3-2 吉野さんの大暴露www

「となると……」


 吉野さんは、ワインを口に含んだ。ここまでひと口も飲んでいない。真面目に考えていたってことだろう。勝手にぐいぐいやってた俺とはやっぱ違うわ。


「石元とは俺は、社内安寧を図ろうという目的を共にし、共闘を誓ってる。あいつは敵とは思えない」


 とりあえず、俺も思いついたことを口にした。


「石元さんは元々三猫銀行出身。その意味で社外取締役の北上さんに近いものね。同じ銀行マンだし」

「吉野くんの言うとおりだ。ふたりはもちろん、密に情報交換しているだろう」


 社長が頷いた。


「北上さんが社長派なら、石元さんも逆らいはしないだろう」

「石元は割といい奴でしたよ」


 ──自分は次期頭取レースに敗れた。でもそれは、自分の力量が足りないせいだ。誰かを恨むことは止めようとね。これからは私は三木本商事の社員。もう後戻りはできない。全力を尽くし、財務の立て直しに励もうと──。そう語った石元の顔を、俺は思い浮かべた。


「……となると消去法で、栃木は限りなく黒に近いか」

「栃木さんだろ、平くん」

「どっちでもいいじゃないすか。どうせ社長の敵だ」

「そもそも途上国権益探査室は、割とダークですものね」

「そういうこと。陰謀なんか大好きっしょ」


 アフリカや南米の政府に食い込んで鉱山権益を確保するのが、途上国権益探査室のミッションだ。あのあたりでは政権が腐った国が多く、そこに対応できなければ中国企業なんかに買い負けてしまう。中国人はあらゆる意味でしたたかだからな。しかも背後に中国政府がついた国営企業だし。


 日本企業としてぎりぎりの倫理範囲内で動けるかが勝負。賄賂こそ使わないものの、相手の親族の便宜を図ってやったりなんだりと、政治的な能力に長けていないと務まらない。


 そういう部署だからこそ、事業部ではなく「室」、つまり売上不要で全社配賦対象の間接部門になってるわけさ。


 それだけに、反社長陰謀が起き、しかも優勢と判断すれば、乗る可能性は高い。当然、社長交代後の自分や手下の処遇について、最大限の譲歩を引き出しているだろう。なんとなれば、小物悪党然とした経理プロパー、永野なんかより、よっぽど商社社長の器だし。


「でもこれなら、悩む必要ないっすよね」

「……どうしてそう思う、平くん」

「だってこの読みが正しければ、取締役会の表決は、六対六の拮抗だ。過半数を押さえなければ、社長解任動議は通らない。敵には一票足りない」

「それならいいんだが……」


 社長は眉を寄せている。


「もし誰かひとりでも転んだら、私の負けだ」

「まあそうなったら社長退任すればいいじゃないっすか。田舎の家で赤いちゃんちゃんこ着て、縁側で孫娘でもかわいがってやれば」

「……君は色々間違っとるな」


 苦笑いだ。


「社長。提案があります」


 吉野さんの瞳が輝いた。


「なんだ、吉野くん」

「今回の臨時取締役会提議、表向きの理由は『経営上の重大問題を会議にはかりたい』ですよね」

「ああそうだ。だが提議したのが永野だし、諸々の状況証拠からして、私の解任動議提案のための招集に決まっている。それが『重大問題』という組み立てだろう」


 苦々しい表情で、社長は溜息をついた。いやこの狸がここまで弱気……というか追い込まれた感を出すのは珍しいわ。


「言ってみれば社長が今後も第二期、第三期と経営権を握っていられるかの正念場です。……なので私と平を、取締役会に出席させてください」

「君達を出席……だと」


 意図を探ろうとするかのように、鋭い視線になった。睨まれても動じず、吉野さんはまっすぐ社長の瞳を見返している。


「事業部長同格のシニアフェローとはいえ、君達はただの一般社員じゃないか。取締役会に出られるわけがなかろう。もうマネジメントコースから外れた、スペシャリストコースだ。マネジャーでないのだからマネジメント階層としては係長以下だし、なおのことだ」


 呆れたような声で一蹴されてるな。まあ当然だが。役員会議でこそ俺も大暴れしたが、あれはただの案件説明だからな。それに役員会議と取締役会では、会議としてのレベルが全然違うし。


「オブザーバーという形にしてください。それなら社長権限でできるはず。なにしろ私と平は、三木本商事のグローバルジャンプ21、唯一の成功例。しかも社長側近と誰しもが認識しています。社長補佐として出席するくらいなら、問題視はされないでしょう」

「しかも俺達は、社長の言うように取締役どころか、ただの一般社員。表決には加われないから、敵も反対する根拠がない」


 吉野さんの意図はわからなかったが、とりあえず俺も乗ってみた。後でベッドの中とかで、提案の理由を聞き出すわ。吉野さんを思うがままにあれこれした後、全部終わって賢者タイムのときにでも。


「現場で取締役に睨みを利かせたいということか……」


 社長は唸った。


「社長解任動議が可決されるようなら、自分達はもう異世界案件から手を引く。それは三木本商事にとって、手痛い失点となる。嫌なら社長解任動議に反対しろと」

「それもありますが、嫌な予感がするからです」

「嫌な予感とは」

「ここまでの流れを見る限り、敵は狡猾です。同数なら否決されるのは、痛いほどわかっているはず。だからきっと、とんでもない手段に出る。それがなにかはわからないけれど、不確定要素というか万一のときのオプションとして、私達を使ってほしいんです。ワイルドカードとして。もし……なにか不測の事態が生じたとき、必ずや私と平がお役に立ちます」

「うむ。そうするか……」


 社長は重々しく頷いた。


「なんだか少し、心が軽くなったよ。派閥の会合では、一瞬たりとも気を緩められないからな。吉野くんや大馬鹿野郎との飲み会は、楽しいもんだ」


 ひとりだけ大馬鹿扱いとか余計なお世話だ。ハゲ。


「吉野くんはつくづく賢いな。……本当に、私の末の子の嫁に欲しいくらいだわ」

「それは前も伺いました。それに……私には恋人がいます」

「前もそんなほのめかしをしていたが……ブラフだろ。面倒を避けるための」

「いえ、事実です」

「本当かね、それは」


 社長は目を剥いてみせた。


「それは……社内で、若いやり手が皆、落胆するだろう」


 ほっと、溜息にも似た息を吐いた。


「君は知らんだろうが皆、なんとか口説けないかと算段しているからな」

「時々お誘いがありますね、たしかに」


 済まし顔だ。


 いや俺知らんし。吉野さん、裏で色々断ってるんだな。俺に教えると心配するから、ひとりで判断して。


「でも、私の心は動きません。恋人に終世の忠誠を誓っていますから」

「そうか……。残念だったな、平くん。もう吉野くんの心は売り切れだそうだ」

「はあ……」


 なんと言っていいのかわからなかったので、とりあえずとぼけておく。


「で、それは誰なんだ。まさか……社内の人間ではあるまい」

「社長もよくご存じの男です。素晴らしい能力を持ち、人間としても魅力的な」

「なら社内か。……まさか経営企画室の──」

「平くん」

「へっ……」


 社長が、素の顔になった。


「ええ。私の恋人は、平くんです」

「それは……」


 絶句して、社長は俺と吉野さんの顔を見比べている。いや吉野さん、ここでそれバラすっすか……。


「平が……素晴らしい能力……。それに人間としても……魅力的だと? 三木本商事始まって以来の無責任野郎が……」

「ひどいっすよ、社長」


 突然の暴露に驚いたけど、平然とした顔をしておいた。吉野さんがここで明かした以上、それにはなにかしっかりした狙いがあるはず。なんせ俺よりずっと頭いいからな。俺は嫁の尻に敷かれるぜ。そのほうが絶対、幸せになれるから。


「平か……。この大馬鹿者を、吉野くんともあろう賢嬢が選んだというのか」


 口をあんぐり開けてやがる。いや返す返すも余計なお世話だっての。


「まさか……平が吉野くんを無理やり……その……」


 もう俺のこと呼び捨てになってて笑うわ。てか、なに下劣な想像してるんだよ。俺達は吉野さんのマンションで、幸せに結ばれたんだぞ。なぜかレナも一緒の、処女ふたり×童貞という謎初体験だったけどさ。


「そんなことはありません。私達は相思相愛。もう父にも紹介しています」


 吉野さんが手を伸ばしてきたので、握ってあげた。社長に見せつけるかのように。


「ねっ、平くん」

「……ええ」


 凍りついたような社長の顔を、俺はまっすぐ見据えた。


「俺と吉野さんは愛し合っています。永遠の愛を誓って」

「マジか……」


 我知らずガキのような言い回しになって、社長は口をあんぐりと開けた。



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