1-5 王立図書館ヴェーダ館長との対話

 なんだ。なんだかやたらとあったかくて柔らかいぞ。


 それにいい匂いもする。甘いような。石鹸のような。


 とか薄ぼんやり思っているうちに、意識がはっきりしてきた。


 王宮に迎え入れられての翌朝だ。客間の寝台。目を開けてみると、俺は左右から抱き着かれていた。


 もちろんレナ。それから吉野さんだ。ふたりとも裸。たしかすごーく離れたベッドの両端で寝たはずだが。見ると、タマは足元で丸まってた。やっぱケットシーというかネコだな。


「平……様」


 夢うつつで、吉野さんが俺の頭を抱え込んだ。


 おうふっ! む、胸がぁーっ!


 どうしようかと思ったが、とりあえずそのままにすることに唐突に決めた。


 俺が口説いたわけでもないし、ラッキーシチュは楽しんでもバチは当たらないだろ。後々妄想の種になるしさ。


 頬になにか不思議な部分が当たって気持ちいいというか。正直、妄想に耽るとか以前に、もっと直接的にムラムラしてくる。しばらくじっとしていたが、いいかげん辛抱たまらん感じになったので、一念発起してガバと起き上がった。


 あと三秒でも胸を感じてたら、襲いかかりそうだw


「ふう……」


 頭を振って浴室に行くと、広い浴槽に湯が流れ込んでいた。昨日のまま。この世界でもポンプとかボイラーがあるんだろうか。まあいいやなんでも。


 湯に漬かり、水を足して頭と体を冷やした。妄想の種は溜まりまくった。もうリアルに溢れそうで危険だ。


 吉野さんの体、競泳用水着を通して感じてはいたが、ついに生身を見たからななあ。きれいでかわいかった。軽くだけど遊園地でキスしたし、これ、俺が踏み込めばもう彼女にできるんじゃないか?


 旅の仲間兼上司をさらに「兼彼女」にしていいかどうか、今度冷静に考えてみないとな。今は無理。冷静になんてなれないからさ。


「ご主人様」

「おわっと!」


 レナが後ろから抱き着いてきた。


「お前、急に湧いて出るな」

「コーフンしてたね。でしょでしょ」

「黙れ」


 嫌な使い魔だ。


「ボクもサキュバスとしてうれしかった。ご主人様がエロ方面に堕ちるの見て」

「フォースのダークサイドみたいな言い方すんな」

「これは、ボクがレベルアップしてエッチなことできるようになるのが楽しみかも。けけっ」

「気味の悪い笑い方やめろ」

「へへーっ。ボクのご主人様」


 改めて、首に抱き着いてきた。


「だーい好き」


         ●


 王立図書館は、王宮の中心部に近いところにあった。文化歴史を重視するという、シタルダ王家の伝統に従ってのことだそうだ。


 図書館の手狭な館長室で、ヴェーダは俺達を待っていた。


「よくぞいらした。異国の旅人、そして使い魔の方々よ」


 両手を広げて歓迎してくれる。白髪の長髪に皺だらけの顔。日本で電車にでも乗ってれば七十歳くらいに見えるが、異世界人だから、正直わからん。まあ人の良さそうな爺さんなのは確かだ。


「狭くてすまんが、こちらに」


 小さなテーブルに案内された。


 たしかに部屋自体もそう広くはない。それよりなにしろ本棚と言わず床と言わず、本が溢れかえっている。


「わあ、すごいねここ。ご主人様。本が一杯だ」

「そうだな。レナ」


 俺の胸から、レナが部屋を見回している。


「ご主人様の邸宅なんか、マンガくらいしかないもんね」

「余計なこと言わんでよろしい」


 たしかに本で埋まったゴミ屋敷寸前だが、よく見るときちんと分類されそれなりにふさわしいところに収められている。なので知性を感じるというか、不思議な秩序感がある。


「なんでも、地図作りに関して助言が欲しいとのことだったな」


 眼鏡をかけると、手元の書類を読み始めた。


「それに王からは、旧都と王女についても教えてやってほしいと依頼を受けている。それで合っているか?」


 俺達が認めると、ヴェーダは頷いた。


「なら時間がかかるのう。……まずは地図の件から始めるか。モンスター出現可能性の低い地域や行程を知りたいのだったな。それなら最初は西がいいだろう。なぜなら――」


 ヴェーダは語り始めた。そもそも王都ニルヴァーナは西にあったそうだ。例の旧都遺跡って奴だな。歴史上の戦乱だのモンスター襲来だのを経て、「モンスターが出にくい方向」を辿って、現在の場所に遷都された。つまりその間は「比較的安全」ということだ。


