クレオメのせい


 ~ 十月十五日(火) 恣 ~


  クレオメの花言葉

     思ったより悪くない



 女の勘。

 よく聞く言葉ですけれど。


 まさか、一時間すら。

 隠し通すことが出来ないなんて。



 昨日、晩飯の時には既に。

 俺を正座させて。


 ぷんすこ怒っていたこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、頭のてっぺんにパイナップルに結って。


 そこにピンクの。

 派手さと繊細さを合わせ持つクレオメなど豪快に活けるものですから。


 今日は、神尾さんが泣きそうな顔をしていらっしゃいます。



 さて。

 そんな半べそ委員長の。

 心配などしている場合ではなく。


 もうすぐ四時間目の授業が始まろうというのに。

 未だに面倒なことを言い続けるこいつを何とかしなければ。


「なんでも一つ言うこと聞いてくれるの」

「そんなこと約束していません」

「言ったの。さーて、あれがいいかそれともこれがいいか……」

「言ってませんってば」


 今朝になって。

 急に言い出したこの無茶なお話。


 いくら、穂咲の大切な本を借りっぱなしにしていたからといって。

 なんでも言うことを聞くなんて。

 約束した覚えはないのですけれど。


「何をしてもらおうかなの」

「そんな事より、君は漢字の練習なさい」

「漢字の心配ならもういらないの」


 穂咲は、おじさんの漢字辞典を鞄から取り出すと。

 ぎゅっと胸に抱きしめます。


 これ。

 いつぞやの問題集とまったく同じ光景なのですが。


「また、読みもしないで読んだ気になられても」

「これなら、物語が楽しくて一気に読んじゃうの」


 ここ連日。

 悪かった機嫌もどこへやら。


 だらしなく微笑んで。

 嬉しそうに、辞書へ頬ずりなどし始めます。


 ……まあ、漢字についてはともかく。

 今日は随分とご機嫌で。


 そこについては。

 俺も嬉しいのです。


 しかし、これ以上なく垂れ下げた穂咲の目尻が。

 携帯の振動ひとつで。

 途端に不機嫌へ早変わり。


 何が起きたのやら。

 ひょこっと横から覗き見てみれば。


「ほーさきちゃん! みちひさくん! あーそーぼ!」


 れんさんから。

 えらいメッセージが届いていたのでした。


 ……二人に宛てたものでしょうし。

 俺が返事をしても構わないでしょう。


 俺は自分の携帯から。

 手早くメッセージを打ち込みます。


 『今日は食べさせてあげられませんので、他を当たって下さい』


 ……高校生に連日たかるとか。

 大丈夫かな、あの人。


 ため息をつきながら携帯の電源を切って。

 さて、お次はお隣りの。

 不機嫌の電源を切ってあげないと。


 そう思いながら顔を上げたら。

 おや?


「どうしました? 嬉しそうに、鼻の穴をこれでもかって膨らませて」

「膨らんでないの」

「いえ。目尻もそんなに下げて」

「それは仕様なの」


 ニコニコが不機嫌に。

 そしてすぐに上機嫌。


 さっぱり分からぬジェットコースター。

 それがまたもや急降下。


「み、道久君! お昼休み、机を探しに行かない?」


 どういう訳か。

 野口さんが声をかけてくると。


 誰もが身を固くさせてしまう程の視線で。

 自分の机を、じっとにらみつけた穂咲なのです。


「……ええと、野口さん、ありがとうございます。でも、学校で新品の机をいくつか購入したらしく、そのうち一つをいただけることになりまして」

「そ、そうなんだ! あ、その、よ、良かったね! じゃあ、お祝いにお昼とか一緒に……」

「ご迷惑をおかけいたしました。でも、面倒な問題を一つ抱えておりまして、お昼は恐らくご一緒できないかと」


 そんな返事に。

 優しい野口さんは。


 改めて、机を貰えてよかったねと言って。

 にっこりと微笑むと。


 俺のことだというのに、嬉しそうに。

 ご自分の席へ戻られたのです。


 なんてご親切で朗らかな方なのでしょう。

 それにひきかえ。

 君は、朗らかさの欠片も……、あれ?


「……ご機嫌?」

「なんのことなの?」


 ちょっと。

 野口さんの方を向いている間に。

 君に何があったのです?

 

「なんのことではなく。機嫌良かったり悪かったり、面倒なのですが」

「ふむ。……二人に、つい貸しちゃったのを後悔してたの。でも今のでチャラ」

「何が?」

「こっちの話なの」


 いえいえ。

 それじゃ分かりません。


「それに、道久君に言うこと聞かせるという特典を持ってるから不機嫌になんかならないの。さあて、何をお願いしようかな、なの」

「手の込んだ商品は取り扱っていないので、簡単なものにしてください」


 誤魔化された気もしますが。

 この問題の方が大事ですし。


 妙なことを言われたら。

 うまいこといなさないといけません。


「ううむ、それじゃ。今日一日あたしを姫様と呼んで、崇めると良いの」

「なんたる面倒」


 とは言ったものの。

 それくらいなら別にいいか。


 なんて考えていた俺は。

 一瞬で後悔することになりました。


 今朝、持たされた。

 でかい風呂敷包みを開いて。


 中から出て来たビーチベッドを。

 机の前にセットして。

 

「トロピカルジュースを飲みながら授業を受けるの。買って来るの」

「やり過ぎですし。それにあれ、買って来れる物では無いでしょうに」


 そして穂咲がビーチベッドに寝ころんで。

 大きなサングラスなどかけた所へ。


 先生が入ってくるなり。

 この誤射なのです。


「おい、秋山」


 くそう。

 どうして俺が撃たれるのです?


