7-4 魔王サタンの誤算

 いつものマンションの居間で、サタンは話を続けた。もう皆晩飯は終わり、洗い物をシンクと食洗機に移したまま、話を聞いている。


「とにかく、無事に懐妊した母様は、父様を解放した」

「用済みだってか。さすが魔族。冷たいもんだな」

「逆だわ、甲」


 母親を悪し様に言われ、不愉快そうにサタンが俺を睨んだ。


「母様言ってたよ。辛かったけど、父様の未来を考えたって。ヒューマンの子供が魔族の城にいても、ろくなことにはならない。それより仲間の元で育つべきだって」


 それで転生後の記憶を消した上で、爺様を解放した。荒野で。


「そのとき、形見分けとして、魔剣を持たせた」

「後にバスカヴィル家の魔剣って呼ばれる奴だな。……つまりこれだ」


 テーブルの上に、俺は魔剣を置いた。


「これが父様の剣……」


 鞘から抜くと、サタンは刀筋をそっと撫でた。


「強い魔力を感じる。……凄い」


 うっとりした声色だ。


「そりゃあな。後々のことだが、ここには異世界の謎神がひとり封じ込めてあるしさ」

「なぜこれを甲が持っているんだ」

「とあるクエストをこなしたときに、俺の所持物として出現したんだよ。どうやら、俺と因縁があるからだろうって話だった。それが爺様の持ち物だって、後でわかったんだ」

「母様は、その後の父様の生き様を話してくれたんだ。愛おしそうに。……なんでも、シャイア・バスカヴィルと名乗り、大魔道士として名を上げたとか」

「そうだ」


 俺の知る爺様のその後を、サタンに話してやった。王立図書館長ヴェーダをはじめ、あちこちで聞き及んだ細切れ情報で浮かび上がった人生を。


 記憶を失い荒野を彷徨っていた爺様は、人間の篤志家に拾われた。見た感じ、十五歳かそこらだったって話だ。


 異世界での記憶こそ失ってはいたが、前世の記憶はあったから、頭が良かったらしい。そこで存分に勉学に励み、成人の頃、育ての親元を離れて活動を始めた。


 転生前は総合化学企業「三猫化学」の研究者だった爺様、つまり平凡人は、元の世界への帰還を願い、知識を生かして錬金術や魔術に没頭。帰還こそ叶わなかったが、頭角を現して大魔道士と呼ばれるまでになった。


 青年時代、修行過程で一時的に俗世を捨てると、育ての親にもらった仮初の名前を改め、前世の名を名乗った。「タイラ・ボント」と。それが訛って、いつしか「シャイア・バスカヴィル」と呼ばれるようになった。


 年を経た爺様は、現実世界への望郷の念をいよいよ抑え切れなくなり、帰還を決意した。サタンに封印されていた魔族の地での記憶も蘇っており、それが役立った。魔族の技を思い出し、この世界の真祖ゴータマの魂とも感応して、異世界との交接方法の細部まで再現した。


 ついに異世界通路を開いた爺様だったが、帰還するどころかそれは別の異世界との通路だった。そこから飛び出た混沌神が、世界を侵食し始める。責任を感じた爺様は、混沌神のひとりの協力を得、そいつを封じた「バスカヴィル家の魔剣」を使い、混沌神をなんとか封じ込めた。討滅こそできなかったが、まずまずの成功だ。


 だがその過程で、俺同様、自らの寿命を使い、魔剣の力をフルに引き出した。結果として残寿命のほとんどを失った爺様は、せめて死ぬ前にと、異世界との交接手法を、暗号を用いて書物に書き留めた。その書物こそが、タマゴ亭さん――シュヴァラ王女――が王立図書館から盗み出して解読した、バスカヴィルの暗号著書「智慧ちえの泉」だったわけさ。


