で、これほど取り巻く環境が変化している時代があっただろうか?
徳川将軍が15代にわたって日本を動かしていた江戸時代は約260年間だったが、その間にこんな変化があっただろうか?
例えば私達が食べているもの。以前は畑で作られた作物が八百屋で販売され、それを食べた私達は厠(かわや)に排泄し、し尿が肥溜めに運ばれ、肥料として再び使われていた。確かに不便だったのかもしれないが、全ては当たり前に循環していた。
今はどうだろう。
作物は物流に乗せられ、スーパーマーケットで販売され、それを食べた私達はウォシュレットの付いた豪華絢爛なトイレで排泄する。処理場に運ばれた汚水は、電気によって処理されたのち、自然に還る。
東日本大震災の際は、この処理場が津波でやられてしまったので、しばらくの間、汚水処理ができなくなった。生活排水はできるだけ流さずに、庭に撒いて下さいという指示が出た。
この仕組みを通る際に電気や水、紙などを大量に使うようになった。物流だって直接的には大量の化石燃料を使うし、運んで販売するにあたってはラップやトレー、コンテナなども大量に必要となる。冷蔵の什器などに陳列するなら、ここでもまた、電気が必要になる。
今の世の中は便利になった反面、これが何らかの災害に遭ってしまうと大変なことになるという、脆弱とも言える側面を持つ。東京でこうなってしまったらどうするのだろう。
スーパーでは野菜が袋に入っていて便利だが、一方で、これがゴミとして出てしまう。人間の一連の生活が便利になったのはいいことなのかもしれないが、その裏では石油や電気がそれこそ大量に使われており、これが今、問題となっている。
人間は頭がいいけれど、頭が良すぎて、この地球をよりおかしくしてしまっているような気がしてならない。
1000万円もする、渋滞時に自動運転できる車。
高性能な持ち運びができる32万円のコンピューター。
こんなもの、必要なのだろうか?
便利になるのは歓迎だけど、ちょっとやり過ぎなような気がする。
どこかでセーブしなければ、とんでもない方向へ向かってしまう。
私達の世代はいいけれど、この先の地球のことを考えるなら、ちょっと考え直さねばならない時期に来ているのではないだろうか。
ということで、グレタさん、よろしくお願いします。
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