ステルンベルギアのせい


 ~ 十月二十一日(月) 俤 ~


 ステルンベルギアの花言葉 期待



 駅前の文房具屋さん。

 そこでボールペンの試し書きを。

 延々と行う藍川あいかわ穂咲ほさき


 今回も、おばさんによる心づくし。

 軽い色に染めたゆるふわロング髪を。

 どこの王女様かと見まごうばかりにゴージャスに結い上げて。


 黄色い、クロッカスのような形をした。

 ステルンベルギアをわさっと活けています。


 ……そう。

 心づくしという単語。


 そこからご想像の通り。


「落ちたの」


 試し書き用の紙に。

 『落』の字を大量に書き始めた穂咲さん。


 数週間前に逆戻りなのです。


「とは言え、今回はあっけらかんとされていますね」

「びっくりしたの。外人さんしかいなかったの」

「そりゃそうだ」


 そして今度は。

 『外』の字を紙に書き連ねるのです。


 ……昨日。

 すべてが英語で指示される中。

 ぼけっと突っ立っていたこいつは。


 参加賞としてお饅頭を一個貰って。

 体よく追い出されてしまったとのこと。


 ちゃんと確認しないこいつが悪いのですが。

 それでも昨日はそれなりしょぼくれて。


 おばさんと俺を。

 随分と心配させたのでした。


「と、いうわけで」

「急に、なんなの?」

「遠くの学校になってしまいますが、探しておきましたから」

「え? 何を?」

「通える範囲で。試験前の学校」

「…………ふにゅ」


 何です、その返事。

 俺が差し出すパンフレットを。

 そんなに照れくさそうに受け取られると。

 こっちまで照れてしまいますよ。


「あ、ありがとなの……」

「もう、専門学校の受験に失敗する人が少ないなんて思いません。事実、ここに二戦して二敗した人がいるわけですし。だから、ダリアさんの言葉に甘えて、なるたけ沢山受験しなさい」

「そうするの。頑張るの」


 そしてもじもじと。

 ボールペンで『頑』の字を書きなぐるのですが。


 さすがにそのペン。

 買い取らないとお店に失礼なのでは?


「……次は、金曜日ですよね」

「うん。今度こそ……」


 次の試験は今週の金曜日。

 大阪の学校です。


 正直、ここに受かっても。

 下宿する気のない穂咲は。

 行きたく無さそうにしていましたし。


 俺も。

 ちょっとだけ寂しいですし。


 ちょっとだけ。


 ちょっとだけですけど。


 ……なので、家から通えそうな学校の試験にちゃんと合格するための。

 練習試合のつもりで挑むと良いのです。


「と、いうわけで」

「またなの? 今度はなに?」

「明日、お誕生日会をします」

「おお。今年はやんないと思ってたから、とんだサプライズなの」

「しかも、デパートの上にある高級レストランで」

「…………道久君と二人で?」


 いやいやいやいや。

 もじもじしながら何てこと言い出しますか。


「いいえ。おそらく酔っぱらう三人組と、まーくんたちと一緒に」

「それはほんとにサプライズなの! みんなに声かけたの?」

「ええ」


 ダリアさんの帰りしな。

 お願いしてみた所、二つ返事でOKを貰い。


 あとは。


「おじさん、お仕事じゃないの?」

「頼み込んで休みにさせました」

「ママも?」

「おばさんは大はしゃぎで即OKでしたけどね」

「まーくんたち、東京から来てくれるの?」

「夕食だけ一緒に。ひかりちゃんも連れてきてくれることになってます」


 穂咲は、ほわあと微笑むと。

 『嬉』の字を紙にでかでかと書いて。


「……素敵なプレゼントなの」


 ぽつりとつぶやきながら。

 『☆』を紙いっぱいにちりばめます。


「誕プレ変わりなのですが、そんなに喜んでいただけるとは」

「嬉しいの。パパみたいなの」


 そして気付けば。

 いくつも『俤』と書いていますけど。


 それ、何と読むのです?



 ……しかし、おじさんみたい、ですか。

 そう言われると。


 嬉しさと共に。

 寂しさが胸に湧いてきます。


 たしかに今回の事。

 穂咲のために、おじさんの真似事をしてみたに過ぎませんが。


 でも、本当のおじさんには敵わないと。

 心から感じている俺なのです。


 あれから十年以上も経つというのに。

 今でも思います。


 もしもおじさんが。

 ずっと穂咲のそばにいてくれたなら。


 きっと君は。

 いつでも笑顔でいたことでしょう。


「……おもかげ、あります?」


 胸の鼓動を感じながら。

 不安を抱きながら。


 それでも、もう一度。

 おじさんみたいだと。


 そんな言葉が聞きたくて。

 俺は穂咲へ訊ねると。


 タレ目をいつもよりも細くさせて。

 くるりと俺に振り向いたこいつは。


 えへへと一つ笑うと。

 優しく頷きながら。


「こんなにがりがりじゃないから、似ても似つかないの」

「おい」


 ばっさりと切り捨ててくるのでした。


「酷いのです。じゃあなんでおじさんみたいなんて言ったの?」

「そいつはね? なんて言うか……」

「なんて言うか?」

「ここんとこが似てる感じ」


 そして穂咲は。

 胸に手を重ねて。

 きゅっと押さえつけるので。


 俺の胸もそれに合わせて。

 きゅっとなりました。


「…………道久君みたいに、道の無いところを行く人に申しわけないの。頑張って受かるの」

「え、ええ。そうですね。頑張りなさいよほんと」


 なんだか、今日は随分暑くなったので。

 噴き出す汗をハンカチで拭いながら。


 たどたどしく返事をする俺に。

 穂咲は突然、胸を叩きながら言うのです。


「だから文房具やさんに来たの。いい方法思い付いたの」

「どんな方法を思い付いたのです?」

「練習には日記がいいって、香澄ちゃんから教わったの」

「思い付いてないじゃない」


 なんで渡さんの手柄が。

 君のものになりますか。


 でも確かに。

 日記は文章の練習にいいですね。


「じゃ、買って来るの」

「ええ、買って来なさ…………、いや。ちょっと待て」


 あのさ。

 いくらなんでもさ。


「なあに?」

「君が持ってるの」

「うん。日記帳」


 ふふんと気取って。

 俺に突き出す本の表紙。


 確かに『日記帳』なる文字が見えますけど。


 その指で隠れた部分。

 もう一文字分入りそうなスペース。


 隠れている字は。

 『絵』だと思うのです。


「…………なんの練習をする気?」

「絵」


 なあんだ。

 じゃあ、間違ってませんね。



 俺は、おじさんのように。

 レジへ向かう穂咲を苦笑いと共に見つめながら。


 目尻の辺りを。

 ぽりぽりと掻いたのでした。


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