オミナエシのせい


 ~ 十月九日(水) 綢繆 ~


 オミナエシの花言葉

  美人/忍耐/約束を守る



 たまに発生する。

 シェフの気まぐれ。


 穂咲が晩御飯にかつ丼をご馳走してくれると言うので。

 今日は牛丼いらないからと言って家を出て。


 料理が出来るまでの間。

 おばさんの代わりにお店を閉めていると。


 ほわっと漂う醤油の香りが。

 シャッターを下ろす俺の手から。

 力を根こそぎ奪います。


 ……なんという幸せな香りでしょう。

 日本人なら誰しもこれには抗えまい。


 今ならおばさんがいつも持ち歩いている婚姻届けにサインをしそう。


 そんな気持ちを代弁するように。

 おなかが盛大に音を鳴らすのでした。



 ……俺のじゃないですが。



「来ちゃったし!」

「……すいません。出て行ってください」

「そう言わないで入れてちょ!」

「道久君、ほっちゃんのご飯できそうだからお店閉め……、すげえ美女!」

「ですよねえ」


 お醤油の香りにつられてフラフラと。

 閉めかけたシャッターを潜って入ってきたこの人は榊原れんさん。


 東京のゆうさんの妹にして。

 貧乏腹ペコフリーター。


 そして。


「すげえ美女!」

「ですよねえ」


 パーツの全てが細くて華奢で。

 小さな顔に大きな目。


 険のある感じに見えるゆうさんに引き換え。

 れんさんは、凛々しく見えるのですが。


 ……そんな美女のお腹が。

 盛大に悲鳴を上げていては台無しなのです。


「ダメよ道久君! こういう美女は、男から搾れるだけ搾って、あとはポイなんだから!」


 おばさん。

 なにやらひどいことを言ってれんさんを追い出そうとしていますけど。


「そうですね。昨日も散々搾り取られました」

「でしょう?」

「まあ、ご自分のお弁当さんを小学生の男の子にあげてしまったので、その代わりにご馳走しただけですが」

「性格まで美女!?」

「あはは! お弁当さんってかわいいね!」


 この無警戒な笑い声。

 穂咲と似ているところがあるれんさんなのですが。


「それより、い~れて!」

「ダメですってば」

「だってお呼ばれさんしたんだよ?」

「お呼ばれさん?」

「そうなの。あたしが招待したの」


 居間の向こうから顔を出して。

 エプロンで手を拭くこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を。

 先日同様お茶碗の形に結って。


 そこにオンナメシ。

 もとい。

 オミナエシをよそっているのです。


「……穂咲が?」

「そうなの」

「だったら先に言いなさいな」


 ため息交じりにれんさんを藍川家へ通す俺を見て。

 おばさんがおろおろとしていますが。


「ほ、ほっちゃん! なんでこんな強力なライバルをご招待したの!?」

「漢字。簡単に覚える方法教えてくれるって言うから」

「ああ、そういう事なら問題ないわね……。道久君ともお知り合い?」

「そうなの。道久君の家来なの」

「大問題!」


 そしておろおろ転じて。

 俺とれんさんの間に立って邪魔をするおばさんなのですけど。


 邪魔ですって。


「……そんなに一生懸命シュートコースを塞ごうとしなさんな」

「そ、それなら道久君は、目隠しして過ごしなさい!」

「何を無茶な。そしてどうしてエプロンのポケットから目隠しが出てきますか」


 おばさんに目隠しをされてれんさんに笑われて。

 そして穂咲に腕を引かれながら椅子に座ると。


 あごに湯気が当たるのを感じます。


「おお、ほんとにいい香り。いただきます」

「いただきますなの」

「いただきま~す!」

「ちょっとほっちゃん! 『手の込んだお料理で最近他の女の子と仲よし雰囲気な道久君の胃袋をがっちりキャッチ大作戦』に支障が出ているわよ!?」

「そんなこと言ってないの」


 どうやら司令官と実行部隊の思惑に。

 差異があった模様なのですが。


 でも、そんなしわ寄せを食らって。

 目隠しのままではせっかくの美味しさが半減されるのです。


「俺、女の子と仲良し雰囲気になんかなっていませんし。……えっと、七味ってこの辺でしたっけ?」


 目隠しをされる前。

 テーブルの真ん中あたりに置いてあるのを見た覚えがあるのですが。


 手を伸ばしてみると。


「ひあっ!?」


 れんさんの手を触ってしまったようなのです。


「おや、すいません。……ちょっと。なんですガタガタと」


 なるほど、俺がれんさんの手を触ったことで。

 おばさんの怒りが頂点に達したらしく。


 椅子ごとずるずる引きずられるのですが。

 ……どこへ連れて行こうというのです?


