1-3 ふみえパパに、付き合ったきっかけを聞かれたぜ
「おう。これはまた豪勢な香りだな。部屋に充満している」
ワインバー個室に現れたふみえパパは、テーブルのデキャンターを目に留めた。
吉野さんの話では、ふみえパパは五十七歳。神戸で家具輸入商社を経営してるって話だったし、吉野さんのマンションを所有していて、吉野さんから家賃を取っている。
そうした話からして、どっしり渋い商売人を想像していた。でも見たところ、むしろ若い頃から遊んできた芸能人……それも知的で上品なコメディアンといった感じ。
半分くらいきれいなシルバーの白髪になっていて、わざと染め分けしているかのよう。白髪と黒髪が交ざったゴマ塩頭ってのとは、全然違う。着ているのもスーツとかジャケットではなくて、真っ白のカッターシャツにざっくり編んだ高そうなニットのサマーセーターだし。ちょっと意外だったわ。
「これだな。ふみえが言っていた、社長とっておきの一本という奴は」
「ええ、お父さん」
微笑んだ。
「お父さんを呼ぶって言ったら、ママさんが開けてくれるって」
「楽しみだな。……注いでくれ」
吉野さんの隣に、どっかと腰を下ろす。あんまり上座下座とか気にしない人みたいだな。厳密に言えば俺の側が上座だし。まあ、吉野家のふたりで俺をもてなす体なのかもしれんが。
「はい」
大ぶりのグラスに、ゆっくり慎重に注いでいる。
「もう充分開いてるわよ。……でもまだまだ開く余地がある。底が深いわ、これ」
「どれ……」
グラスに鼻を突っ込むようにして香りを嗅ぎ、グラスを数度回して壁にワインを流してまた嗅ぎ直す。
「うん……」
そのまま口を着けると、ひと口。唇と瞳を閉じたまま、咀嚼するかのようにゆっくり顎を動かし、嚥下した。
「……うまい」
目を開けた。
「こいつはいいな。三木本商事の社長は、なかなか趣味がいい。……いずれ一緒に飲みたいもんだ」
「社長に言っておくわ」
「頼む。……ところで平くん、放っておいて悪かった。どうにもワインとなると、目がなくてね」
「お気になさらず。吉野さんよりマニアックだと聞いてます。もっと飲んでていいですよ」
なんならこのまま無言で帰ってくれたほうが、俺は気が楽だ。なんせ今日は、「パパ面接」みたいなもんだからな。俺にとっては。もう酒瓶、このままあげるからさ。抱えて帰ってくれというか。
「君はふみえの部下だったな」
「はい、そうです」
「いいえお父さん。平くんはシニアフェロー。もう私と同じ職階よ」
「でも最初は部下だった」
「それは……そうだけれど」
「そしていつの間にかふみえといい仲になり、ふたりして出世の階段を駆け上がった。そうだね」
「えーと……なんというか」
俺は抵抗を諦めた。このパパ、露骨にぐいぐい来るわ。逆らっても意味ない。
「まあ……そうです」
「付き合い始めたのはいつからなんだ。出世してからか。それともその前か」
「それは……」
わずかに視線を外し、ふみえパパ脇の吉野さんを一瞬だけ見た。吉野さんは、俺にしかわからない程度、ごく微かに頷いている。
「吉野さんと俺は、零細子会社に出向させられました。去年の四月一日辞令、つまり今から一年三か月前のことです。そこが事実上、ふたりっきりの子会社で」
「聞いてたよ。辞令が下りた当時、ふみえが色々愚痴ってきたからね。自分で業務を組み立てられるからやりがいはある、でも部下が破天荒なタイプで不安だと」
面白がるような瞳で、俺を見た。てか吉野さん、父親にまでそんなこと言ってたんか……。まあ、俺の経歴を人事システムで見れば、そう思うのも当然だが。
「ふみえは時々、新しい部署での仕事の悩みや部下のことで相談を持ちかけてきていた。……だが二か月もすると、相談は途絶えた。そして七月一日付けで、大きな出世があった」
はあ、吉野さんが三木本Iリサーチ社の課長から部長に昇進したときな。ついでに本社経営企画室部長級フェロー兼務辞令も出て。俺が社長に直談判して捩じ込んだ出世。俺も係長から課長になったし。
「それからはあれよあれよだ。九月一日付けでシニアフェローだからね。私も創業前は社員五十人程度の零細商社で丁稚奉公をしていたが、そんな小さな企業でさえ、たった数か月で何度も昇進辞令が下りるなんてことはなかったよ。ましてや三木本商事は東証上場の中堅商社だ」
「それは……平くんが優秀だったからよ、お父さん」
頼もしげに、吉野さんは俺を見た。
「立場上は私が上司だったけれど、そうやって事業を成功に導いてくれたの」
「恋愛も導いたのかね、その頃」
「えーと……」
斬り込まれて、俺は口ごもった。
吉野さんと初めて関係を持ったのは、八月。仕事の打ち合わせで吉野さんのマンションにお泊まりして、なぜだかレナと一緒に処女ふたり童貞ひとりの謎初体験ということになったんだよな。俺はもう吉野さんをガールフレンドにしたいと思ってたから、そういう流れになって嬉しかったわ。
「まあ……そういう感じです」
「そうか。ふたりっきりの部署で毎日汗を流したんだろ。結果を残し、出世も勝ち取って。いろいろな意味で盛り上がるのも、当然だ」
「いえ……その……」
どうリアクションすべきか困るわ。そんな言い方されたら。
「それに真夏は恋の季節だ。いろんなことがある。……私にも経験があるからな」
「お父さん、平くんはね、すごくいい人よ」
吉野さんがフォローに入ってくれた。
「頼りがいがあって、私やみんなを導いてくれるの」
「みんな?」
「その……異世界事業を手掛ける、仲間のことよ。今は経営企画室に所属してるから、いろんな人がいるし」
吉野さんが、ほんのちょっとだけ舌を出してみせた。口、滑ったな。いや異世界のファンタジーキャラを次々嫁にしてほぼほぼ全員で同棲してますとかは、いくらなんでも話せないし。
「そうか……」
ソファーの背にどっかと背中を預けると、しばらく黙って俺の顔を見ていた。なんだこれ、どえらく緊張するんですけど……。
ややあって、ふみえパパは、もうひとくちワインを含んだ。
「うん……やはりうまいな」
それから俺をまた見る。
「平くん、君の夢はなにかね」
「夢……ですか」
「ああ」
大きく、首を縦に振る。
「なにかあるだろ。これだけ短期間でほぼ頂点まで出世したんだ。社長になりたいとか、起業したいとか。……もちろん、私生活の話でもいいが」
「そうですね……」
これ、試験だよな。我が娘を俺に託していいかどうかの。
なんだヤバっ。手に汗かいてきたわ、俺。
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