第四部 「ダークエルフの森」編

第四部プロローグ

pr-1 「天使の子」の生きる世界

「よくぞお見えになりました。平、吉野、それにお仲間の皆さん」


 例によって霧に包まれた天界で、天使イシスは微笑んだ。今日はキラリンの力で、ここ天界を訪れた。もちろん情報収集のためだ。


「それに……キングー。直接会うのは、別れてから初めてですね」

「ええ母上」


 キングーは頷いた。


「……でも珠を通じて会話ができるので、辛い思いはもうあまりありません」

「心が安らいだのですね、キングー」


 イシスは微笑んでいる。


「はい。友達もたくさんできましたし」


 キングーの答えを聞いて、イシスは嬉しそうだった。改めて俺に視線を移す。


「それで平、今日はわたくしに、なにか用事があるのですね」

「はいイシス様。以前、イシス様は俺達に、魔族の内紛を教えてくれました。新魔王サタンが追われていると」

「ええ確かに」

「ルシファーってご存知ですか」

「もちろんです」


 微かに眉を寄せた。


「伝説の天使ですからね。……昔の話ですが」

「堕天使ルシファーは、新サタン追い落としの急先鋒だと聞きました」

「そのとおりです」

「どうやら、ルシファーによるサタン討伐は、ほぼ終わったらしいです。もちろんサタン敗走の結果で」


 俺は説明した。サタン討伐が終わり魔族内での支配体制を固め直したルシファーは、地上の他部族に攻め入るつもりらしいと。


「前サタン崩御に伴い、一部の魔族がここ天界に手を伸ばしていました。最近、急にそれが止まったのです。おかしいと思っていましたが、内紛が終わってルシファーの元、魔族が再編されたからだったのですね」

「そっちにも、もう影響が出ていましたか」

「魔族には困ったものです」

「俺達は、東の大森林地帯に行くつもりです。そこに魔族の中核部隊がいるらしい。あと魔族と握っている謎の部族が。そのあたりのこと、なにかご存知ないですか」

「それがご用向きですか」

「そういうことです」

「そうですねえ……」


 頭上の雲を見つめ、イシスはしばらく黙っていた。それから俺に瞳を向ける。


「その部族については、よくわかりません。降雨量豊富なあの森は豊か。おまけに住まうに適した場所も、たくさんあります。だから多くの部族が、隠れるように暮らしているので。ただ……」


 いったん言葉を切ると、厳しい表情になった。


「ただ、魔族については、かなり高位の者が守っているでしょう。もしかしたら、ルシファー本人がいるかもしれない」


 それは俺も考えていた。冥界の女王ペルセポネーは、「険しい最奥部の森と山を目指せ」と、俺の進路を示してくれた。あのあたりで最も奥の山と言えば、トリム曰く、危険な「よこしまの火山」。つまりミノタウロスが漏らした、ルシファーの本拠地だ。本人が潜んでいる可能性は高い。


「仮にルシファーが居て戦うことになったら、どう倒せばいいでしょうか」

「理論的には倒せます」

「理論的には?」

「ええ。現実には無理でしょう」

「どういうことです」

「ルシファーはそもそも天使でした。そのため霊力が極端に高く、絶対に破れない結界を持っているのです」

「自分ひとりを守る、バリアーみたいなもんか……」

「結界自体は、魔族の技です。霊力の高い天使が、魔族の能力を獲得した。つまり世界でルシファーだけが、結界の頂点を使えるのです。魔族の力なので、他の種族では絶対に破れません」

「誰か魔族に裏切らせて、結界を破るとかどう」


 俺の胸から、レナが身を乗り出した。


「いい案です」


 イシスは頷いた。


「ただ現実には、これも無理でしょう。なぜなら魔族で最高クラスの力を持つのがルシファーなので。考えてもみなさい。裏切りや謀殺が当たり前の魔族が、誰ひとり逆らえないのです。圧倒的な力で抑え込んでいるから」