「そうして、父様はついに倒れたのだな」

「ああそうさ。混沌神との死闘で、寿命のほとんどを失ってから、二年かそこらしかもたなかった」


 まあ実際、俺も寿命を失ったしな。この魔剣、まさに両刃もろはの剣だわ。


「そうか……」

「それでそれで」


 吉野さんが身を乗り出した。


「お祖父様を失って、先代サタンはどうだったのかしら。悲しいわよね。相手のことを思ってのこととはいえ、連れ合いを失ったんだもの」


 グラスを運ぶと、残っていたブランデーを一気に飲んだ。トリムがおかわりを注いでいる。


「その……夜な夜な体がうずく……とか。平くんに抱きしめてほしくて、枕を抱いちゃうとか。平くんの温かな体が恋しくて、タマちゃんと相談して小部屋に誘うとか」


 いや「平」繋がりで、いつの間にか俺の話になってるじゃん。


「なにを言っているか今ひとつよくわからんが、とにかく母様は次代の魔王育成に専念した」


 魔王サタンは、カルネコを飲み干す。それを見て吉野さんも、ブランデーを飲み干した。


「うまいのう、これは。……かたじけない、吉野殿」


 おかわりをゆっくり味わってから、続けた。


「魔王のパワーは、自然に生まれてくるものではない。先代から移植されていくのよ」

「我らとは違うな」


 ケルクスが唸った。ケルクスは、他のほとんどと同じく、食後の茶を飲んでいる。


「エルフの魔力は、生まれもってのもの。家系でおおむね決まって、あとは個々人の魔力変数による」

「魔族でもそうだ。ただ大魔王サタンだけは違う。魔力が強大すぎて、生まれながらに覚醒していたら、過剰な魔力で体が壊れてしまうからのう」

「よほど強い魔力なんですね」


 天使亜人キングーも、興味津々といった様子。


「とにかく、あたしの成長に従い、母様は徐々に魔力を相続させていった。あたしの魔力が高まるのに並行して、母様の魔力は衰えていく。そして……」


 カルネコのグラスを置くと、眉を寄せてみせた。


「この代替わりのときが、もっとも危険なのだ」

「どういう意味だよ」

「甲、考えてもみよ。たとえば相続の途中で、母様の魔力が十万から五万に落ちると。そのとき、あたしの魔力はゼロから五万まで上がるが、ふたりとも絶対値としては魔力五万。魔力十万は圧倒的だが、魔力五万は、上位魔族なら上回る奴もちらほらいる」

「謀反の可能性が出るっていうんだね」

「そうよ。レナとやらは、頭がいいのう」


 ちらと俺を見た。


「甲とは大違いだ」

「いいから続けろよ」


 面白くなってきたところだからな。早く話せ。


「そもそも魔族では裏切り謀反は日常茶飯事。そうやって優劣を決め、魔力によるヒエラルキーが自然に維持されるのだ。だから歴代サタンは、代替わりのときは側近を堅め、魔族全体に睨みを利かせる」

「魔族も大変だねー、お兄ちゃん。これママに話したら喜ぶよ。研究してみたいって」

「もちろん、母様もそうした。……だが、とてつもない誤算があった」

「いよいよねっ」


 吉野さんがまた体を乗り出した。


「やっぱり体がうずいて――」

「吉野さん、悪いけどみんなにコーヒー淹れて下さい」

「う、うん。わかった」


 名残惜しそうに、吉野さんがテーブルを後にした。キラリンとキングー、それにタマが手伝いに立つ。かわいそうだけど、吉野さんにツッコミ許してると、どんどんエロトーク方面に流れるからな。


「誤算ってなんだ、サタン」

「甲、それは……あたしだ」

「お前?」

「ああ。なぜかあたしの魔力は、増えなかった。先程のたとえで言うなら、五万の魔力を注ぎ込まれたのに、なぜか一万しか増えないとか、そういう感じで」

「そうか……」


 そういや、天使イシスから聞いたんだったか。新サタンはなぜか魔力が弱く、それがルシファーの謀反を招いたと。


「魔力を相続させるにつれ、母様はどんどん弱まっていった。それがサタンの代替わりよ。しかしあたしの魔力は思ったように伸びない。あたしの異常を感知させないよう、側近だけ引き連れて引きこもり、母様は自分の全魔力を一気に注ぎ込んだ。最後の賭けとして」

「……それで、どうなった」

「全ての魔力を失って、母様は死んだ。今際いまわきわ、横たわったままあたしの頬を撫で、力のない母でごめんと言い残し……」


 サタンの瞳から、涙がひとすじ流れた。

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