2-3 デンドロリウムの罠

「そもそもあたしが、デンドロリウムの伝説を聞いたことがきっかけなんです」


 気根に巻き付かれた脚を撫でながら、エルフ旅商人ラップちゃんが語り始めた。


「とある辺境海岸で、竜涎香りゅうぜんこうを探していたときの話なんですけど」


 話はこうだった。辺境海岸には、ごく稀に竜涎香が流れ着いている。ドラゴンが稀に吐き出すという、貴重なマジックアイテムだ。滅多に入手できないとはいうものの、手に入れられればたとえ小石くらいの大きさでも超絶高値で売却できる。


 だからその辺境には行商人だの旅商人、冒険者なんかが吹き溜まっていた。ゴールドラッシュの米国開拓時代のようなもんで。


 彼らに交ざって採取に明け暮れていたラップちゃんだが、あるとき、不思議な植物の噂を聞いた。とある老人の冒険者から。休火山の火口内部にしか自生しない、貴重なマジックフラワー。見た目は可憐な小花なのに、根を千メートルの深さまで張り、地下の溶岩と地熱からマナを吸い上げて、魔力に満ちた実と種を宿す──。


「デンドロリウム……か」

「うん、そう」


 ラップちゃんは頷いた。


「その人は、この火口の縁から、デンドロリウムを見つけたことがあったんだよ、若い日に。……でも断念した。当時の彼は子供が生まれたばかりで、危険な垂直降下なんか試すことができなかったから。それが一生の心残りなんだって。奥さんも子供も亡くなって自由に動けるようになったとはいうものの、今となってはもう体力的に無理だから」

「それで教えてくれたのか」

「うん。身軽でバランス感覚に優れたエルフなら、きっと採取できるだろうって」

「それで竜涎香は後回しにして、この火口に来たのね。ようやくわかったわ、平くん」

「漁村にいるって話だったもんね、ご主人様」


 俺の胸から、レナが見上げてきた。


「そうそう。おかしいとは思ったんだよ」

「それでほら、それこそエルフのバランス感覚で、この棚までは割と楽に辿り着いたんだけど、花に手を伸ばした瞬間、ものすごい勢いでなにかが脚に絡まってきて……」

「これか……」

「うん」


 また脚を撫でてみせた。


 見た感じ、ごぼうみたいな普通の根っこだけどな。ただまあ……この小さな花の根っことはとても思えない太さだってだけで。


「あたし、身動き取れなくなっちゃって。もう……なにやっても外せないし。幸い、エルフならでは……というか、携行食料のレンバスブレッドと含露丸がんろがんがあったから、命は保ててたんだけど」


「含露丸はね、水分をマナで凝縮した、エルフ伝統の食品だよ」


 トリムが教えてくれた。


「あたしは巫女筋だからあんまり野には出なかったけど、ケルクスなら詳しいでしょ」

「ああ。あたしはよく使った。ダークエルフの戦士として、何日も遠くまで斥候に出ることがあったからな」

「ヴェーダは後から合流したのね」


 タマゴ亭さんが、首を傾げた。


「そうなんじゃ、姫様。ラップちゃんの足跡を追い、わしは辺境の漁村からここに急いだ。嫌な予感がしたんじゃ。その草とはまさか、文献にあるデンドロリウムではなかろうか……と」


 もしデンドロリウムだとすれば、ラップちゃんが危険だ。麓で装備を整えると荷運びのロバを買い、山頂まで登った。ラップちゃんの下降ロープを見つけ、そこから自分も下降した。


