第五部 「邪の火山」編

第五部プロローグ

pr-1 新たな領域へ……

「待たせたな、平」


 三木本商事本社ビル、経営企画室の俺の個室に、栗原が顔を出した。約束通りの時間。今日は異世界に行かないだろうから、普通にスーツ姿だ。


「おう栗原。異世界はどうだ」

「どうもこうも……」


 窓際に積んであるお茶のペットボトルを勝手に持ってくると、ミーティングテーブルの椅子を俺のデスクの向かいに置いて座った。どのオフィスでもよくある、来客用の小容量ペットボトルだ。


「思ってたよりキツいな、異世界」

「そうだろ」

「まったく、平に事前に状況を聞いていなかったら、初手で詰んだかもしれん」


 三木本Iリサーチ社出向に伴い、栗原は課長級として下駄を履かせてもらっている。俺はシニアフェローだから肩書的には俺より遥か下だが、栗原は同期だ。俺も栗原も普通にタメとして口をきいている。それは俺が部署をたらい回しになっていた底辺社畜の頃から変わらない。


「いろいろアドバイスをもらっていて助かった」


 まだ四月。四月一日人事でIリサーチ社の異世界チームに編入された栗原は、異世界ではなんと言ってもノービスだ。


「で栗原お前、使い魔は誰にしたんだ」

「ネメアーって奴。人型じゃなく見た感じ、たてがみを拡げたライオンに近い。けっこう大きいぞ。エリマキトカゲっているだろ。あんな感じの派手なたてがみで、戦闘時に拡げて威嚇するんだ」

「ほう」


 なかなかいい候補が出たんだな。猛獣系なら戦闘でも頼りになるだろうし、ケットシーたるタマ同様、鼻や目が利くだろう。背中に荷物も詰めそうだし。異世界を冒険するのにはふさわしい相棒だ。知性的にはちょっと劣りそうだが、その分、使役主には忠実だろう。


「山本がシーフを二体使役してる。シーフはずる賢いし、ダンジョン攻略とかには有利だろう。だからまあまあの布陣だと思う」


 ただシーフはこっちを裏切りそうな気配がある。だから俺とネメアーでしっかり抑えつけてある――。と、栗原は続けた。


「気が休まらんな」

「まあなー」


 俺のパーティーは全員俺を大事にしてくれるから、身内の裏切りを心配する必要はない。俺、恵まれてるわ。


「山本はどうしてる」

「あいつか……」


 微かに顔を歪めると、栗原はペットボトルの茶を飲んだ。


「まあ表向き、俺に従ってはいる。裏は……お前もわかるだろ」

「だろうなあ……」


 山本は、出世のために川岸の腰巾着になっていた。だからこそ俺や吉野さんを追い出し、ふたり揃って三木本Iリサーチに異動してきたわけで。


 川岸が更迭されたのは痛手だろうが、自分が後釜に座れるとも思い込んでいたに違いない。なのに同期の栗原が異動してきて自分の上司に立ったんだからな。表向きヘコヘコしていても内心、忸怩じくじたる思いだろう。


「馬鹿な奴だな、山本。俺は以前から、ケツ舐めるなら川岸は止めとけってアドバイスはしてたんだが」

「平がなに言っても聞かんだろ。あいつ、お前が底辺を這いずり回っていた頃、同期で真っ先にお前を切った奴だし」

「まあなー」


 俺も茶を飲んだ。栗原には、跳ね鯉村を紹介してある。村で地理を教えてもらって、俺が役員会議で吹きまくった提案を元に河原に向かい、そこで鉱物調査を繰り返しているという。


 跳ね鯉村でモンスターの弱い方角を聞いて、無理せず弱い範囲内だけを探索しているんだと。さすが栗原。堅実だわ。体育会系で、先輩の営業の矢面に立ち黙って顧客の理不尽な要求に耐えるタンク役だったからな、前部署で。堪え性がある。


「それで栗原、川岸のことは、なんか聞いてるか」

「三木本Iリサーチの前責任者、川岸さんだな……」


 首を捻って壁の時計を見つめると、しばらく黙った。


「いろいろ噂は流れてきている。……というか平、お前知らんのか」

「いや俺、異世界で大忙しだからさ。それに昔から社内政治には興味がなかったからな」


 実際、つい最近も死の境をふらふらしたしな。タマが居なかったら、今頃冥府でハーデスにコキ使われてただろう。死んで黄泉の国に落ちても社畜とか、自分でも笑えるわ。


「川岸さん、叩き出されたというのに、なぜか意気揚々とナイジェリアに赴任したみたいだぞ」

「元気だなー」


 まあ俺が焚き付けたんだけどな。ここに殴り込んできたとき。海外勤務は商社の出世コースだって。


「でまあ行った早々、向こうでやらかしたらしい」

「なにやったんだよ」

「ミキモト・ナイジェリアは、しょせん小さな孫会社。出店みたいなもんだ。だから子会社ミキモト・インターナショナルのプレジデントが、社長を兼ねている。もちろんあちこちの小規模孫会社の社長兼任だから、ナイジェリアにつきっきりってわけじゃない」

