梅雨がなかなか明けない。


 東京にいた小学生の頃の、こんな出来事を覚えている。


 東京地区は確か7月20日に終業式があり、そこから楽しい夏休みがはじまる。その年の7月20日は雨だった。


 終業式を終え、家に着いたものの、なかなか雨はやまない。せっかく夏休みになったのだから遊ぼうと、家に帰った私はカツオの如く、グローブとボールを持ち出し、雨の中、壁あて、他人様のご自宅の壁に向かってボールを投げるという、いつものルーティーンをはじめた。


 すると、梅雨の時期にぐずぐずと降っていた雨が突然止み、太陽と青空が現れて、強い光線でアスファルトをじりじりと焼き始めた。


 アスファルトに溜まった雨が太陽光線で熱され、しばらくすると水蒸気となって、もやもやと蒸発しはじめた。


 突然現れた真夏の太陽と、もくもくと煙のように蒸発をはじめたアスファルトから立ち上がる水蒸気を見ながら、子供ながらに、「これが梅雨明けって言うんだな。もう雨も降らないんだよな。明日からの夏休み、楽しみだな」と思ったのを覚えている。


 今年はなかなか梅雨が明けないが、まあ、こんなものだろう。



 屋久島は、沢山雨が降る島だった。県道を走っていると、雨が降った場所、降らなかった場所の境が、ハッキリとわかる事がよくあった。車で走っていると、雨が追いかけてくるように感じることもあった。


  何度かしてみたバイトで、地元の高校生と喋ったことがあったが、彼らは屋久島を「雨がちょっと多いけど、いい島だよね」と言っていた。


 私が持ち込んで住んでいたキャンピングトレーラーのカシータは、アメリカのテキサスで作られている。テキサスの気候は、屋久島のそれとは正反対の乾燥地帯なので、かなり大変だった。


 形が丸っこいので、雨には強そうに見えるが、実は雨にとても弱い。あっちこっちから雨漏りが発生し、何度も床がびしょびしょになった。その都度コーキング材を買ってきて修理をしていたが、雨の通る道を外装上に作らねばならず、走る我が家は段々とかっこ悪くなって行った。


 屋久島の雨は手強かった。殆どが、雨粒が地面から跳ね返る感じの強い雨だったし、台風も、勢力が衰える前にやって来ることが多く、今まで経験したことのないような、強力なものが多かった。


 漁師をしていたので、カッパを着る機会が多く、海でいつも潮をかぶっていた。そのせいもあってか、雨に濡れるのは何とも感じなくなっており、その点だけはよかった。


 

 今住んでいるこちらの地域は、雨が比較的少ない地域と言われている。梅雨時には、日本で一番気温が低い事もよくある。しかし最近では温暖化のせいもあるのか、屋久島レベルの足元から跳ね返る強さの雨が降る事も増えてきた。今、自宅近くの川の河川敷には重機が入り、河川敷をかさ上げしているようだ。


 令和2年7月豪雨で被災された方々に心よりお見舞いを申し上げると同時に、今後は日本の各地がこのような状況になってしまう可能性があることを覚えておかねばならない。よくテレビで言われている、ハザードマップを見たり、防災散歩をしながら考えたりするだけでも違うと思う。人ごとだとは思わずに、一人一人が考えて行きたいものである。

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