「よく垂直下降なんかできたな。言っちゃなんだけど……年寄りなのに」

「魔導下降器を使ったのじゃ」

「下降器っていうのはね、現実世界にもあるよ、お兄ちゃん」


 例によってキラリンが脳内検索してくれた。


「ディセンダーっていうんだ。ロープに噛ませて体と結ぶことで、ラッチを使って安全に下降できるんだよ」


 下降っていう英語がディセンドだもんな。そういう登山用品なんだろ。知らんけど。


「それで……降りてみれば、案じたとおり、デンドロリウムじゃった。ラップちゃんが……罠に……。わしには……どうにも……」


 じわりと、ヴェーダの瞳に涙が浮かんだ。


「大丈夫。ヴェーダちゃんがいてくれてあたし、心強かったもん。もしあたしがここで息絶えても、気に病まないで」

「そんなことはないわいっ!」


 ぶんぶん首を振っている。


「まあ……なんにつけ、この根っこを外せばいいんだよな」

「そうじゃが、まず無理であろう」


 ヴェーダが溜息をついた。


「もう全部試した。剣では斬れん。薬品で溶かすのも無理。魔導アイテムでも駄目じゃった。切れ目や傷さえ付けられん」

「この植物は太古よりこうして、敵から種や実を守ってきたのであろうよ、甥っ子甲」


 サタンが腕を組んだ。


「手を出す不届き者は、こうして拘束する。やがて死んで溶けるから、それも自らの栄養とできる。……合理的だ」

「サタンさん。そんな言い方は……」


 キングーがやんわりとたしなめる。天使の子としては、当然の対応だろう。


「事実は事実ではないか。目を背けてどうする。それで解決するのか」

「いえ……それは……たしかに」


 キングーは、力なく首を垂れた。


「どうするつもりだったんだよ、ヴェーダ」

「平殿……」


 ヴェーダは、例の根っこを撫でた。


「わしはここで死んでもよい。ラップちゃんを見守りながら……なら」

「馬鹿なこと言わないで」


 同時に、ラップちゃんとタマゴ亭さんが否定した。


「もういいよ、ヴェーダちゃん。あたしを置いてみんなと逃げて」

「いやじゃいやじゃ」


 イヤイヤしている。いや爺さんのイヤイヤ期とか、気持ち悪いだけなんだが……。


「どうする、ご主人様」

「そうだなあ……レナ」


 仲間を見回した。みんな、俺の言葉を待っている。


「見捨てていくか──ってわけには、いかないわな」

「どうやって助ける、平くん」

「キラリン跳躍はどうかな。一緒にテレポートするの」

「行き先はどこでもいいものね。王宮でも、私達のマンションでも」

「駄目だよお兄ちゃん」


 悲しそうに、キラリンが首を振った。


「これ、魔法の罠だもん。脚を解放させないと」

「脚さえ外せば、跳べるんだな」

「もちろん」

「ならやっぱり、この気根を斬るしかないか」

「無理じゃと言ったであろう」

「まあまあ。試してみようや」


 俺は短剣を抜いた。ラップちゃんの脚に傷を付けないよう注意して、試しに根っこの上を削ぐように剣を動かす。それこそごぼうのささがきを作るときのように。


「……」


 駄目だった。刀はつるつる、表面を滑るだけ。次に垂直に刃を立て、ノコギリのように動かしてみたが、これも無駄。ケルクスも試したが、やはり同じ。ファイアボールの小さな火球を当ててみたが、焦げすらしない。


「薬品も試したんだったよな、ヴェーダ」

「そうじゃ」

「物理も魔法も、薬物も無理か……」

「ひとつだけ、絶対に脚を外せる技ならあるぞ」


 言ったものの、サタンはなぜか眉を寄せている。


「おう、いいなそれ。どうやるんだよ、サタン」

「なに簡単なことよ。斬ればいいのだ」

「……今試したの見てたろ、お前だって。無駄だったじゃん」

「誰が根を斬ると言った。脚を斬れ、甥っ子甲よ」

「……ああ、そうか」


 沈黙があたりを包んだ。まあ……そりゃそうか。盲点だったわ。


「さすが魔族。冷静だな」

「しかしそれでは……ラップちゃんのきれいな脚が……」


 ヴェーダは泣きそうだ。


「とはいえ確かに……絶対に助けることはできる」


 そう。出血と傷は魔法やポーションでなんとかなる。ここからの脱出だって、エンリルに頼むか、それこそキラリン跳躍でなんとでもなる。ただ……この先一生、ラップちゃんが隻足せきそくになってはしまうが。


 そうなると、旅商人を続けるのはかなり難しくなる。タマゴ亭さん経由で王に頼んで、王都で暮らしてもらうとかになるだろう。


「片足になっても、なんとか生きてはいける」


 ラップちゃんを見た。


「どうだ、ラップちゃん。今後の生活は、俺が保証する。旅人は続けられなくなりそうではあるが……」

「いいよ、平さん」


 ラップちゃんは、まっすぐ俺を見つめている。


「あたしがここに留まれば、みんなに迷惑を掛ける。それにどうせ死ぬから、みんなの思い出も汚しちゃう。ヴェーダちゃんには、友達のエルフを救えなかったという傷が残る。……そんなくらいならあたしの脚一本くらい、なんてことないよ」

「……いいんだな」

「うん。ばっさりやっちゃって」


 さばさばした子だ。前からそうは思ってたけどさ。でも自分の脚一本、こんなにあっさり決断できないぞ普通。「ひと晩くらい考えさせてくれ」って、俺なら頼むもの。


「よし……」


 腰の剣を、再度抜いた。


「俺がやる」


 こんな辛い役目は、誰かにやらせたくないしな。


「みんなはポーションやらを準備しといてくれ。すぐ……ラップちゃんの苦痛と出血を止められるように」

「待って下さいっ」


 エリーナが立ち上がった。


「あの……私がやってみます」

「いや、俺が斬る」

「いえ斬るんじゃなくて、叫んでみます、平さん」

「叫ぶ……って、バンシースクリームか」

「ええ」


 頷いた。


「この技はもちろん、植物には効きません。……でもこのように罠を張る植物であればある意味、肉食獣に近いわけですから。だから……もしかして……」

「スクリーム効果でデンドロリウムが茫然自失としたところで、脚を抜くわけか」

「なるほど」


 腰に手を当てて、エンリルが首を縦に振った。


「試してみる手はあるのう……婿殿」

「いいアイデアよ、平くん」


 吉野さんが、俺の腕を取った。


「だって失敗しても、なんのマイナスもないもの。ラップちゃんに」

「ダメ元ってことだよ、ご主人様」

「ああレナ。そのとおりだな。よし……」


 剣を鞘に戻した。


「エリーナ頼む。このふざけた草野郎に向けて、スクリームを叩き込んでくれ」

「はい、平さん」


 実行に向けエリーナは、瞳を引き締めた。


「うまくいったら……」


 ラップちゃんの瞳が輝いた。


「デンドロリウムが怯んでいる間に、実と種だって採取できるよ。あたしの脚を抜くだけでなく。貴重な……アイテムを」


 さすがは旅商人。転んでもタダでは起きんわ、この子。




■本年もご愛読ありがとうございました。来たる新年も、平と嫁の快進撃が続きます。お楽しみにー!

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