5-2 三猫銀行本店のラブレター

「やあ」


 三猫銀行本店常務取締役執務室。入ってきた俺を見て、北上常務は微笑んだ。


「久し振りだね。……こちらにどうぞ」


 立ち上がって、俺に応接ソファーを勧めてくれる。


「君の大暴れは、弊行でも話題の的だよ。……なにか感じなかったか」

「ええまあ……その……来訪を告げた秘書室で、微妙に視線を感じました」


 さすが大銀行秘書室というか。エリート然とした男と、頭の切れそうな女ばかりだったわ。皆、仕事をしつつ、さりげなく俺を見てきた。女子は俺の顔、男は下半身だった。あーひとりだけ女子で、下半身をガン見してくる美女おったわ。吉野さんと気が合いそうな感じで多分あの娘、M系統だな。


「そうだろうそうだろう」


 苦笑い。と、扉を開けて女子行員がトレイを持ってきた。M行員だ(勝手に決めつける俺)。コーヒーカップがふたつ、湯気を立てている。


「ありがとうございます」

「その……握手していただいてよろしいですか。弊行を救った英雄と」

「はあ……」


 困惑していると、北上常務がやれやれと促す。まあいいか。


 立ち上がり握手する。違和感があったので驚いた。女子はじっと俺を見つめている。


「常務、平様を三猫にお招きしてはいかがですか」

扶桑ふそう会でもそんな話が出たな。冗談なんだが半分真剣なトーンだった」


 扶桑会というのは、かつて三猫銀行が所属していた財閥グループ企業横断の連絡会……というか経営相談の場だ。戦後、GHQによる財閥強制解体でばらばらにされたものの、日本を西欧に負けない国に……という創業者猫崎三太郎の遺志を継ぐため、今でも緩い繋がりは持っているようだった。


「どうだ平くん。君なら銀行だけでなく、扶桑グループどこでも引く手は数多あまただよ」

「三木本叩き出されたら拾って下さい」


 座りながら、さりげなくメモをポケットに入れる。今この娘が握手と共に握らせてくれたものだ。ちらと見たが、連絡先のように思える。


「お待ちしておりますわ、平様」


 ダブルミーニングの言葉を残し、秘書の娘は部屋を辞した。なんだ俺、もしかして人生初めてのモテ期来てるのかな。これまでは、モテたの異世界だけだったけどさ。それともハニートラップって奴かもしれんけど。……まあいいや、後で考えよう。なんなら吉野さんにベッドで見せて、嫉妬させて燃えたところを……(もやもや)


「膿が出て」

「は、はい?」


 いかんいかん。エロ妄想で頭がいっぱいになっとったわ。


「膿が出て、三木本も随分すっきりしたようだな」

「はい……」


 ふう……。深呼吸して、頭から妄想を叩き出した。


「鉾田と永野のカスが叩き出されましたからね、即日」

「きみは……」


 呆れたように笑っている。


「本当に遠慮なしだな。仮にも自社の副社長と常務じゃないか」

「悪党なんか名前を呼ばれるだけで上出来です。あいつら、反社とも繋がってたし。おまけに大恩ある三猫銀行にまでクソぶち撒いて」

「うむ……」


 真面目な顔で頷いた。


「本店の営業部長と次長が取り込まれていたからな。我々も脇が甘すぎたのかもしれん。だが我々は、全国に三万人以上の行員を抱えている。それだけいると、あらゆる種類の犯罪者が、絶対に隠れているものだよ。どんな企業でもな。ただ……」


 ほっと息を吐くと、コーヒーを口に運んだ。


「ただ、本店まで食い物にされていたのは、痛恨の極みだ。少なくとも本店行員だけは、これから身元再調査を掛けるつもりだ。予算を割いて」

「それがいいですね。でも……もうあらかた退治は済んだんでしょ」

「まあね。報道されているとおりだよ。平くんが通報してくれたおかげで、病巣切除には成功した。今は手術後の体力回復に努めているところだよ。なにせ財務省からは厳しい指導が入ったし、企業顧客にも責められた。それにもちろん、口座を持つ一般の方に不安を与えたからね」

「まあ大丈夫っしょ、三猫だし」

「その楽観ぶり、やはりウチに欲しいわ」

「でも銀行って、減点主義でしょ。出世を懸けてエリートがライバルのしくじりをチクり合う世界じゃないすか。三木本の祖業は、荒っぽい鉱山商社。減点主義じゃなくて、多少怪しい経緯があろうが結果出したら出世する、加点主義だ。そんな世界ですら俺、異端扱いで底辺部署をたらい回しになってた。銀行なんて無理無理」

「それはわかってるよ。三木本での、入社以来の武勇伝は全部調べた」

「はあ」


 なんだ全部筒抜けか。恥。


「君には扶桑グループの事業会社に入ってもらうよ。内部が腐ってるんだ。そこで大暴れして、風通しを良くしてもらいたい。そのための権限は与える」


 何だよ。冗談とか言いつつ、それなりにもう内部調整済んでるじゃん。さすが明治から昭和まで日本を支えてきた旗艦企業グループ。戦略立案から調整まで素早いわ。


「もちろん、それなりの報酬もな」

「俺はもう、金はどうでもいいですね」

「ほう……」


 楽しそうだ。


「三木本のシニアフェローなら、年俸数千万円だろ。我々はその十倍は出せる。株主と取締役が選出する、外部からの経営者としてね。もちろん……それは一期の報酬だし、永遠ということはない。君は所詮壊し屋だ。高額報酬で一気に企業改革し、あちこちの恨みを買ってすぐ消える。それがふさわしい」

「まあそうでしょうね」

「君だって、そろそろ三木本を巣立つ気だろ。あれだけ暴れた上、プライベートでの爆弾も投げた。現代日本では不道徳とも取られかねない家族を形作ったと、取締役会議の場で明かしたんだからな」

「……このコーヒー、おいしいですね」


 コーヒーを飲み干すと俺は、窓外に視線を投げた。三猫銀行本店ビル上層階の窓からは、皇居の美しい草木が見えている。高い空を、鷹か鷲と思われる猛禽類が飛んでいた。せわしなく内堀通りを行き交う、車の群れを見下ろしながら。


 

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