6-4 邪神の影、そしてエンリルの秘密
「面倒だのう……」
映像は口を開いた。ローブ姿の中年男で、普通にヒューマンの魔道士のように見える。
「ここにはマナ掘削用の影しか置いておらん。踏み込む奴など途中で死ぬか、最下層落下の罠で全滅するはずだからのう……」
無表情ながら、微かに苦笑いしたかのように見える。瞳は鋭く、俺を睨んでいる。
「こやつがリーダーか……。名はなんと申す」
「てめえに名乗る名などない」
「平と呼ばれておったな」
「わかってたら聞くな」
嫌な野郎だ。
「俺に名前を聞いたんだ。お前も名乗れ。……魔道士だろ、どうせ」
カマをかけてみた。さっきの言い方からして、こいつが影の「本体」だろう。どこかの巣に籠もっていて、ここを遠隔操作していたってわけだ。
「魔道士……に見えるか」
面白そうに、唇の片方を上げてやがる。
「ああ。ニートの魔道士だな、人間の」
「ニート?」
そりゃわからんよな。現実世界の用語なんて。
「人間に見えるのか」
あーもう、焦れってえなこいつ。でもまあ、そういう言い方するってことは、人間でも魔道士でもないんだろ。そこがはっきりしただけでもいいわ。
「ところでお前……」
俺の脇に視線を移した。
「なんぞ用か、下郎」
サタンが野郎を睨んだ。俺の隣で腕を腰に当て、反り返るように野郎を見上げている。キラリン並にちっこいからな、サタン。
「大魔王サタンだな。……代替わりしておったか」
「母様を知っておるのか、お前」
「まあ……お前はあいつにははるかに劣っておるがな」
含み笑いしている。
「魔力がまだ充分覚醒しておらんではないか」
「馬鹿にするでない。甥っ子甲のおかげで、もうすぐフルパワーになるわい」
俺の腕を小さな胸に抱え込んだ。
「それにお前は……ドラゴンロードか」
首を傾げている。
「そのオーラ……。あのドラゴンの娘であるな。指紋のように同一だ」
「……」
ドラゴンの杖を地に刺したまま、エンリルは黙って男を見つめている。
「にしても、婚姻形態とは笑わせる。お前の母親はとてつもなく強かったぞ。だから倒すのに苦労した。だが娘のお前は、男と乳繰り合っておる。……婚姻形態のままで、私を倒せると思うのか」
「お前……邪神だな。六百年前に聖魔戦争を引き起こした」
エンリルが睨んだ。
「どうやらお前は、余の母の敵。すぐにぶち殺してやるから、首を洗って待っておれ」
「楽しみに待っておるぞ」
エンリルの宣告も、どこ吹く風だ。
「しかもお前は……」
エンリルの腹に視線を置いた。
「仔がおるな、腹に。ドラゴンは妊娠により能力のピークを超え、衰えていく。子供に体内のマナを吸い取られるからのう……。そうして子を産めば、すぐに死ぬ。抜け殻として」
えっ……。どういうこと。
頭が混乱したが、話は後だ。今はこの野郎の情報を、なるだけ抜かなくてはならない。
「お前の母親も、よせばいいのに聖魔戦争に参戦してあっさり倒された。お前を産んだ直後だったからだ。たしかに桁違いに強かったが、所詮は抜け殻。私の敵ではない」
鼻を鳴らした。
「お前もすでに能力が衰えつつある。まして婚姻形態など取っておっては、私の相手にすらならない」
「そう思うのは、お前が平の力を知らぬからよ」
エンリルは、俺の腕を胸に抱いた。
「平のためなら、余は限界以上の力を出せる。余だけでなく……」
仲間を振り返った。
「大魔王サタンも、ピクシープリンセスも、天使の子も、iツールキラリンも、上司たるシニアフェロー吉野もな。ここにおる全ての仲間が」
「そうよ。あなたなんかに、平くんが負けるはずがないわ」
「ご主人様の力、今味わったじゃん。影とかいうの、あっさり倒したし」
「平様は、わたしを救ってくれたお方。必ずやご恩に応えます」
皆、口々に言い立てる。
「シニアフェローとかiツールとかいうモンスターは知らんが、まあ勝手にしろ。どうせ私の本体の居場所などわかろうはずもない」
「それよりお前、本当に邪神なのか。邪神は聖魔戦争で滅んだはず」
