6-11 冥王ハーデス
「トリム。結界矢を周囲に射て。みんな小さくまとまるんだ。キラリン、現実世界への転送準備。いつでもできるようにな。しばらく様子を見る」
言い終わる前に、トリムの矢が四方に唸り声を上げた。周囲10メートルほどに着矢して結界が生じた。亡者に結界効果あることを祈るよ……。
やがて、俺にも悪霊の姿が見えるようになった。周囲を取り囲んだ連中が、じわじわ近づいてきたからだ。
なにかぼろぼろの鎧を身に纏っている。不揃いで、プレートメイルやチェインメイル、革らしき防具、ローブを着ただけの者もいる。どいつも剣やこん棒らしきものを握ってはいるが、構えてはいない。だらりと下げているだけだ。
種族もまちまち。どう見ても人間からエルフやドワーフ、なにかの亜人、翼の生えた人型種族、どでかい鬼みたいな奴まで。
ただどいつもこいつも頬がこけ眼が窪み、肌は暗色でかさかさ。見るからに亡者といった印象だ。冥王と思しきオーラを放つ奴はいない。
「タマ、ミネルヴァの大太刀、抜刀」
「わかった」
吉野さんが背負う大太刀を抜くと、吉野さんの手に持たせた。俺もバスカヴィル家の魔剣を抜き放つ。
「レナ、地図を俺の内ポケットに隠せ。楊枝剣装備」
「もうやった。ねえご主人様、近づいてこないよっ」
「うむ……」
たしかにそうだ。結界の外まで寄ってきた連中は、そこで立ち止まり、じっとしている。動きはない。ただただ、暗い瞳をこっちに向けているだけ。無表情だ。
結界の効果か、はたまたイシスの黒真珠やミネルヴァの大太刀、ドワーフ呪符の魔除け効果か。それとも単に様子を窺っているだけなのか。
いつまで経っても、なんの動きもない。
「平くん、どうする? もう戻ってもいいのよ」
「いえ吉野さん。試してみたいことがあるので。いいかみんな――」
指示すると、まとまったまま、一歩前に進んでみた。と、正面の亡者どもが一歩引いた。もう一歩。敵も一歩引く。
「背後はどうだ、タマ」
「後ろの連中は、こちらの動きに合わせて進んできた。もう結界を超えている」
「ってことは、結界効果は残念ながらないってわけか」
ただ全体の空間は縮んでいない。寄って来られないんだ、多分。所持する魔除け効果によるものと考えてもいいだろう。
ドワーフの呪符は、雑魚を遠ざける程度の効果しか持たず、強い悪霊には無力で攻撃されたと聞いた。それより優れているのは明白。イシスの黒真珠やミネルヴァの大太刀といった破邪効果のあるアイテムとの相乗効果だろう。
「よし。ゆっくり進もう。敵を驚かせないよう、一歩ずつだ。できれば冥界の穴に転送フラグを立てておきたい」
「うん」
「わかった」
「気をつけてね、平くん。平くんが正面なんだから」
「大丈夫ですよ、吉野さん」
俺達が進むと、取り囲む連中も動く。悪霊の立てるかさかさいう音だけが、静かな闇にかろうじて聞こえるだけだ。
「見ろ」
正面の右、悪霊が退いたあたりに、大量の死体が散らばっている。ドワーフだ。全員、先程見た骸と同様、ミイラ化している。
「ご主人様。多分、ここで最後の決戦があったんだね」
「ああ」
「平くん、あれ、きっとドワーフ王じゃないかな」
「ええ、吉野さん」
吉野さんが指差したのは、とりわけ立派な鎧を身に纏ったドワーフだ。取り囲むように何体ものドワーフが倒れているから、まず間違いないところだろう。
「俺もそう思います」
「悔しかったでしょうね。先祖伝来の土地を悪霊に汚されて」
「ええ」
ドワーフ王は、ここ地下迷宮で斃れた。それでも彼は、無駄死にはしなかった。未来のための人材を残し、村を建て直させたからな。
「かつての決戦の場だ。もういつなにがあっても不思議じゃない。気を引き締めろ」
パーティーに注意を促すと、先を目指した。
そのまま広場を端まで進む。そこにはかなり大きなトンネルが口を開けていた。口の周囲には、草が絡み合うような模様が、彫り込まれている。この穴だけ装飾を施したってことは、ドワーフにとって重要な地域に違いない。
「ご主人様、この先に冥界の穴があるよ。……多分、ここから数百メートル」
「タマ、どうだ」
にじるように進みつつ、背後のタマに声を掛ける。
「後ろの亡者は変わらない。距離を保ったまま、進んできている」
「特に殺気立っている感じはないよ、平。なんにも考えてないみたい」
「よし」