 思わず怖くなって。

 目隠しを外してみたら。


「まぶしっ」


 小さな机に置かれた。

 卓上ライトで顔を照らされました。


「……ライト。かつ丼。あとはアコーディオンカーテンさえあればビンゴなのです」

「静かになさい! これから尋問よ!」

「尋問って」


 柳眉を跳ね上げたおばさんが。

 机をババンと叩くのですが。


 ほんとに勘弁してくださいな。


「最近、ほっちゃんの他に女の子としゃべった!?」

「……おばさんと」

「あら最寄り」


 この人。

 女の子と呼ばれてくねくねしていらっしゃる。


 ふっ。

 ちょろ子なのです。


「で?」

「ん?」

「他には?」


 しまった。

 ちょろくもなんともない。


「……文化祭がありましたからね。沢山の女子とお話ひひはひはー」


 いたいいたい。

 両方からほっぺたを引っ張らないで下さいな。


 そしてこちらの剣呑な雰囲気に対して。

 穂咲たちの醸し出す雰囲気の。

 なんとほんわかしたこと。


「漢字、声に出して書くと良いし!」

「声? なんで?」

「口と耳と目と手。同時に覚えるからね!」


 れんさんは。

 楽しそうに、子供と接するように。

 穂咲に紙とペンを渡すと。


 生徒の方は、漢字の問題集を広げて早速実践している模様。


「こら! よそ見しない!」

「うへっ! まだ続けるのです?」

「その文化祭の中で! 気になった子がいるとか言わないわよね!」

「まぶしっ」


 ライトから目を逸らすと。

 再びれんさんが目に入ります。


 気になりはしませんけど。

 好きな方ではありますね。


「その怪しい間! いるのね!? 誰だか言いなさい!」

「……おばさん」

「今度は誤魔化されないわよ! 言いなさい!」


 そんなおばさんの声と同時に。

 れんさんが、穂咲に指示を出します。


「じゃあ、さんはい! 声に出して!」

「これを書きながら、声に出して言うの?」

「道久君! 声に出して言いなさい!」

「ちょっと! ややこしい!」


 向こうのテーブルとこちらの取調室。

 違う話をしているはずですよね?


 なんで同じ言葉が飛び出すのです?


 ……でも。

 こんなことで驚くのはまだ早かった。


「あ、いけね。『弁当』じゃなかったの。『勉強』だったの」

「ほんとね。穂咲ちゃん、?」

「ほんとに。道久君、?」

「台本でもあるのですか?」


 れんさんとおばさん。

 同時に同じようなことを口にするのです。


「こら! ささっと書いたら身にならない!」

「こら! ささっと吐いて楽になりな!」

「うわ。今の完全に『楽にならない』って聞こえました」


 何の真似ですこのコント。

 ちょっと面白くなってきましたよ。


 でも、口を割らない俺にとうとうしびれを切らしたおばさんが。

 せっかく楽しんでいたコントをお終いにしてしまいました。


「ほっちゃん! 漢字の勉強なんて後でいいから! こっち来て、道久君にサービスなさい!」

「えー。いやなの」


 ぐずる穂咲の手を引いて。

 無理やり連れてこようとするおばさんのお隣りで。


「そうだ! 道久君、何が欲しい?」


 れんさんが俺に聞いてきたものは。

 昨日の約束の件でしょうか。


「ほらほっちゃん! 先を越されちゃったじゃない!」

「先も何も、昨日から決まってたことなの」

「昨日? どういうこと?

「道久君、この美女に何でもしてもらえることになってるの」

「すでに手遅れ!? わ、わが軍は、こうして敗北しましたとさ!」


 ……めでたくないめでたくない。


「なんなのですその語尾。流行り?」

「こうなったら最後の手段よ!」

「ちょっと! 人のポケットをあさって何の真似なのです!」


 なにやら敗北を知って。

 自暴自棄になってしまったおばさんが。


 勝手に財布を盗んでいったのですが。


「道久君! お財布を返して欲しくば、ほっちゃんのいう事を一つ聞きなさい!」

「いえ、聞きません」

「なんで!? お財布、勝手に使っちゃうわよ?」

「いつもの事なのです。穂咲はそこから勝手に何でも買います」

「……仕様なの」


 呆れ顔で穂咲を見下ろしたおばさんが。

 そのままがっくりとうな垂れたので。


 俺は無抵抗となったその手から。

 お財布を取り戻して。



 ……ばれないように。

 ほっと胸をなでおろしました。



 穂咲へのプレゼント。

 試験の後、頑張った心を幸せにできる品。


 危うく買えなくなってしまうところなのでした。



 そんなことで焦っているなんて。

 どうか、バレませんように。


 



「……ママのやってること、意味無いの」

「そうなのです。意味の無いことなのです」

「そもそも道久君は、あたしのいう事は全部聞いてくれるの」





 …………誕プレ。

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