「確かに滅んだと聞いております」
ドライグが唸った。
「バラバラになるまで勇者に斬られ、復活できないよう、肉片まで全て魔導炎で焼かれたはず……」
「滅びたら私がここにいるはずがないではないか」
映像は両腕を広げて見せた。
「中指一本」
「は?」
「馬鹿共は中指一本だけ見逃したのよ。薙いだ剣で指を全部飛ばされたときに。中指だけは、岩の割れ目に落ちたから。私の指はその地に小さな根を張り、わずかなマナを吸いながら徐々に魔力を貯め、また体の復活に力を注いだ。そうして六百余年。ようやく――」
「完全復活したってわけか」
俺は唸った。
「それでさらに力を体内に貯めるため、『影』って奴を世界各地に飛ばしたんだな。マナ収集のために」
「ほう。よくぞわかったな。馬鹿にしては褒めてつかわす」
俺を見つめる。いや感心してんのか馬鹿にしてんのか、はっきりしろ。
「さすがこれだけの面々をまとめるリーダーだけある。そこなドラゴンを孕ませたのも、お前であろう」
「平くんはね、とっても優しいご主人様なんだからねっ」
吉野さんも俺の腕を抱え込んだ。
「ベッドでだって、私やタマちゃんのことを同時にかわいがってくれて。私に入ってても、指でタマちゃんの――」
「も、もういいです、吉野さん」
なに口走ってんだよ。
「生殖などという下賤な楽しみをまだしているとは……」
やれやれといった雰囲気で溜息なんかついてやがる。
「そんなレベルで私に勝てるはずがない。……ま、せいぜい私の居場所でも探してみろ。見つけられたら、退屈しのぎに殺してやるわい」
ぶちっとスイッチが切れるようにして、映像は途切れた。後には埃臭いダンジョンの香りが漂っているだけだ。
「ふん。言いたいだけ言って消えおったか」
エンリルは腕を組んだ。
「どうやら、おしおきせねばならんのう」
「それよりエンリル、あいつが言っていたこと、本当なのか。ドラゴンは妊娠により力が衰え、子を産むと……その……」
「ああ。弱って死ぬ。マナを我が子に全て渡すからのう」
「そんなにヤバいのに、なんで俺とくっついたんだ」
「それは……」
顔を寄せると、俺に唇を与えてきた。
「平を愛しておるからよ」
「この大陸に行くなって、お前は止めたよな。古い盟約によりドラゴンはこっちに来れないから。それでもトリム復活のために俺の決意が揺らがないと知って、お前は俺の嫁になった。婚姻形態なら、こっちに来れるから。俺の子を孕めば死んでしまうと、わかっていても、俺を助けようとして……」
胸が熱くなった。あのときエンリル、俺のために命を捨ててくれてたんだな。なのに俺はそれに気づかず、毎日のほほんと遊び暮らしている……。
「気に病むな、平よ。余が子を産むのは、お前が老衰で亡くなる後よ。それまで何十年もかわいがってもらうわい。それなら余には、もうこの世になんの未練もない」
「エンリル様……」
ドライグの瞳には、涙が光っていた。
「ドラゴンロード様の気高いご決断、同じドラゴン族として、誇りに思うばかりです。どうか……我ら一族にも、エンリル様や平様の旅路に協力させて下さい」
「もちろん、私もです」
魔道士グローアが付け加えた。
「あの『影』が消え、この地のマナを剽窃する輩はいなくなりました。これからは豊富なマナが以前のように噴出する。それと秘伝の魔導を使い、私がトリム様を生き返らせてみましょう。魂の素の姿から」
「うむっ!」
叫んだのは、ダークエルフの魔導戦士、ケルクスだ。なんだかんだ言って、敵対部族ながらトリムとはいちばん仲良くなったからな、ケルクス。
「さっそく地上に戻るとしよう、婿殿」
「よし。……でもその前に、ひとつだけ確認しなければならないことがある。……キラリン」
「なあに、お兄ちゃん」
キラリンは、俺の指示に従った。やがて来るべき、邪神との戦いに備えて。
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