「そりゃそうだ」


 ミキモト・インターナショナルのプレジデントは日本人だし、本社役員でもある。そして三木本Iリサーチ社に土足で乗り込んできて乗っ取った八人のひとりでもある。


 一応黒幕候補のひとりとして警戒しているが、俺はシロだと踏んでいる。社長レース本命のひとりだからな。荒事してまで社長を追い出す動機に欠ける。


「つまりナイジェリアのトップは日本人なわけだが、実際に差配しているのはナミビア出身の白人だ」

「そんなとこだろう」


 アフリカ南部にあるナミビアは、宝石だの鉱石の宝庫だ。仕切る一族はアフリカの鉱山には強い影響力を持っている。そこからひとり引き抜いて現地を任せるってのは、いい手法だと思うわ。


「川岸さんは、現地人のおっさんなんか、小間使いくらいにしか思ってなかったらしい。肩書的には社長でもないしな」

「ははあ……。なんか生意気な態度でも取ったんか」

「自分がナイジェリアの救世主だとか、下手な英語で単語を並べる感じでまくしたてたんだと」

「やりそうだ」


 あいつ、プライドと自己評価だけは異様に高いからな。出世の階段くらいの意識で現地に行ったらビルの一室みたいな狭いオフィスと少ない人員で、勘違いしたんだろう。


「で、どうなった」

「どうもこうも……」


 栗原は苦笑いを浮かべた。


「翌日には営業の担当からも外された。なんか資源調査とかいう名目で、ど田舎の鉱山に放り込まれてるらしいぞ」


 なんたって現地のキーマンから事務の姉様まで、その日のうちに敵に回したらしいからな――と、栗原は続けた。


「鉱夫じゃん」

「エアコンもないプレハブの事務所、つまり飯場みたいなところで毎日報告書を書かされてるってよ。調査名目で鉱山にも潜ってるから、実際、鉱夫も同然だな」

「俺なら辞めるがな」

「本人はこれが出世コースだと思い込んでるようだぞ」

「現地のキーマンに丸め込まれたんだろうな。向こうの連中、交渉力あるし」


 まあ川岸せいぜい頑張れ。異世界の俺よりは命の危険ないだろうしな。とりあえず目の前から消えてくれてせいせいしたわ。あいつ、俺を見下すだけじゃなく、吉野さんいじめるからな。どうにもそこだけは許せないんだ。


「それより平……」


 言いかけてから残った茶を一気に飲み干すと、ペットボトルをくしゃっと潰す。次の一本を、栗原は勝手に持ってきた。


「お前と吉野さんのチームはどうなんだ。なんか怪我したとか聞いたが」

「たいしたことないよ」


 手を振ってごまかした。あんまり大事にすると、異世界業務から外されかねないからな。


 命の危険があるとか役員会議で吹きまくって実際は無傷、平の野郎盛りやがって……とか苦笑いされるくらいが、一番いいんだわ。踏破距離で補助金獲得の結果出してるから、文句言われる筋合いもないしな。


「異世界マップ見る限り、吉野チームは鉱山地帯に向かってるようだが」

「ああそうだ」


 俺は認めた。茶をもうひとくち飲む。うん、この茶、うまいわ。香りが立っていて苦味は少なく、微かに甘みがある。


よこしまの火山とかいう、不吉な名前の火山があってな。その麓を調査しようと思っている」


 俺はすでに心を決めている。吉野さんやレナ、タマ、トリムたち仲間と共に、アールヴの遺跡を探るとな。


「なんだそれ」


 栗原は苦笑いした。


「その名前だけで、俺はノーサンキューだな」

「そのくらい慎重なほうがいいぞ。特に最初はな。まずは雑魚モンスターで戦闘に慣れておくんだ。先に進むといろいろ、ヤバい奴がいるからな」

「ああ。これからもよろしく頼む」


 立ち上がると手を差し出してきた。


「お前は異世界の『先輩』だからな」

「任せろ」


 栗原の手を、俺は握り返した。

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