ハスのせい


 ~ 九月二十六日(木) 鐃鈸 ~


  ハスの花言葉 救ってください



 入試直前と聞いて。

 散々甘やかしてみれば。


 調子に乗って。

 要求が青天井で跳ね上がって行ったこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 でも、数日の辛抱と思って。

 甲斐甲斐しく世話を焼いた俺。


 そんな姿を見て。

 おばさんが教えてくれたのです。


 ……駅向こうの専門学校。

 地元主婦へ料理教室も開くような気楽な所で。


 試験で落ちるような人は。

 まるでいないらしいのです。


 これを二人で聞いた途端。

 もちろんその場で下剋上。


 これが世に言う。

 藍川家の居間の乱だったのです。


「……道久君様。シャーペンの芯を入れ終わりましたなの」

「ん。苦しゅうない」


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を頭のてっぺんでお団子にして。

 そこにピンクの大輪、ハスの花を乗せた穂咲は。


 しずしずとシャーペンを差し出しながら。

 俺を高いところから見下ろします。


「…………地べただと威厳が無いの。道久君様」

「ほっといて下さい。というかはやく机の場所を思い出しなさい」



 ――今日は昨日よりも。

 クラスに人が多いのですが。


 それでも空席がいくつかある室内を。

 先生は、教科書を片手に見渡します。


「あー、十月から十二月にかけて、進路が決まる者が増えていくだろう。だが、クラスみんなの進路が決まるまで、羽目を外さんように」


 そんな言葉を挟んで。

 再び教科書を朗読し始めましたが。

 確かにそうですね。


 大学受験組は。

 二月くらいまで気が休まらないのですから。


 下手に浮かれたりしないように。

 注意しないと。


「……ねえ、道久君」

「はい。なんです?」

「来週の合格発表の後、パーティーしないといけないの」

「先生の話、聞いてました?」


 やれやれ。

 あとでちゃんと言っておかないと。


 既に合格している人もいるのに。

 だれも浮かれてないでしょ?


「それに、捕らぬ狸の皮算用。そんなに浮足立った状態でいると、足下をすくわれるのです」

「でも、受験番号もいい感じなの。落ちるはず無いの」


 そう言いながら押し付けて来た受験票。

 書かれていた番号は……?


「ね? いい感じなの」

「一番苦しむって書いてあるこれが?」


 いやはや。

 なんと縁起の悪い。


 1946番って。

 すごいね君のくじ運。


「これのどこがいい感じなのです」

「カブなの」

「ブタです」


 あれ? じゃありません。

 電卓叩かなくても暗算で分かるでしょうに。


 ……そして鼻息を荒くして『19』って数字を見せつけなさんな。

 間違ってる間違ってる。


 俺はため息をつきながら。

 穂咲の手を追い払ったのですが。



 ……ちょっと待ってください。



 1946番!?



「あの狭い教室に二千人?」

「そんなに入れるわけないの。きっと、毎年続きの番号から始まってるの」


 そんなことありますかね。

 俺はなんだか不安になるのです。


 ……心配性な性格が。

 再び下剋上を許しそうになりながら。


 穂咲がカバンからおもちゃを取り出す様子を。

 黙って見つめてまてまてまて。


「いい加減にしなさい。さすがにそんなビッグネームはいけません」


 そう、こいつは誰でも知っている。

 シンバルを持ったサルのぬいぐるみ。


 背中の電池を入れるケースが。

 俺の背に冷たいものを走らせます。


「そいつが、がっしゃんがっしゃん始めたら。俺は向こう三ヶ月くらい廊下から一歩も動けなくなると思うのです」

「スイッチなんか入れないの。可愛いの」


 可愛い?

 そいつ、頭を叩くと。

 目を剥いて怒り出すじゃないですか。


 あの顔の怖さといったら。

 トラウマレベルなのです。


「なんでそんなの出しましたか」

「道久君が寂しいと思って。ちょっとした余興なの」


 そして穂咲は。

 机の端に、シンバルを持ったサルを座らせます。


 ……ねえ。


 その余興が俺を見下しているようで。

 なんだか頭に来るのですが。


 まあいいや。

 気にするまい。


 俺は教科書に目を戻して。

 先生が朗読している行を探します。


 おお、いかん。

 既に隣のページに入ってた。


「君も、違うページを開いてたら叱られますよ?」


 俺は穂咲に視線を移すと。

 意外にも、真面目に教科書を見つめていたので一安心。



 ……いや?


 待て。


 サルがおかしい。



 さっきまで、机に腰かけていたサルが。

 俺に赤い尻を向けて、床へ下りようとしているのですが。


 それ、テープで貼ったの?

 暇なの?


 そんな視線で見つめても。

 穂咲は真剣な表情で教科書のページをペラリとめくるだけ。


 やれやれ。

 こんなの、相手にしたら負けなのです。


 俺は肩でため息をつきながら教科書へ視線を戻し。

 そして先生が板書を始めた時に。


 またもや気付いてしまったのです。



 ……サルは、机の縁からさらに下りて。

 既に二つのシンバルでぎりぎり掴まっている状態。


 いやはや。

 なんというだるまさんが転んだ。


 穂咲さん。

 君はよくもまあそんなポーカーフェイスでいられるね。


 しかし、その遊びは危険すぎる。

 もしも今。

 机が少しでも揺れたなら。


 彼が落っこちて。

 偶然スイッチが入ったとしたら。


 そんな大惨事。

 考えたくもない。



 俺は、穂咲の机が揺れたりしないように。

 ただただ祈っていたのですが。


 そんな祈りを。

 俺の神様は既読スルー。


「あー、藍川。ここから先を板書しろ」

「はいなの」


 穂咲が言われるがまま席を立つ。

 するとがたんと揺れた机の縁から。


 有名人が落下します。



「危ないっ!」



 ……俺の叫び声が。

 時の流れに枷をはめる。


 伸ばした手が。

 地を蹴る足が。


 どこまでもゆっくりと世界を進む。


 そして地面すれすれ。

 サルをがっちり両手でキャッチした途端に。


 時の流れはようやくリズムを思い出し。

 本来のビートを刻み始めました。



 ……まあ、そうなったら。



「どわああああっ!?」


 俺が机をなぎ倒すのも当然ですよね。



 サルを止めようと思って。

 もっとでかい音を立ててどうする。


 しかも机に絡まって横たわる俺の手の中で。


 体を揺らしてがっしゃんがっしゃんシンバルを奏でる有名人。


 ねえ、それをすぐやめて。

 俺の苦労、台無しなのです。


「…………ご乱心なの? 道久君様」

「ほっといて下さい」

「なんなんだ貴様は!」


 そして昨日に引き続き。

 目を剥いた先生が。

 ずかずか近付いて来たので。


 俺は、相棒の頭を叩いて。

 もっと目を剥いた顔を突き出しました。




 ……下級生の授業中の音楽室に。

 シンバルを持ったまま立たされました。


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