ルリニガナのせい


 ~ 九月二十五日(水) 慫慂 ~


  ルリニガナの花言葉

       心は思いのまま



 大騒ぎだった文化祭も終わり。

 日常が戻ったように感じるのかと思いつつ。

 学校へ来てみれば。


 さすが三年生の二学期。

 空席がぽつぽつと見受けられるのです。


 大学受験組から二人。

 専門進学組から三人。

 就職組から二人。


 合計、八つもの机が空いています。


 ……ええ。

 俺は算数くらいできますよ?


 だって、どこにあるのか分からない俺の席の前。

 きっと誰も座っていないでしょうからね。


「大変なの。思い出せないの」

「さすがに洒落では済みません。君が隠した席の場所を思い出せないせいで、俺が叱られるなんて理不尽です」

「……そんなのを思い出そうとしているのではなく」

「おい」

「なんだったっけ?」


 知りませんよ。

 それより先に。

 机の場所を思い出しなさいな。


 ……予備の机を簡単には渡さないと。

 一週間は真面目に探せと。

 床で授業を受けさせられている俺の身にもなって下さい。


「……頑張って思い出すの」

「そうですね」

「道久君が」

「違いますね」


 もう、こうなったら。

 先日小説で読んだアレを試してみましょう。


 百円ショップで売っていますし。

 穂咲の首からホワイトボードを提げておきましょう。


「……だって、忘れたの」

「無理です」

「ふたつ」

「ふたつもですか」


 綺麗な薄紫の花弁を豪快に広げたルリニガナ。

 惚れ薬の材料を頭に挿して。

 首をひねるこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 きっと惚れ薬と間違えて。

 ほうけ薬がその茎から脳に流れ込んでいるのでしょう。


 昨日、家に押し掛けて来てからずっと。

 なにやらぼーっとしたまま。

 忘れたものを思い出そうとしているこいつなのですが。


 きっと大したものじゃないのでしょう?

 机を先に思い出しなさいな。

 

「あ。一つは思い出したの」

「良かった。ではその子が卒業して空いた席に座らせてあげるのです。机を」

「……ややこしいの」


 それよりも。

 俺が覚えておいてあげますので。


「何を思い出したのか言いなさい」

「偉そうに言わないの。道久君だって忘れてたの」

「え?」

「ちゃんと覚えとくの。今週末なの」


 いけない。

 覚えていないのです。


 文化祭のごたごたの中で。

 何か約束していましたっけ?


「それは済みません。すっかり忘れていたせいで、晴花さんとダブルブッキングしてしまいました」


 これは悪いことをしました。

 俺は床から。

 穂咲を見上げて頭を下げます。


 でも、結婚式場とのお約束共々。

 反故にするわけにはまいりません。


「ダブル? なんで?」

「え? だって、俺も忘れていたって……」

「あたしが一人で出かける予定なの」


 ……ん?

 なに言ってるの?


「あたしの予定なんだから、道久君は覚えとかなきゃいけないの」

「ふざけなさんな」


 なんというわがまま。

 でも、約束を破ることにならなくてよかったのです。


 俺は床に広げた教科書へ視線を戻しながら。

 ほっと胸をなでおろしたのですが。


 それと同時に。

 疑問が胸に浮かんだのです。


 出かける?

 一人で?


 珍しい。


 そして。


 怪しい。


「……どこに行くのです?」


 できる限り平静を装って。

 穂咲に質問してみると。


 こいつは、既に第二問の方へ頭をシフトしていたらしく。

 しばらく、何の話だと言わんばかりに眉根を寄せていたのですが。


「ああ、週末?」

「そう。それなのです」

「テストなの」

「なんの? 追試?」

「専門学校の入試」

「ああ、そうだったのですねうええええ!?」


 慌てて床から立ち上がって。

 肩を掴んで猛烈抗議です。


「そういう大事なことは、もっと前に言いなさいよ!!!」

「だって、忘れてたの」

「忘れてたじゃ済まないでしょうに!」

「落ち着くの。般若が先生みたいな顔で立ってるの」

「逆なのです」


 そう言いながら振り向いてみれば。

 なるほど、穂咲の言いたい事がよく分かりました。


「……比率」

「立ってろ。……ああ、待て。廊下はゴミで一杯だったな。そこでいい」


 そう言いながら般若が授業を再開したのですが。

 厄介で頭を抱えていた文化祭のゴミに感謝なのです。


 ならば授業よりも。

 大切なことを優先です。


「……日曜? 土曜?」

「日曜日なの」

「何時です?」

「九時から」

「道順は大丈夫?」

「駅向こうの、コンビニが入ってるビルの五階だから間違えよう無いの」

「お弁当いるのですか?」


 おろおろと確認を続ける俺に。

 いまさらきょとんとした穂咲なのですが。


 その口が。

 なにやらニヤリと歪みます。


「……かいがいしいの」

「買い食い? いけません。母ちゃんに言って、食べやすいお弁当作ってもらうよう言っておきますから」

「それより、今日、あんまん気分なの」

「はい、試験前に糖分はいいですね。帰りに買ってあげましょう」


 真剣に答える俺の顔を見上げるこいつの。

 鼻の穴が膨れた気がしますが。


 まあ、今はそれよりも。

 心配しなきゃいけないことがあるはずなのです。


「そうだったの。文化祭で出たゴミを捨てるように言われてたの」

「代わりにやっておきますからやっちゃだめです。指を怪我したらどうします」


 また、鼻の穴が膨れましたけど。

 ……ん?

 俺、いいように使われています?


 穂咲は鼻歌でも歌いそうな顔で。

 鞄に手を突っ込んで落花生を取り出すと。


 授業中だというのに。

 食べ始めようとしているのですが。


 やっぱり。

 調子に乗り始めているようですね。


「……硬いの。落花生が剥けないの」


 そう言いながら、俺に渡してくるのですが。

 そすがに突っ返します。


「授業中です」

「剥けないの。これが食べれないと、試験に集中できないの」


 ああもう。

 分かりましたよ。


 俺は音を出さないように。

 慎重に殻を割って。

 渋皮を抜いて渡そうとしたのですが。


「あーん」


 ……すっかり調子に乗って。

 偉そうなことを要求するこいつの。


 膨らみ切った鼻の穴に。

 ピーナッツを詰め込んでやりました。



 すると鼻息で発射されて。

 俺の眉間に白い弾丸が直撃したのでした。



「……やっぱり廊下に行けお前は」


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