やり遂げる力

 我が家には庭があり、庭木が植えてある。約40年前に建てられたが、現代の家のようにプラモデル的に組み立てたられたものではなく、きちんとオリジナルで設計され、大工さんが木を削り出す所からはじめて、昔ながらの方法で建てられている。


 庭は庭師が作ったのだろう。大小二本の松を中心に、紅葉や椿、その他にも私は名前がよくわからない植物がいろいろと植えられている。自然な石も考えられ配置されており、奥行きと情緒を醸し出している。木は大小数えれば、20本以上ある。そして、門扉を入ってから玄関口に行くまでのスペースには、私が芝生を植えた。逆側の目立たないスペースには野菜を植え、毎年家庭菜園を楽しんでいる。


 と書けば、都市部の方はうらやましいと思われるに違いない。東京で庭付きの一戸建てを手に入れるなど、至難の業だから。


 私は一人娘の実家にマスオするという特別な技を使って、この環境を手に入れた。


 この家に来た当初、庭は義父の遠い親戚の庭師が管理していた。しかし、その額を聞いてびっくり。毎年春だか秋だかに一度来るのだが、三人で来て丸三日かかり、一人当たりの日当、払うべき費用が、一日約二万円なのだそう。ゴミ処理やその他の費用も入っているらしいが、これにはとても驚いた。


 こんな額を払い続けるのはもったいないと、ケチ根性丸出しで私が請け負った。いや、請負じゃない、18万円じゃなく、住まわせていただいている感謝の気持ちから、もちろん、費用などいただこうなどとは思っていなかった。当初はあまり興味はなかったのだけど、ただただもったいない、高い、ということで、私がやってやると意気込んだ。


 見よう見まねで剪定作業を覚えた。今ほどネットも発達していなかったので、何冊かの専門書を読み、道具を買い込んで、にわか植木屋となり取り組んだ。特に松の木は難しかった。


 やってみるとわかるが、庭木を全て調整し、庭を全て綺麗にするのは、膨大な時間とエネルギーが必要だった。枝を払ったはいいものの、それを処理するのも大変だ。


 もう15年位やっているだろうか。何とか毎年こなしているが、出来映えは最低限のラインである。きついと思うこともある反面、歳と共に家庭菜園や庭いじりが楽しくなって来た感じもする。


 毎年やらねばとの義務感ももちろんあるが、もう一つ、私がこの庭の手入れを継続できている大きな理由がある。それが今をときめくYouTubeだ。


 内容はめちゃくちゃなのだが、とにかくこの庭を撮影して外国の方に紹介すると、喜んでくれる。そのために、毎年やる気になり、エネルギーを費やすことができている。


 カミサンもそうだが、こちらの方々は、この自然な日本庭園という環境が、どれほど素晴らしいものか、あまりわかっていない。冗談だか何だか、かつては車庫にしてしまえとか、舗装しようとか言っていた事があったが、私が断固反対した。


 この休みで松のミドリ、新芽を摘み、大体落ち着いたが、もう少し奥の雑草を取らねばならない。今はまだいいが、もう少しすれば、蚊が発生して作業は更に大変だ。


 ここ数日は、仕事から帰ると、時間を取って雑草を抜くようにしている。朝も早く起きて、5分だけでも手を入れるように心がけている。


 毎日少しずつ行動すれば、大きな仕事を達成することができる。


 何かのビジネス書にあるような文句だが、これは嘘じゃない。習慣化し、継続して行動し続ける事は、大きな仕事をやり遂げる力となる。


 庭の手入れを通じてこの事を身をもって感じているので、更に他の分野でもがんばってみよう。



 

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