「それにちょうど旧都遺跡の方角でもあるし。一石二鳥じゃな。ただもちろん途中までだ。地殻変動で、旧都の周囲は危険地帯になってしまったからの」

「それなんですが、俺達はまだ王の頼みを聞くとは決めていません。なあタマ」

「ああそうだ。ボスのボスは、王にもそう言っていた」

「ほう」


 眼鏡越しに、俺をじっと見つめた。


「王の話とは少し違うが」

「マハーラー王は先走っておられるのではないでしょうか」


 ためらいがちに、吉野さんが指摘した。


「俺達は確かに話は聞いた。でも取り組むかどうかは、もう少し考えてから決めるってことっす」

「地図作りに王の助力はいらんと申すか」

「いえそれも含んで検討ということで」

「なるほど」


 釘刺しとかないと、「そういうこと」にいつの間にかされちゃうからな。気をつけないと。俺達は別にこの世界とか王家を救いに来たわけじゃない。サボりに来てるだけだし。


「まあいい。では旧都遺跡について教えてやろう。判断材料として」


 テーブルにあった茶器からお茶をカップに注ぐと、それを俺達に薦めてくれた。


「長くなるでな。これはいい茶だ。喉を潤しなされ」


 香味豊かなお茶を俺達が飲み始めると、ヴェーダは口を開いた。


「この世界はそもそも、あの旧都からすべてが始まったのだ」

「文明の曙ということでしょうか。私達の世界にも、そういう土地があります。エジプトとかインダスとか呼ばれていて。だいたい大河の河口地帯ですね」

「そういう意味ではない」


 吉野さんに微笑むと、ヴェーダが続けた。


「文字通り、この世界自体が、そこから始まったのじゃ」

「世界が?」

「そう。この世界を創った者、それはあんたらの世界の人物だ。名を、ゴータマ・シタルダと言う」

「ゴータマ・シッタールダ!」


 吉野さんが叫んだ。飛び上がらんばかりだ。


「知ってるんすか、吉野さん」

「なに言ってるの、平くん。お釈迦様じゃないの」

「へっ?」

「ゴータマ・シッタールダは、紀元前五世紀くらいの人。インドの王族だったけど、出家して仏教を創建した」

「そんな名前でしたっけ」


 いかん。不勉強が祟った。


「たぐい稀なる想像力を駆使し、ゴータマはこの世界を桃源郷として創造し、現世――つまりあんたらの世界からこの地に降り立ったのだ。最初に立った地に、粗末な住まいを造った。それこそが、旧都ニルヴァーナの始まりでな。そのとき齢八十余歳だったという」


 そりゃ、たったひとりで仏教の教えを捻り出したんだから、とてつもない想像力だったのは確かだろうさ。


「お釈迦様は食あたりで亡くなったんじゃなかったんだわ。私達の世界から消えちゃったのね」

「ほう。食べ物で死んだことになっているのか。これは愉快」


 ヴェーダは笑い出した。


「なにせゴータマはこの世界でも歳に似合わぬ精力の持ち主で子も多く儲け、しこたま健啖家だったらしいでの。食あたり伝説を残したんだから、元の世界でも相当だったのじゃろうな」


 ヴェーダは説明を始めた。ゴータマのその後を。生み出した人間があばら家の周囲に街を形成し、やがて都市となっていったこと。同様に生み出した動物や妖精の一部が変質し、次第に悪意を持つモンスターと化していったこと。そして人類同士の戦いや魔物を含んでの三つ巴など複雑な歴史を刻んでいったことなど。


 ひと通りの歴史講義を終えると、次に旧都の現状を教えてくれた。王女捜索の手がかりとして。


「どうだ。行く気になったかの」

「どうでしょう……」


 正直、ヴェーダの話で行く気はどんどんなくなった。王女が消えた一年前の天変地異で、火山に溶岩、有毒ガスだろ。おまけに、そうした環境を好む凶悪モンスターが棲み着いたって言うしさ。


「ヴェーダさん」


 吉野さんは、空になったカップを置いた。


「なにかの」

「王女が仮にそこに向かったとして、そのときはまだ天変地異がなく、ただ旧いだけの遺跡だったんですよね」

「そうじゃ」

「天変地異なんて、そうそう起こるものじゃない。王女が関係したりしてないでしょうか」

「それはわしも考えた」


 お茶をまたみんなのカップに注いでから、館長は話し始めた。


「シュヴァラ王女は才気活発で、世界の有り様に興味津々であった。その意味で、王宮の閉鎖された政治生活に、向いていない質ではあったのじゃ。……よく王宮の壁を蹴り壊して怒られていたのう」


 おてんばw


 どうやらここ図書館は、王女の部屋も同然だったらしい。毎日入り浸っては旧い書物や書物にすらなっていないバラの文献を調べていたとか。王宮の外に広がる世界に憧れ、世界の成り立ちを夢想していた様子だ。


「ならばこそ、遺跡に向かったという書き置きを見て、さもあらんとわしも納得したのだ。王女らしいからな」

「なるほど」


 陽動で嘘を書き残したという可能性は、どうやら薄そうだ。


「王女が遺跡に辿り着いたのか、遺跡でなにかをしたのかは、わしにはわからん。だが、そこの賢明なお嬢さんが指摘したように、天変地異との関係があるやもしれんとは感じておる。……まあ確証はないがの」

「ねえおじさん」

「なんじゃな、小さな使い魔よ」

「レナって呼んでよ。ご主人様につけてもらった名前なんだからっ」

「これはすまん。レナちゃんよ」

「王女が遺跡でなにかしたとしたら、そのヒントはここ図書館にあるんじゃないかな。だっていろいろ調べてたんでしょ」

「わからん。ただ――」


 王立図書館館長は、自分のカップのお茶を飲み干した。


「ただ、最後に王女が調べていた書物がなくなっておった」

「その内容は?」

「書名は『智慧の泉』。はるか昔の書物でな。古代魔法の禁じられた術式について、抽象的なヒントがずらずら書き記されたらしき奴。わしが読んでもちんぷんかんぷん。なにせ平文で書かれた書名と序文を除くと、思わせぶりなイラストと暗号らしき文字列が並ぶだけ。まあ奇書の類じゃ」

「著者とかはわからないんですか」

「言ったとおり序文は暗号ではなかったのでな。著者はシャイア・バスカヴィル。よくわかっておらんが、古代の賢者だったらしい」


 パーティーの仲間が全員、俺を見た。その名前に聞き覚えがあったからだ。そう、バスカヴィル家の魔剣として。

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