アンズのせい
~ 十月二日(水) 麺麭 ~
アンズの花言葉 乙女の恥じらい
「まったく、心配かけんじゃねえよ」
「料理の専門学校なんていくらでもあるだろ」
「大学受験と違うんだから、気楽にな」
「ありがとなの。でも、本買ってきたからもう大丈夫なの」
お昼を食べ終わって。
俺が洗い物から帰って来ると。
文化祭以来。
どうにも悪評の絶えない三人組が。
穂咲を囲んで。
励ましてくれていたのです。
「あの~。お三人が優しくして下さるのは喜ばしいことなのですが……」
「なんだよ道久、その言い方」
「俺たちが藍川としゃべってるのがそんなに迷惑か?」
文化祭中に、彼女を作ろうと躍起になっていたお三人。
柿崎君に立花君に矢部君。
文化祭が終わってからも。
その努力は未だに続いているようで。
……つまり、あれ以来。
何人もの女子を口説いているようで。
日に日にその評価が。
産卵前のウナギのごとく。
海へ向かって下がり放題なのです。
「いえ、迷惑という訳ではないのですが」
「だったら文句言いたそうな顔で見んなよ」
「そうだそうだ」
「そうなの。みんな、あたし以外の女子は微妙に距離を置く問題児なの。無下にしちゃかわいそうなの」
「「「ぐはあっ!!!」」」
辛らつなことを平気で口にして。
三人のもののふをばっさり切り捨てるこいつは
「……無下どころか、君の場合は抉ってます。ピュアハートを」
「ピュアじゃないから距離を置かれてるの」
「「「ぐはあっ!!!」」」
今日は、軽い色に染めたゆるふわロング髪をお団子にして。
そこにアンズの枝をぶすっと突き立てていますけど。
「……まったくもって花言葉と違う子なのです」
「乙女が頬を染めている様を体現するあたしに向かって失礼なの」
「赤いのはアンズのジャムがべっとりついているせいです」
何度拭いてあげてもほっぺたで食べるこいつを。
途中から放置していたのですが。
すっかり忘れて洗い物に出てしまいました。
……そんな穂咲は。
ジャムをティッシュで拭って俺に押し付けると。
高校受験用の、漢字の問題集を。
嬉しそうに抱きしめます。
「こいつさえあれば、次は平気なの」
「そうですね。完璧に書く必要はないので、適度に覚えなさいな」
「もう完璧なの。どんな漢字もばっちこいなの」
え? もう勉強し終えたのですか?
たまに、信じがたい集中力を発揮する穂咲の事ですし。
あながちウソとも思えませんが。
半信半疑。
鼻息荒く完璧だと言い張るこいつを見つめていると。
袈裟切りにされた立花君がようやく起き上がって。
手にしたカレーパンをかじりながら。
地味な反撃をしてきました。
「じゃあ、問題を出してやる」
「なんとありがちな嫌がらせ」
「嫌がらせじゃねえし、さっきの反撃でもねえ! 俺は親切心から、その本で一番難しそうな問題を出して優越感に浸ろうとしてるだけだ!」
「それをうちの隣近所では嫌がらせと呼ぶのです」
呆れる俺を捨て置いて。
立花君が穂咲から問題集を取り上げたのですが。
問題をまだ出してもいないうちに。
穂咲が解答します。
「読んでないから分かるわけないの」
「それで完璧って言ったのかよ藍川!」
「あるわ」
「それはよくわかる」
眉根を寄せる立花君の両隣りで。
柿崎君と矢部君がしきりに頷くのですが。
買ったら覚えた気になってしまうって。
確かにあるあるかもしれませんけど。
「……ダメダメなのです」
「だって、ちっと捲ってみたけど、これじゃ読む気になんないの」
「なぜなのです?」
「物語が無いの」
「問題集に何を求めてるんだよ藍川!」
「ないわ」
「それはさっぱり分からん」
皆さん。
にらむなら当事者にしてください。
俺をにらんだところで。
問題は解決しません。
……と、思っていたのも束の間の事。
思い出しましたよ。
そういえば昔……。
「なにやら辞書を見ながら、物語を創作していた時期がありましたね」
「想像力が掻き立てられたの。あの本、どこやったっけ?」
確か、漢字辞典の『亜』の字を見て。
車が走ってきたとか言っていましたっけ。
そして『阿』の字の中にある四角に停めて。
両開きの門に見立てたこざとへんから家の中へ入るのでしたね。
「ああ。それで難しい漢字も覚えたのですね」
字としてではなく。
絵として。
「この本、今一番売れてますってポップが貼ってあったから買ったのに、面白くもなんともないの。まつりんと瀬古君の作った物語の方が断然素敵」
「問題集と比べてんじゃねえよ!」
そして、中盤あたりから面白くなるのかなと。
ぺらぺらと本を捲る穂咲を見て。
やべっち君が、けたけたと笑います。
……そう、やべっち君。