「藍川をなんとかしろ」

「ふふん。今日はこんな感じで授業を受けるの」

「…………秋山」


 ええい。

 こうなったらやむなし。


 俺は穂咲の前に立ち塞がると。

 先生に、我ながら無茶苦茶なことを言いました。


「ほしいままを絵に描いたような姫ではありますが、こいつには指一本触れさせません!」

「ふおおおおお! 良いの! それ、もっとやって欲しいの!」


 ……君が何に興奮してるのか知りませんが。

 そんなに嬉しいの? この寸劇。


「……秋山よ。本気で言っておるのか?」

「もちろん! この身に代えても!」

「ふおおおおお!」


 呆れ顔の先生ですが。

 でもこれ、実際やってみると。


 自分の言葉に酔いしれて。

 思ったより悪くないのです。


「では、きさまはこれをいらないと言うのだな?」

「これってなんです? 先生が抱えて来た、ビニールのぐるぐる巻きのやつ?」

「貴様の机だ」

「なんて卑怯な!」


 プチプチの梱包材が巻かれた。

 新品の机。


 物品と引き換えに。

 従者のプライドを売れと言うとは。


「ど、どうすれば……」


 悩む俺ではありましたが。

 そんなの、このほしいまま姫には問題にすらならないようで。


 ベッドから立つと。

 勝手にずるずると俺の前まで引きずってきて。


「これ! ビニール剥きたいの!」


 ……子供のような事を言い出しました。


「まあ、気持ちは分からんでもないので。どうぞ」

「では早速なの! ふんぬーーー! ……切れやしないの」


 姫様は。

 フレームだけの机を俺に押し付けると。


 新品の品を代わりに置いて。

 ビニールを無理やり引っ張るのです。


 そんな中。

 俺は、フレームに塗られた。

 油性マジックの線を見つめながら。


 ちょっぴり。

 切ない気持ちになりました。



 ……長らく使って。

 愛着の湧いていた机。


 フレームだけになってしまったとは言え。

 これには思い出が詰まっているわけで。


 俺がフレームとの別れを惜しんで。

 じっとこいつを見つめていると。


 クラスの皆さんが。

 何となく気持ちを察してくれたよう。


 急に教室が。

 しんみりとした空気に満たされました。



 ……あと、数ヶ月。

 一月末には、授業が終わる。


 何人かは。

 自分の机を愛おしそうに撫でて。


 そして。

 俺の、フレームだけの机に視線を向けてきます。



 新品の代わりに。

 この机は捨てられてしまう。


 それはなんだか。

 今までの思い出が消えてしまうようで。


「……先生。このフレーム、捨てなきゃいけないのですよね?」

「机などどれも同じだ。思うところは理解できなくもないが、我慢しろ」


 そうですよね。

 まあ、思うところは分かると言ってくれたうえでのことです。


 素直に従いましょう。


 俺は、ありがとうと小さくつぶやいて。

 フレームへ別れを告げると。


 剥かれたばかりの新しい机に……。


「姫様。まだやってたの?」

「切れやしないの。カッターでひと思いにやっちまっていい?」

「姫様の御意のままに」


 プチプチで梱包された机を前にして。

 椅子に腰かけると同時に。


 姫様は。

 カッターを天板の上に構えて。

 斜めにずばっと走らせたのですが。



 しゃーーーーっ!



「今の音っ!?」


 うわこいつ!

 やっちまいましたか!?


 あちゃあ顔の姫様を押し退けて。

 ビニールを引き裂くと。


 顔を出した新品の机には。

 袈裟に切り捨てられた刀傷。


「……藍川。備品を大切にしないとは何事だ」

「うう。面目ないの」

「反省文を書いておくように」

「……いえ」


 斜めに付いた傷。

 俺はそいつを指でなぞりながら。


「俺が代わりに書きましょう」


 思わず零れた笑みと共に。

 そう言いました。


「なんだ貴様。それはどういう意味だ?」

「……この扱い。思ったより悪くないのです」


 バカなこいつとの思い出。

 いきなり一つ。

 押し売りされて。


 まだまだこれから。

 この机と、穂咲と、みんなと。


 たくさんの思い出を作ることができる事でしょう。



 俺は、残り僅かの高校生活。

 その毎日をたくさんこいつと一緒に楽しむことができるようにと。


 机を抱えたまま。

 廊下へと向かいました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る