ミズヒキのせい


 ~ 十月十七日(木) 菜単 ~


  ミズヒキの花言葉 祝い



「一晩で全部覚えたの」

「ウソおっしゃい」

「ほんとなの」

「いや、おっさん。お花先輩、マジでこの辞書丸暗記してやがる」


 その驚きを、丸く見開いた瞳に乗せて。

 辞書から問題を出し続けていた雛ちゃんが見つめる先。


 二十問連続正解のご褒美に貰ったハンバーガーをかじりながら。

 偉そうに、俺に向かってピースなどしているのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を頭の上で平たい板状に結って。

 そこにミズヒキを、水引のように巻きつけて。

 まるで歩くご祝儀袋。


 ……今日は久しぶりに。

 帰ったらおばさんに説教なのです。



 まあ。

 それはさておき。


「相変わらず極端ですね、君は」

「これで試験もばっちりなの」

「いえ。辞書を丸暗記したところで、小論文が書けるかどうかは別問題なのです」

「そんなこと無いの。曖昧な感じだったのを全部思い出せたの」


 なるほど。

 一晩で丸暗記したのではなく。


 もともと小さな頃、丸暗記していたものを。

 すっかり思い出したという事なのですね。


 賑やかなお店の片隅で。

 穂咲は再びピースなどしながら。

 ご機嫌にハンバーガーを頬張るのでした。


「むふふ。久しぶりに雛ちゃんとの勝負に勝ったの」

「信じがたいよ。お花先輩、前々から頭がいいとは思ってたけど……」


 穂咲の頭がいいなどと評した雛ちゃん。

 君こそ我が校、始まって以来の天才という異名を欲しいがままにしているではありませんか。


「勉強ができる人が言うと、嫌味に聞こえるのです」

「違うっての。勉強ができるのと頭がいいのとは、土俵が違う」

「……だったら、なおのこと。こんなおバカさんはそうそういやしません」

「はあ……。お花先輩の頭の良さが分からない程度にはバカだってこと、自覚した方がいいよ、おっさん」


 さすがは口の悪い雛ちゃん。

 随分辛辣なことを言われてしまいましたが。


 でも、穂咲が天才だということは分かっているのですよ。

 ただそれを上塗りして余りあるバカでもあるという事を。

 いやと言うほど詳しく知っているだけなのです。


「ねえ道久君」

「はい。なんでしょう」

「ハンバーガーのソースって、上から齧るたんびに、包みの底に零れてたまっちゃうの」

「はあ。ハンバーガーあるあるですね」

「だからね? 底に穴が空いてたら、余さず飲めると思うの」

「……はあ」

「やっぱあたし、天才なの」


 さすがは天才。

 上から齧ると下へ零れるソースを。

 同時に口へ入れることができるのですね?


「…………雛ちゃん。これでもこいつが天才だと?」

「なるほど、さすがはおっさん。お花先輩は天才であると同時にバカでもあるってことだな?」

「ヒ、ヒ、ヒナちゃん! おねえちゃんにそんなこと言っちゃダメ!」


 そしてレジから小太郎君が飛び出してきたのですが。

 大丈夫。


 ご機嫌な時の穂咲は。

 どれだけバカと呼んでも怒りませんから。


 しかも。

 こいつがバカなことは。

 現在特許出願中。


 すぐにでも独占という運びとなることでしょう。


「でもでも、これなら完璧ですね!」

「……そうですよね。藍川先輩、試験、頑張って下さい」


 小太郎君の後ろから。

 瑞希ちゃんと葉月ちゃんがエールをくれるのですが。


 穂咲は二人に手を振ると。

 バーガーの残りを口へ放り込んで。

 両手をパンパンとはたきながら。


「でも、念には念を入れるの。プレゼンしとくの」


 また。

 妙なことを言い出しました。


「プレゼン?」

「そうなの。受験費用って結構かかるから、また落ちた時のことを考えて、お金を出してもらうことにしたの」


 なるほどね。

 理解できましたが。


 でも、専門学校を何校も受ける人いないでしょうに。


「だれに話をするのです? まーくん?」

「ダリアさん」

「ああ、そうか。若藍川家、家計を握っているのはダリアさんぽいですもんね。しかし強敵と思えなくもないのです」

「頑張るの」


 そして穂咲が。

 握りこぶしを作ると同時に。


 厨房から。

 すでに懐かしく感じる罵声が響いてきたのです。


「てんめえバカ太郎! 新作メニュー作りながらサボってんじゃねえ! オーブンの中でターキーが真っ黒こげだ!」

「え? しっかり火を通すってネットに書いてあったから、真っ黒こげになるまで焼いて合ってると思う……」

「じゃあ食ってみろよこの炭の塊! おいヒナ子! お前、後でオーブン掃除しとけよ!」

「なんでアタシが!?」


 雛ちゃん。

 がっくりと両肩を落としてしまいましたが。


 君の苦悩。

 世界で俺だけは過不足なく理解してあげることができるのです。


「あと、冷蔵庫の中でバケツプリン作ってんのもバカ太郎だな!? 今日という今日はどうしてくれよう……っ!」

「カンナ! アタシから叱っておくから許してやってくれ!」

「そうなの。小太郎君を叱らないで欲しいの」


 おや。

 雛ちゃんはともかく穂咲まで。


 さすがは小太郎君のお姉さん。

 庇ってあげるなんて優しいのです。


「なんでバカ穂咲が混ざって来るんだよ!」

「そうはいかないの。あたしもここの家族なの」


 厨房から怒り顔をひょっこりのぞかせたカンナさん。

 穂咲の『家族』という言葉を聞くと。

 途端に嬉しそうに相好を崩して。


「……ああ、そうだったな。てめえは家族だったよな」

「当たり前なの」

「じゃあ、次女の言う事もたまには聞いてやるか。バカ太郎を叱らなけりゃいいんだな?」

「当然なの。だって、それ作ったのあたしなの」


 ……そしてカンナさんの笑顔が。

 爆発のCGを背負って阿修羅に早変わり。


「こんのバカ穂咲いいい!!! ちょっとこっち来い!!!」

「やれやれ。客商売とは思えぬ大騒ぎなの」


 そして常連のお客様から湧き起こる。

 盛大な拍手と笑い声を背に。


 穂咲は小太郎君と共に厨房へ行ってしまうのでした。



「……君ら、相変わらずなのですね」

「おっさんたちこそ」


 分かり合っている者同士。

 ため息と共に肩を落とすと。


「アイツ、もう十六になるってのに。大丈夫かな……」

「おや? 小太郎君、お誕生日なのですか?」

「ああ。……実は、アタシと二人して、誕生日一緒なんだ」

「へえ! いつなのです?」

明々後日しあさって


 …………ん?


「二十日?」

「二十日。…………なんだよその顔」



 おお、神よ。


 なんという悪ふざけ。



 俺は、この奇跡に涙して。

 雛ちゃんと固く握手すると。


 握った手の甲の側を。

 左手で強くひっぱたかれました。



 なるほど。

 雛ちゃんと小太郎君。

 俺と穂咲。


 同じ運命になるわけなのです。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る