 なるほど。


「こっちも力で脅して裏切らせるとか」


 いやレナ、今日は邪悪な案でぐいぐい行くなあw


「仮に裏切らせたとしても、力が桁違いです。ルシファーの結界には傷ひとつ与えられないでしょうね」

「なら平くん、ルシファーとは戦わずに勝つしかないわね」

「ええ吉野さん」


 放置しておくわけにもいかない。俺の求める延寿の秘法があのあたりにあるし、なによりルシファーは着々と戦の準備を始めているしな。


「ふみえボスの言う通りだ」


 タマが唸った。


「たとえばルシファー以外の魔族をあらかた倒せばいい。そうすれば、ルシファーの地上侵攻計画は事実上潰える。長い時間を掛けて、軍勢を立て直さないとならなくなるからな」

「問題は、中ボスクラスの魔族を、短時間でどう潰すかだね」


 トリムは首を捻っている。


「やっぱりドラゴンに頼むしかないんじゃないかな」

「ドラゴンなら強いから大丈夫だよね、お兄ちゃん」


 キラリンが俺を見上げた。


「強いは強いが、どうだろうなあ……」


 ミノタウロス一派であんなに苦労していたのも、ドラゴンが来てくれたら一気に突破口が開けたのは確かだ。……ただ、部下が次々やられているのに、ルシファーがなにもせずに見ているだけってのは考えにくい。


「ルシファーが出てきた瞬間、その作戦は失敗するな。結界が魔族にしか破れないってんなら、いくらドラゴンでもルシファーにダメージを与えられそうもないし。……イシス様。俺、ソロモンの聖杖とかいうアーティファクト持ってます。退魔用の。これならルシファーを倒せるんじゃないでしょうか」

「もちろん倒せます」


 その答えに、キラリンが歓声を上げた。


「さすがお兄ちゃん。嫁思いのご主人様だけあるねっ」


 いやこの場合、嫁思いは無関係だが。


「ただし平、それはあくまで結界を破れていたらです。結界に守られている状態では、いかな退魔アーティファクトと言えども、傷のひとつも与えられないでしょう」

「うーん……」


 どうにも詰みだな、これ。


「たしかに状況は厳しい。……ですが必ず突破口はあるでしょう。わたくしもそれを探っておきます。ですので平、今後も定期的に連絡を保ちましょう。キングーの持つイシスの白真珠で会話をして」

「はい、お願いします」

「イシス様」


 おずおずと、吉野さんが口を挟んできた。


「なんです、吉野」

「白真珠で思い出したのです。混沌神滅亡後もあなたが天界から下りてこられなかったのは、魔族が天界にちょっかいを出してきたから。そう、おっしゃっていました」

「そのとおりですね」

「魔族は地上侵攻に向け天界への攻撃を止めています。今なら地上に下りてキングーさんと会ったり暮らしたりできるのでは」

「わたくしとキングーを思いやってくれるのですね、吉野」


 イシスは微笑んだ。


「あなたの優しい魂を感じます。……ただ残念ながらわたくしも、自由に地上に下りられるわけではないのですよ。神から命じられた任務としてでないと」


 たしかに。そもそもキングーを産んだのも、神の命で地上に下り、混沌神を調査しているときだもんな。そのときたまたま、人間の男と恋に落ちたからだし。


「それに……」


 キングーを改めて見つめた。


「子離れ、母離れは必要です」

「母上……」

「キングーにはもう、魂の仲間が大勢いる。この子の生きる世界は、天界ではなく地上。平に吉野、あなたたちの隣ですよ」


 急に振られた。まあ、行きがかり上、しばらくはどうせ行動を共にするしな。なんたって、キングーが俺の延寿を助けたいって言ってくれてるし。


「平、キングーをよろしくお願いします」

「はい。俺でよければ、全力で守ります」

「それにキングー」

「はい、母上」

「母として、あなたをここから見守っています。地上で精一杯生き、幸せを掴みなさい」

「はい。僕はこれまで、抜け殻のように生きてきました。でも今は違う。たとえ明日倒れて死んでも、僕は幸せです」

「良かったですね、キングー」


 天使イシスの姿が薄れてきた。


「地上にお送りしましょう、平さん。魔族には注意するのです。それに……キングーを……よろしくお願いしま……す」


 子離れと言いつつも、やはり子供は心配なのだろう。俺に念押ししてきた。


 名残惜しそうにゆっくりと、天使の姿が雲に消える。地上への道を示す、金色の雲が現れた。

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