ヘリオトロープのせい
~ 十月一日(火) 朔 ~
ヘリオトロープの花言葉 献身的な愛
秋という季節もページが一つ進んで。
もう十月一日になってしまったのですが。
いつまでもずっと続くのかと思っていた高校生活も。
もうあと少しで終わりなわけで。
三月になれば、それぞれの道へ。
誰しも旅立つわけなのですけど。
……その、それぞれの道というものが。
無い人にはどうなるのでしょう。
「いい加減、落ち込むのやめなさいよ」
「うう。香澄ちゃんまで落ちたって言うの」
「重症だなこりゃ」
お昼休み。
すっかりしょげたままの教授を心配して。
いつもの二人が。
お弁当と机を持参して駆けつけてくれました。
そうですね。
俺の机、食事をするには不向きですし。
……勉強するにも向いてないと思うけど。
「大丈夫よ。専門学校受験で落ちた人なんて聞いたこと無いから」
「いや、小論文を全部ひらがなで書いたらさすがに落とされるだろ。なんでそんなことになったんだよ」
六本木君の、歯に衣着せぬ物言いに。
渡さんが肘鉄をくれています。
でも、正直なところ。
俺が試験官でもこの子は落とすと思うのです。
そんな、漢字を書くことにすっかり怯えてしまったこいつは
軽い色に染めたゆるふわロング髪をメリーゴーランドの形に結い上げて。
屋根のてっぺんに、アシダンセラを植えていますけど。
「あの人の励まし方って一体……」
メリーゴーランド。
精巧すぎて、逆にちょっぴり怖いのです。
……そんな遊園地ちゃん。
六本木君の質問に。
タレ目をさらに落としながら返事をします。
「なんかね? 字を書いてるうちに、本当に合ってるのか分からなくなって。不安な字を消してたら……」
「結果、全部ひらがなになったらしいのです」
「分かる気はするけど……」
「いや。鉛筆で字を書いてねえからそうなるんだ」
やれやれと。
頭を抱えつつ。
それでも心から心配してくれる。
六本木君と渡さん。
「渡さんも励ましてくれますし。六本木君の意見も理に適っているのです。何か言いたい事は?」
「うう……、ありがとなの。でも、きっと落ちてるの」
教授は、ソーキそばのスープだけ。
レンゲでちびちびとすすっていますけど。
いい加減元気を出して食べ始めないと。
お昼休みが終わってしまうのです。
「他の学校は? 願書出してないの?」
お弁当を半分方食べ終えた渡さんが。
教授に優しく聞くと。
「もう一校願書出してて。でも、そっちの試験あんまし行きたくないの」
「何バカなこと言ってんだ。選り好みしてる場合じゃねえだろ?」
「だって、試験の日、二十日なの」
……ああ、なるほど。
お誕生日ですか。
毎年、お誕生日は。
楽しく過ごしてきましたもんね。
でも、そんな教授に。
六本木君ばかりか。
渡さんまでため息をつくのです。
「バカ言ってないで試験行きなさい。社会に出たら誕生日とかクリスマスとか関係ないんだから」
「そう口では言っておきながらも、仕事の都合で行けなくなったなんて連絡をもらったらやっぱり寂しくて。街なかを歩いて雑貨屋のショーウィンドーに素敵なピアノ型のオルゴールを見つけて、こんな可愛らしいプレゼントを持った彼と一緒に過ごしたかったなーって見惚れながらほろりと涙を流したら、まったく同じ気持ちでオルゴールを見ていたイケメンと目が合って、ひょっとして同じ境遇かな。予約していたレストランがあるのですが、一緒にどうですからの、いやです他を当たって下さいからのショーウィンドードンからの、今夜は、一人で過ごすには寒すぎる……。ってのを求めてるの」
「「「長い!」」」
何を語りだしたかと思えば。
とんだ恋の妄想いやちょっと待て。
「よく考えてみたら浮気してるのです! ダメ絶対!」
「そうだ気付かなかったぜ! ほいほい他の男のとこ行くんじゃねえ!」
「それも違うから。グダグダ言ってないで、漢字の特訓するわよ?」
これに、教授が横を向いて舌打ち。
さすがは渡さん。
教授が誤魔化そうとしていたのを一発で見抜くとは。
「……香澄ちゃんは鬼教官なの」
