スノーベリーのせい


 ~ 九月三十日(月) 沖する ~


  スノーベリーの花言葉 献身的に



 日曜日の試験が終わってから。

 ずーっとこの調子。


 さて。

 どうしたものでしょう。


「……落ちたの」

「まだ分かりませんから」

「落ちたの」

「分かりませんって」


 机に全身で突っ伏して。

 死んだ魚のような目をしているのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を。

 せめて髪くらいは元気になって欲しいからというおばさんの親心。


 一時の、ホステスさんのようにこんもりと盛って。

 そこにこれでもかとスノーベリーを活けているのです。


 ピンクから白にグラデーションする可愛らしいお花も。

 こんな鉢植えに挿されるでは可哀そう。


 それにしてもこの人。

 理由をまるで教えてくれないので。


 慰める言葉が。

 どうしても一辺倒になってしまいます。


 なんとか理由を。

 探れないものでしょうか。


「面接で失敗した?」

「面接は完璧なの」

「じゃあ、小論文、白紙で出したとか?」

「目いっぱい書いたの」

「でしたら大丈夫ですって」

「…………よっつでも?」


 ようやく秋めいてきた涼しい風が吹き抜ける教室に。

 先生の朗読が響き渡る中。


 こいつはようやく。

 落ちた落ちたと嘆く理由を話し始めました。


「なにがよっつなのです?」

「書けた漢字の数」


 …………なるほど。

 漢字が書けなかったと。


 確かに小論文では。

 重要なポイントなのかもしれませんけど。


「よっつですか。何の字が書けたのです?」

「穂と川と咲と藍」

「シャッフルして誤魔化しなさんな」


 名前以外を全部ひらがなで書いたの?

 それは確かに落とされそう。


「でも、まず落とされないって言ってましたから。漢字無しの論文だって、きっと平気なのです」


 俺のフォローに。

 ふとーく太くため息を吐いた穂咲は。


 とうとう机に頬をくっ付けながら。

 もごもごと呟きます。


「だめなの。だって、急に競争率が跳ね上がったから」

「急に?」

「受験した学校、来年から他の名門料理学校と合併することが決まったの。それを試験の日に聞いたの」


 ああ、なるほど。

 それなら、その名門校とやらに合わせた振るい落としがあるかもしれませんね。


 って。

 ちょっと待ってください。


「いやいやいや、それを当日言うってどうなの? おかしくないですか?」

「言われてからよく見たら、試験の案内に書いてあったの」

「おい」


 ちゃんと確認しなさいよ。

 でも、それは参りましたね。


 悪い予感、当たってしまったようなのです。


「だから受験生が二千人もいたのですか」

「そうなの。落ちるの決定なの……」


 なるほど、理解できました。


 でも。


「可能性、ゼロではないのです」

「だめなの。まるで漢字が書けなかったの」

「いえ、それでも落ちると決まったわけでは」

「その、落ちるって、どう書くんだっけ」



 うわあ。



 さすがに唖然とした俺の目の前で。

 この人。


 机の端に、さんずいを書いたまま停止してしまいましたが。


「……スマホのせいでしょうか」


 なんという現代社会の罠。

 読みが強化される反面。

 書きがまるでダメになるとか。


 でもおかしいな。


「君、漢字はそれなり書けたはずですよね」

「入学試験だって思ったら、急に頭が真っ白になって……、今に至る」

「そんなバカな」


 入試の時には。

 プレッシャーで書けなくなって。


 今は、失敗したショックで書けないなんて。


「あたしはもうダメなの」

「おいおい」


 そして穂咲は。

 机にめり込んでしまうかと思う程にぐったりとすると。


「道久君はあたしを置いて有名人になるの」


 鼻をすすりながら。

 変なことを言い出しました。


「なんですかそれ。なれませんよ」

「そして美穂さんは、世界的なカメラマンになるの」

「そちらは可能性ありますけど……」


 ずっと話しっぱなしの俺たちの様子。

 さすがに先生も気付いているようで。

 こちらをちらちらと窺っていますが。


 珍しく空気を読んで。

 放置してくれています。


「きっと美穂さん、今、一番人気のある外人カメラマンさんの人気を抜くの」

「そんな人いるの?」

「テレビのカメラマンで、すっごく有名な人がいるの」

「ああ、テレビのカメラマンでしたか」


 テレビカメラを操作してる人。

 憧れたことがありますけど。


 有名な人とかいるものなんですね。


「どのチャンネルの人?」

「いろんなチャンネルで活躍してるの」

「フリーなのですか。凄いのです」

「背がすっごい高い外人さんで、景色とかを壮大に撮影するの」

「へえ。何て名前の人なんです?」

「ドローンさん」


 高いな~、背。


 激しく突っ込みたいところですが。

 ここはこらえて我慢です。


「とにかく、今からでも遅くないので。しっかり漢字の勉強をして次の試験に備えましょう」

「はいなの。でも、楽して覚えたいの……」

「そういうわがまま言わない。努力あるのみなのです」

「はあ……。神様が、もしも一つだけ願いを叶えてくれるなら……」


 いやいや、思いつめ過ぎなのです。

 漢字じゃなくて、もっといいことに使いなさいよそんなチート。


「……ドローンさんより、背が高く伸びますように」

「だいだらぼっちか!」


 さすがにこらえきれずに突っ込むと。

 ゴホンと一つ咳払い。


 俺は席を立ちながら。

 穂咲の様子を最後にうかがうと。


「……背って、どう書くんだっけ」


 そう呟きながら。

 南と書いたまま停止したのです。


 やれやれ。

 これは大変なことになりました。


 さて、どうやって特訓しましょう?


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