他の子へもアタックするという、いいかげんな態度ながらも。
彼は春休み以来、坂上さんを狙っていたはずなのですが。
それでも先日、瀬古君が奥手だからと。
もっと積極的に誘うよう、坂上さんにアドバイスしたおかげで。
今ではあのお二人、毎日図書館で。
一緒に受験勉強しているようなのです。
なんだか、やべっち君のおかげで。
落ち着くところに落ち着いたといった印象。
あのお二人でしたら。
お互いに相手を思いやる。
素敵なカップルになることでしょう。
それにひきかえ……。
「皆さんは、そろそろ考えを改めないと。卒業するまで女子から口をきいてもらえなくなるのです」
「なんだと!?」
「いや待て柿崎。道久のいう事、もっともだぜ。だから俺は、専門学校で新しい恋を見つけるために、今からイケメン力を高めることにした!」
「おお。前向きなのですやべっち君」
「現実逃避とも言うの」
「ぐはあっ!!!」
あのねえ君。
今のはさすがにかわいそう。
刃が鋭利すぎるのです。
せめてみねうちにしたげなさいな。
「……そうだぜやべっち。まだ諦めるには早い。俺は、さらに順位を下げて野口さんにアタックすることにした!」
「いやいや立花君。かっこよくカレーパンをかじりながら言っても、その発言は最低なのです」
「なんだと!?」
順々に声をかけたって。
悪評は広まるばかり。
「もしどうしてもという事ならバイト先とか、他の学年とかにしないと」
「なるほど、一理あるな。接点が無さそうな女子へ手あたり次第に、か」
「ですから。かっこよくかじっても発言がかっこ悪いのです。そんなにパンお好きなのですか?」
「おお。俺は昼パンが好物だからな!」
はあ。
昼パンって言い方、初めて聞きました。
「よし、こうなったら隣のクラスの女子を狙ってみるか!」
「……ですから」
「おお。俺は昼パンと揚げパンが好物だからな!」
そういう事ではなく。
「やれやれ。柿崎君からも何か言ってやってください」
「…………有村、とか?」
「煽れと言ったわけではなく」
「いいな! オタ話で盛り上がった事あるし、脈ありなんじゃね!?」
「ちょっと。ですから近いところはやめろと言って……」
「ルックスは今一つだけど、オタに理解のある子はいいぞ!」
そう言いながら、どこから取り出したのやら。
青いサイリウムを折りなさんな振りなさんな。
「奇行! ちょっと、落ち着いて欲しいのです!」
「おお! 俺は昼パンと揚げパンと縞パンが好物だからな!」
「ええいやかましい! 穂咲! やっておしまいなさい!」
俺の指令に嫌そうな顔で立ち上がった穂咲は。
去年の文化祭で鍛えた見事な右を。
立花君のお腹に見舞って騒ぎを鎮火。
予鈴のゴングが鳴り響く中。
KO勝ちと相成りました。
「……腹パンとぐーパンもプレゼントなの」
「ご、御馳走様でした……」
そしてぐったりと崩れ落ちた立花君を。
残る二人が支えながらリングの外へ連れて行くと。
チャンピオンは、コーナーポスト前よろしく。
椅子にドカッと座り込んで。
お茶をくいっと煽るのです。
ああもう、役に徹しすぎ。
ガニ股開いてみっともない。
そんな穂咲を咎めようと視線を足元に送りながら。
床に落ちた青いサイリウムを拾ったのですが。
……いけね。
わざとじゃないよ?
「なあに道久君? この赤コーナーが欲しければ、挑んでみるといいの」
「いいえ。そちらは青いしましまコーナーなのです」
つい面白いことを言ってしまった俺のバカ。
慌てて口を塞いだところですでに手遅れ。
チャンピオンは俺からサイリウムを取り上げて、散々叩いてKOを奪うと。
ちょうど教室に入って来た先生を見て、サイリウムをポケットに突っ込んで赤コーナーへ座ります。
「…………立たされるのがそんなに嫌か」
「いえ。ここで横になっている理由としてそれは妥当ではありません……」
「まあ、そのうち立たせてやるから好きなだけそうしていろ。……藍川。これを配ってくれ」
酷い。
起き上がれない俺を放置ですか。
でも、それどころではありません。
そんな冷たい先生に呼ばれて席を立った穂咲のポッケ。
青く光っているのですけど。
……それを見た先生は。
眉根を寄せて。
珍しく。
ちょっと言葉足らずの指摘をするのでした。
「どうした藍川。スカートの中、青いぞ?」
もちろん。
サイリウムの事を言ったのです。
でも、チャンピオンはスカートの裾を押さえて真っ赤になって。
先生を散々サイリウムで叩いた挙句。
廊下に立たせてしまいました。
…………え?
このパターン。
俺も行かなきゃいけないですかね、廊下?
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