穴に入った。マジックトーチが上から照らしてくれるので、問題はない。最深部だからか、とりわけ地面が荒れている。つまづかないようパーティーに注意する。
左右の悪霊は、前後に分かれて俺達を囲んでいる。左右にはもうおらず、トーチに照らされてらてらと輝く、トンネルの壁が見えているだけだ。おそらく、広間ほどは広くないからだろう。呪符や黒真珠の魔除け効果が左右の壁まで達しているんだ。
「おっ……」
どれだけ進んだだろうか。正面の敵が、ぴたりと止まった。それ以上は後退しない。俺が一歩進むと、悪霊の姿がかき消えた。
「ご主人様」
胸に収まっているレナが、俺を見上げた。前方を指差している。
「あそこに穴がある」
「ああ、俺にも見えた」
悪霊が消えたあたりの地面に、ぽっかりと穴が開いている。
「冥界の穴か、レナ」
「うん。地図によると、そう」
「思ったより大きいな」
ドワーフがぶち抜いたというから、マンホールくらいの穴だと思ってたが。普通に大陥没だな、これ。周囲に大小の岩が飛び散ってるから、穴が開いたとき封印が破れたかなんかで、内側からもぶち抜かれたんだろう。
「キラリン、転送フラグ立てろ」
「もう済んだよ、お兄ちゃん」
「まだ眠くないな」
「うん、平気」
「よし」
こんな奥でスマホ形態に戻られたら、なにかと面倒だからな。
「平ボス。前だっ」
タマが叫ぶと同時に、穴の縁に大きな亡霊が現れた。背後から風切り音がすると、トリムの矢がそいつに飛んだ。
「むっ」
だがやはり、射殺すのは無理だった。これまでの敵のように、一瞬姿を消して矢をやりすごすことすらしない。頭と胸に向かって飛んだ数本の矢は、体に達する寸前で、止まってしまった。そのまま宙に浮いている。
亡霊じゃないな、こいつ。絶対冥王ハーデスだ。なんたってオーラが凄い。体は三メートル近くもある。豪奢なローブを身に纏い、ど太い杖を持っている。杖は金属製らしく、トーチの光を反射して輝いている。
こうして対峙するだけで、膝からへなへなと崩れ落ちそうになる。気を張るために、チェインメイルの裾に手を突っ込んで、金玉を握り締めた。こうでもしないと、チビりそうだ。
目を逸らさないように、なんとか踏ん張る。
そもそもこいつ、見た目からして悪霊どもと違う。幽体感がなく、がっちりした人間の男の外観。瞳だって濁ったり空洞だったりしてない。輝いている。
「ミネルヴァの大太刀」
そいつが口を開いた。野太い声。声だけで威圧されそうだ。
「ご主人様」
見上げたレナは、不安そうな顔だ。
「大丈夫だ、レナ」
ハーデスが話しかけてきたということは、問答無用で殺す気はないということだ。少なくとも会話はできる。
「冥王ハーデスだな」
「ミネルヴァの大太刀」
俺の問いに答えず、また繰り返した。
「だったらどうした」
瞳を細めると、不思議そうな顔で、俺のパーティーを眺めている。
「その大太刀を構えているところを見ると、神の手の者か」
「俺達は話をしに来た」
「話などない。……ドワーフの穴にハイエルフとは、不思議だ」
まだ宙に浮いたままだった矢にハーデスが触れた。と、矢はすべて地面に落ちた。からからと、乾いた音が響く。
「それに先頭に立つお前は、天使の加護を得ているな。神からなにを言付かってきた」
「……」
黙ったまま俺は、左手に隠し持っていたイシスの黒真珠を握り締めた。ハーデスをこの穴にさえ突き落とせれば、こいつをぶん投げて封じてやるんだが……。
「ハーデス。ここはドワーフの地だ。冥府に帰れ」
「ハイエルフにヒューマン、ケットシー、それになんだかよくわからない者もいる。神の手の者にしては、奇妙な連中だ」
「どうして現世に現れた。お前は冥界の王だろう」
「コレーを連れてこい。お前は、そのための使いだろう」
「コレー……。誰だ、そいつは」
「それすら知らんのか。お前は神の使いではないな。種族からして、もちろん魔族の交渉人でもない。なら……」
突然、ハーデスの姿がかき消えた。と思った瞬間、俺の目の前に立っていた。魔除け効果を物ともせず。杖を、槍投げのように構えている。
「ご主人様、危ないっ」
俺の胸からレナが飛び出した。楊枝剣を構え、ハーデスの喉笛を目指し突き進む。
「なら用はない。消えろ」
ハーデスの言葉が耳に届くのと同時に、俺は杖で胸を貫かれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます