リンドウのせい
~ 十月二十三日(水) 蒟蒻 ~
リンドウの花言葉 貞淑
「ありがとうなの。さっそくアドバイス通り、日記書いてるの」
「そう? 良かったわ」
「ただ、残念なことにこいつが練習してるのは漢字ではないのです」
「は? じゃあ何を練習してんだよ」
「絵なの」
「絵なのです」
「絵なの?」
「バカなのか?」
せっかくのアドバイスを無下にする。
こいつの名前は
軽い色に染めたゆるふわロング髪をハーフアップにして。
そこへ鮮やかな瑠璃色をしたリンドウを揺らしながら。
机の上、ガスコンロに置いた鍋に。
牛脂を溶かしたりしています。
「すんごい牛肉、ありがとうなの」
「いいってことよ、俺たちも食べたかったし。なあ香澄」
「お誕生日のお祝いに食べ物ってのも微妙かなって思ったんだけど……」
「いえ。こうしてパーティーをした思い出はずっと残るのです」
つい、ポロっとこぼれた言葉ひとつに。
ヒューヒューとはやし立てるメロディーラインと。
拍手によるリズムラインのフォーピースバンド。
当事者の三人はともかく。
「宇佐美さんまで、ひどいのです」
「レイワちゃんも食べる?」
「臭いセリフを臆面もなく言うヤツがいると恥ずかしすぎて。遠慮しとくよ」
「ひどいのです」
宇佐美さんはお弁当を持って。
いつものように、日向さんの席へ向かうのですが。
その背中を見送っていた俺の二の腕を。
教授がぷにぷにとつまんで引っ張ります。
「教授、痛いのです。何のおつもりです?」
「袖が無いのだから仕方あるまい!」
「袖を引っ張りたかったのですか。教授がエプロンを着ている間、俺から袖がなくなるのは当然でしょう」
「ではTシャツの袖を……」
「面倒なので握りなおさないでいいです。どうなさいました?」
「おっとそうだった。ロード君は、買い物一つできないのかね?」
おや?
何かを買い忘れましたか?
今朝、渡さんから。
お肉をプレゼントするからすき焼きをしようと連絡があったので。
俺と穂咲で分担して。
十分休みに大慌てで他の具材を買ってきたのですけれど。
「買い物リストとちゃんと照合しましたけど……」
「ロード君! これが世に言う『男子の買い物』というものだという事を、その胸にしっかり刻むといい!」
なにやら大げさなことを言いながら。
教授がででんと俺の顔に突き付けてきたもの。
「うぐっ」
それは確かになにも考えずに。
リストしか見ないで買ったこんにゃくなのです。
「すき焼きにするって言ったの」
「ですね」
「だったら、こんにゃくって書いたら……」
「いとこんですよね」
まったくしょうがないのと叱られながら。
慣れない手つきで、こんにゃくを細切りにするという悲しい作業をすることになりました。
「道久。急がねえと間に合わねえぞ?」
「もう、こいつはデザートとみなしてください」
ようやく十本くらいの細切りこんにゃくを生み出して。
一つ結びにしている間に。
教授は高級お肉をお醤油と砂糖でさっと焼いて。
といた卵に浸して、素敵なプレゼントをくださったお二人へ振る舞うのです。
「お誕生日のプレゼントなのに。先に貰っていいの?」
「もちろんなの。あたしはある意味、もうおなかいっぱいなの」
「藍川らしいな。そんじゃお先に……、うめえっ!」
まさに舌鼓。
お肉を味わって、飲み込んだ直後。
無意識なのでしょう、舌をタンと鳴らした六本木君。
行儀が悪いと肘鉄を入れた渡さんも。
むふうと鼻から息をつくとは。
相当美味しい模様なのです。
「俺も……、あいたっ!」
「ロード君は、お仕事終わってから!」
「へい」
そうは申しましても。
教授と違って、俺の包丁さばきでは。
こいつをすべていとこんへ変えるころには。
お昼休みが終わってしまいそうなのです。
「ごめんね、三日も遅れて」
「そんなこと無いの。嬉しいの。パーティー三昧なの」
「ざんまい?」
「そうなの。昨日は道久君から、家族パーティーをプレゼントしてもらったの」
教授、ちょっとは伏せてくださいな。
じゃないと、ほら。
またもや拍手と冷やかしの二重奏。
「そんな秋山にもプレゼント」
「おう! 俺たちからな!」
「え? ありがとうございます」
牛肉だけでも、とんだ散財でしょうに。
なんとも申し訳ない。
渡さんから頂いた箱を。
有難くおでこに押し当てて。
早速包みを開いてみれば……。
「おとうさん?」
「相変わらず、お前さんの一言コメントはおもしれえな」
いや、だってこれ。
何を買ったものか見当がつかないからという理由であてがわれる定番。
ネクタイではありませんか。
「秋山がお仕事決まらないのって、これが原因じゃない?」
「そういうものなのですか?」
確かに、お仕事の話をしに行く時には。
Yシャツにジャケットという格好で出向きますけれど。
せめてネクタイくらいはしないと。
誠意が感じられないという事なのですか?
「ロード君! 確かにそうかもしれんぞ! ……さすがは香澄ちゃんなの」
「でしょ?」
「こら待て。俺のアイデアだろうが」
「……なるほど。お仕事自体、スーツの方が良さそうですもんね。我ながら想像できませんが」
式場を歩く時にも。
お客様とお話する際にも。
確かにきっちりしている方が良さそう。
自分では。
いつまでも気付くことが出来なかったのです。
俺は一筋の光明をいただいて。
心からのお辞儀をすると。
「ネクタイ、結んであげるの」
「教……、いえ、穂咲。急にどうしました?」
料理の手を止めて。
エプロンを脱いで。
教授口調もやめた穂咲が。
プレゼントしていただいたネクタイを手に。
俺の前にちょこんと座るのです。
「いえいえ。自分で出来ますし」
「いいから気をつけなの」
「なんか恥ずかしいので、勘弁してはいただけないでしょうか」
「問答無用なの」
問答無用って。
なんという親切の押し売り。
「貞淑な奥さんか! 羨ましいなこの野郎!」
「からかわないで下さい。これのどこが貞淑なのです?」
「そうよね。貞淑というより、亭主関白な奥さん」
「おかしな言葉ですけど、こいつにぴったりなぐええええええっ!」
しまった。
俺の生殺与奪は。
こいつに握られているということを忘れていました。
「グダグダ言わないの。せっかくいただいたネクタイが切れちゃうの」
「げっほげほ! 言わない! 何も言わないからお手柔らかに!」
文句は山ほどあるのですが。
今は大人しくしましょう。
でないとせっかくいただいたネクタイより前に。
俺の命がこと切れます。
……それにしても。
穂咲は急に。
どうしたのでしょう。
ネクタイを巻いてみたいなんて。
世のお父さんなら。
泣いて喜ぶようなシチュエーションではありますが……。
「あ」
「どうしたの?」
「いえ。なんでも」
そうか。
先ほど、冗談めかして俺が言った言葉。
お父さんへのプレゼント。
ネクタイ。
思えば、おじさんはネクタイ仕事ではありませんでしたし。
こいつは、巻いてあげることができなかったはずなのです。
そして今になって。
巻いてあげたくても。
もう、できないわけですし。
「……では、かっこよく結んで下さい」
「なにカチコチになってんだよお前」
「き、気のせいなのです」
そして今更。
目と鼻の先でネクタイを首にかけ直す穂咲の姿を見て。
ドキドキするのですけれど。
でも。
「縦に結ぶ? 横に結ぶ?」
バカなことを言われて。
ため息と共に。
すっかり落ち着きを取り戻しました。
「横ってなに? 蝶ネクタイにできるものならやってみなさい」
「リボン結びにすればできるの」
やめてください。
また道子ちゃんと呼ばれます。
「縦です、縦」
「縦ね。……はい。できたの」
「リボン結び! 縦ってお願いしましたよね!?」
六本木君に大笑いされながら。
呆れて肩を落とす俺に。
穂咲が指をさしながら。
一言だけつぶやくのです。
「縦」
…………なるほど。
確かに縦結び。
「ちょっと仏心を出したらひどい目に遭いました」
「そんなことより道久君」
「なんです?」
縦に蝶結びされたネクタイをそのままに。
再びいとこんを作り始めると。
「Tシャツにネクタイって、変な人なの」
包丁が滑って空振りするほど。
力の抜ける言葉でお話を締める穂咲なのでした。
自分がやったのに。
もう忘れているとか。
こいつの記憶を手繰る糸は。
きっとどこかで。
かた結びになっているのでしょうね。
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