オトコエシのせい


 ~ 十月三日(木) 嬶天下 ~


 オトコエシの花言葉 野生味




 理想の夫婦。

 そんな言葉は。

 口にするだけばかばかしい。




 下校時の下駄箱で。

 漢字の問題集を読みながら歩く。

 危なっかしいこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、お茶碗の形にして。

 そこにオトコエシなど乗せているものだから。


 ホカホカご飯にしか見えません。


 ……だというのに。

 今日のお昼はほうとうでした。



 早く帰って。

 白いご飯をかき込みたい。


 俺がそんな思いでいるとも知らない穂咲さん。

 ふらふらと歩くこいつをまっすぐ歩かせていると。


 クラスの皆から。

 一斉にメッセージが届いたのです。


 『学校出てすぐのとこに、気分が悪くなる関所ができてる!』

 『おじいちゃんに絡まれた!』

 『いたいた! なんかへこむこと言われたんだけど……』

 『誰か先生に言ってくんないか?』



 ……何のことだろう。


 穂咲も俺の携帯を覗き込んで。

 眉根を寄せていますけど。


 でも、この程度だと。

 恐怖心よりも好奇心。


 俺はいつものように穂咲と並んで。

 校門を出たところで……。


「なんじゃ貴様ら並んで歩きおって! 女は男子から三歩下がるもんじゃ!」


 地面に座り込んでいたおじいちゃんから。

 いきなり怒鳴りつけられました。


 ……カンカン帽に小洒落たステッキ。

 唐草模様のまあるい風呂敷を椅子にして。


 どうやら、通り過ぎるみんなに。

 悪態をついていたようなのですが。


 でも。

 今度ばかりは。

 相手が悪かったようなのです。


「おじいちゃん。どうして女の人が、三歩下がるの?」


 今までの皆さんは。

 相手をせずに通り過ぎていたのでしょう。


 穂咲が話しかけてきたことで。

 一瞬、目を丸くされたおじいちゃん。


 でも、すぐに頑固そうなお面をかぶると。

 ふんぞり返って穂咲へ話し始めます。


「そんなもな当然じゃ! 女が男子を立てんでどうする!」

「女じゃなくても、道久君は毎日先生に立たされてるの」

「俺を登場させないで下さいよ」


 おじいちゃんの頑固な目が俺をにらんで。

 ため息などついているじゃありませんか。


「まったく嘆かわしい! 男子が威厳を失うからそうなる!」

「はあ」

「だがどんな男子であろうとも、女は引くのが嗜みじゃ! 男子と肩を並べようなど、不届き千万!」

「なるほどなの。男尊女卑ってやつなの?」

「そうでない! 嗜みと言うが分からんか!」


 穂咲は、大きな声の人が苦手だけど。

 お年寄りの大声には平気なのですよね。


 だからおじいちゃんの一喝にもまったく動揺せずに。

 自分の頭の花を指差します。


「このお花みたいなお話なの」

「何じゃ? 女郎花オミナエシか? ……いや、あれはもっと黄色いか」

「そうなの。こっちは男郎花オトコエシなの。女郎花はもっと黄色い、女の人が食べるあわのごはんなの」


 ああ、それは。

 諸説あるうちの一つですけどね。


 でも、俺もこのお話は好きなのです。

 とっても寂しくなりますけれど。


「男子が食うのが、その男郎花のように真っ白な銀シャリというわけか」

「そうなの」


 穂咲が少し寂しそうに微笑むと。

 おじいちゃんは鼻を鳴らしてそっぽを向きました。


 ……オミナエシ、オトコエシ。

 もともとはオミナメシ、オトコメシと呼んだという話がありまして。


 お花が、茶碗に盛られた粟飯と白いご飯に見えるので。

 そう呼ばれるようになったという説があるのです。


 理想の夫婦。

 そんな言葉は。

 口にするだけばかばかしい。


 時代と共に理想像は変わるのが当たり前。

 男を立てて白米を食べてもらい。

 女性は粟を食べる。


 そんな時代は。

 今は昔。


 おじいちゃんの理想と現代のそれとは。

 まったく違うのです。



 ……おじいちゃんは。

 杖の柄を顎に当てながら。

 再び穂咲をにらみつけます。


「わしが言っておるのは、そういう差別の話ではない。男を立てる、女の気構えについて言うておるのじゃ」

「気構え、確かになくなったの」

「そうじゃろうそうじゃろう! そもそも婦女子たるもの……」

「男女ともだけど」

「うぐっ! ……た、確かにの……」


 だから。

 俺を巻き込みなさんな。


 背中にお料理道具がぎっちり詰まったリュックを背負って。

 自分の分と君の分、両手に鞄を提げて。

 君の寄り道を後ろで見守っている姿。


 説得力あり過ぎなのです。


「嘆かわしい!」


 そうは言いましても。

 なんなら、穂咲から三歩ほど後ろに立ってますけど。


 理想の夫婦。

 そんな言葉は。

 口にするだけばかばかしい。


 理想的な、平等な夫婦なんて絵空事。

 世の夫婦は、現在大体こんな感じ。


 女性の方が家のことに仕事に大忙しなので。

 男が我慢した方が、大概うまくいくのです。


 ……まあ。

 俺達は夫婦どころか恋人でもないですけど。


「ふん! そこの口だけ女!」

「なあに?」

「男女平等と言うなら、その手提げを持ってやればよかろう!」


 負けじと言い返すおじいちゃんなのですが。

 その手を穂咲に引かれて立たされると。


「そうすると、あたしがおじいちゃんの荷物持てなくなるの」


 どっこいせと唐草模様を背に負って。

 おじいちゃんより腰を曲げた穂咲に。

 目を丸くしてしまいました。


「こっち?」


 そして駅の方へよろよろ歩き出した穂咲に。

 もごもごと、何かを言いたげにしていたのですが。


 結局口をつぐんで。

 穂咲に並んで歩きます。


「ええい! わしより後ろを歩かんか、この恥知らずめ!」

「そ、そのうち三歩どころか、十メーターは差がつきそうなの……」


 おじいちゃんを見上げながら。

 苦笑いを浮かべる穂咲。


 そんなこいつの顔を見て。

 ふんと鼻息を鳴らすおじいちゃんは。


 結局、穂咲と歩調を合わせて。

 ずっとお隣りを歩くのでした。



 ……しかし。

 君は本当に。


 身の回りに起きた「困った」を。

 すべて聞き取る耳を持っているのですね。


 おじいちゃん。

 頑固なおじいちゃん。


 重たい荷物を運べず。

 座り込んでいたというのに。


 若者が無視して通り過ぎるもんだから。

 悪態をついて、絡んでたのでしょう。


「……頑固爺なのです」

「頑固爺なの」

「うるさいぞ貴様ら!」


 おじいちゃんが。

 不機嫌そうに大声を張り上げる姿も。


 なんだか。

 可愛らしく見えてくるのでした。


「……お花図鑑の知識が役に立ったの」

「は?」


 ふうふうと。

 息を切らせながら。


 穂咲がつぶやいた、図鑑という言葉。


「ああ、オトコエシが白米という件。注釈ありましたよね」


 君に貸したお花の図鑑。

 確かに、あれに書いてあったお話でした。


「そう言えば、今週末にまた式場へ行くのですが、あの図鑑に載っていた写真で説明したい事があるので返してくださいな」

「え? 返したの」

「返してもらってないですよ?」

「あれ?」


 首をひねりながら。

 穂咲が足を止めましたけど。


 でもそれは。

 記憶を辿ろうとしたわけではなく。


 おじいちゃんが。

 疲れて遅れ始めたからなのです。


「…………ゆっくりでいいの」

「や、やかましい女め……。男のやることにあーだこーだ言うでない!」

「女だ男だ、うるさいおじいちゃんなの」

「うるさい! 貴様が何と言おうが、男と女は違う生き物じゃ!」


 やれやれ、頑固なおじいちゃんだこと。

 今度はどう反論するのかしら。

 俺が穂咲の言葉を、ちょっと楽しみに待っていたら……。


「そりゃそうなの。別物なの」


 意外にも。

 主張と違うようなことを言い出しました。


「なんじゃ? お前さん、男も女も変わらんと言うとったではないか!」

「さっきはそう言ったけど、図鑑のこと話してたら思い出したの」


 そしてすまし顔で。

 のこのこ歩き始めると。


「オトコエシは役に立たないけど、オミナエシには薬効があるの」


 そう言って。

 おじいちゃんを憤慨させながら。

 お家まで連れて行ってあげたのでした。



 ……なるほどね。

 男女平等も、今や昔。


 現代の常識は。

 女性は強し。


 とっても胸に刺さるお話なのです。


 でも。

 そんな言葉を。


 おじいちゃんの家に着いた時。

 俺達は、もっと鮮明に思い知ることになりました。



 ……玄関先で。

 心配そうに待っていたおばあちゃんは。


 荷物を背負う穂咲に悪態をつく。

 そんなおじいちゃんの姿を見るなり。


 お尻を。

 思い切り足蹴にして。


 俺たちを驚愕させたのでした。




 理想の夫婦。

 そんな言葉は。

 口にするだけばかばかしいのです。




「……いいご夫婦なの」

「そうかなあ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る