ご対面です

 とても芳しい匂いだ--。

 とても、甘い甘い果実のような匂いが胸をくすぐる。とても、心地よい匂いよの。


 ミコトは、薄紅色の薄物うすものを着たネネが二人の男と小舟に乗りやってくるのを目に捉えた。後ろ手に縄でくくられたネネのくりくりとした、両目は山の峰を真っ直ぐに見つめている。


 匂いに誘われたミコトは、水中から小舟へ向かう。


 山々の峰を陽の光が照らし始めるあけぼの、澄みきった空気がネネが呼吸をするたびに肺の奥深くへ入ってくる。

 ---本当に、竜神様がいるならパクリとひとのみで食べて欲しいな……。

 ネネは、自分が食べられることを想像してはどうすれば痛くない食べ方をどうミコトへ嘆願できるかについて考えていた。


「さあ、入れ」

 ネネは、男に持ち上げられぽちゃりと湖の中ね落とされる。腕と同じようにくくられた足から伸びる紐の先にば、重りの石がつけられている。ネネは、いきなり水が鼻から気管へ入ってきたことに慌ててもがいてはみたものの花嫁としてめかしこんだころもか水を吸い重たく纏わりつく。ズブズブと沈んでいく。

 八月とはいえ、水は冷たく身体は冷える。深く深く水の色が変わる。

 次に見えたのは、白く美しい鱗を持った竜だった。


 なんて綺麗な翠の瞳なんだろう。

きゅっとネネの心の臓が縮む。

 ぽけーーっとしたネネと見つめ合ったミコトは、大きな口をパカリと開けネネの薄い腹に歯をたてた。


「----っ」

 まん丸い目をピカッと開き、驚きの表情を見せるネネを見てミコトはこの小動物のような人間はなんて可愛らしいのだと思った。


 湿った生温かい舌が背中に触れた。ネネは、クシが一本とおったように硬直する。鋭く尖った歯は、ネネの体を貫くものではなくくすぐったさを感じるものであった……


 ミコトは、ネネを自分の住処すみかである、大社やしろへと加えて運ぶ。

 大社は、湖の中央にぽつんと浮かぶ浮島うきしまにある。大社は、煌びやかさは無いこじんまりとしたもの。


 浮島に着き、ネネをゆっくりと離す。

「ごほっ!!」

 気管に入った水を粗方吐き出したネネは、目の前に座っているミコトを見上げた。

 そこには、朝日を受けてキラキラと光る白い鱗を持った竜が長い首を傾けてネネの頬をぺろりと舐め上げる。

「ひぇぇぇえっ!」

「そなたの名はなんと言うのだ?」

「……へぅ、ネネです。竜神様にお願いがあって来ました。どうか、雨を降らしてはくれませんか?引き換えに、この身を食べてください!」

「いやじゃ!腹をこわせとゆうのかい。我と人喰いのバケモノと一緒にするでない。我は、最高すいこうなる神じゃぞ。じゃが、雨を降らすことはやってやらんでもない。我に頼みがあるのなら、我の頼みもきけるだろう?」

「……頼みとは?」

「その、だな……。ネネのこころをくれ。そなたのその芳しい《かぐわしい》薫りをはなつ魂を……我に……」

熱のこもった翡翠をネネに向ける。

くすりと苦笑するネネを、不思議そうにミコトは見下ろす。

「それなら、もう貴方様のものですよ。貴方を一目みたとき、貴方様の瞳に魅入られてしまった」


ミコトが、彫刻のように固まる。

「竜神様っ、竜神様っ」

ツルツルな鱗の肌をネネの柔肌やわはだがさする。


ビックゥ!!

これ又、ミコトは尻尾の先までピシッと固まってしまった。

ゆるゆると視線を彷徨わせた《さまよ》ミコトはポツリと言葉を吐く。

「そなたは、我が恐ろしくないのか?」

さっきまでの偉そうな態度との差異がありすぎて、ネネは可愛らしいと感じた。

「いいえ、怖くありません!」

思い切って、飛びこんだ竜の懐は暖かくてネネの頬はゆるやかにゆるむ。ミコトは、自身の尻尾をネネにぎゅっーと巻きつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

竜神様とネネ 沖田 @oktuvl

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