「では早速、鬼教官と書いてみなさい」
そう言いながら。
シャーペンとノートを渡すと。
教授がむすっとしながら。
ぐりぐりと書いたその文字は。
『鬼叫喚』
「桃太郎襲来ってか?」
「まるでわざとみたいに間違えるのです」
「やれやれね。これってスマホの影響?」
「さあ。最近まで普通に漢字書けていましたし、なんなら小学校の時、漢字博士と呼ばれていたこともあったのですが」
「ああ! そう言えば! 私、穂咲から難しい漢字いくつか教わった記憶ある!」
「……そんな記憶ないの。それに、ご飯の間にこんなことしちゃいけないの」
教授はシャーペンとノートを渡さんへ突っ返すと。
ちびちびと麺をすすり始めるのです。
「まあ、確かにみっともないですけど……」
「じゃあとっとと食べ終えて、勉強するわよ! あたしはご飯おしまい!」
「……え? ごちそうさまなのですか?」
まだ結構残ってますけど。
蓋をして、包みを結び始める渡さん。
そんなお隣りで。
これまた結構残して両手を合わせる六本木君。
「二人ともどうしたのです? そんなに残して」
「ん? 腹一杯になったら勉強できねえだろ」
「お母さん、何も言わないのですか?」
「腹加減によっちゃ足りねえことあるからな、そっちの具合に合わせてくれるからいつも多すぎなんだよ」
「……良くないの」
教授がしょんぼりとつぶやくと。
二人揃って、少し困った顔をするのです。
……受験勉強で忙しい二人に。
毎日お弁当を作ってくれるお母さん。
そのお気持ちを考えれば……。
「いやいや。食い過ぎて勉強がおぼつかねえ方が問題あるだろ」
「うん……。うちも、残していいからって言ってくれるし……」
「そう口では言いながらも、残したお弁当の中身を捨てるの、悲しいはずなの」
そうですよね。
俺、初めて父ちゃん母ちゃんに作った肉じゃがを流しに捨てた時。
急に倒れて、父ちゃん母ちゃんが病院へ連れて行かなくちゃならなくなった君の所のおばさんを恨むほど悲しい気持ちになりましたし。
「……六本木君の分は、俺がいただきます」
「香澄ちゃんのはあたしが食べるの」
「無茶言いなさんな。教授、お菓子以外は半人分しか食べれないでしょうに」
俺が、二人のお弁当包みを回収して手を合わせて。
美味しくいただきはじめると。
教授が、文句を言いたげな六本木君に話し始めます。
「……六本木君、香澄ちゃんに、クリスマスの日にお弁当こさえたげるの」
「は? 何を面倒な」
「料理の一つもできないって言われたのを見返したいついでに、日ごろの感謝を込めて気合を入れて」
「ああ、例え話か」
「ネットで作り方勉強して、チキンにオレンジソースかけた本格的なヤツ作るの。事前にしっかり調べて、お買い物行っても手ごろな鶏肉が無くて、何件もはしごしてようやく骨付きのモモ肉見つけて、当日は早起きして……」
「……ああ、もう分かった。明日から少なめにしてもらうよう言うって」
さすがに頭を掻いて。
不器用に微笑んでくれた六本木君。
渡さんも、一緒に優しく微笑んでくれたのですが。
でも、俺には分かるのです。
「このエピソード込みで話さないと、いつもの量で作ると思いますよ?」
「そうね。無理して食べなきゃって思うようになるから少なくって言わないと」
「ああ。足りなきゃなんかかって食うからって言っとかねえとな」
……いえ。
俺には分かるのです。
お弁当の量。
きっと、何度か言わないと減らないし。
しかも定期的に言わないと。
また少しずつ増えていくのです。
だってそれが。
お母さんの愛情ですから。
こればっかりは。
甘んじて受け入れてあげるのが子供の度量なのですよ。
俺は、お二人を心配するお母さんの気持ちを。
お腹いっぱいいただいて。
……おかげで。
午後の授業はぐっすりでした。
いつ、廊下に来ていたのか分からない程に。
「…………ちょっとしたホラーなのです」
人間。
寝たまま廊下まで歩けて。
立ったまま眠れるものなのですね。
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