第一部完結記念! 「愛読感謝」エキストラエピソード

エキストラエピソード 課長とデート

「なんか、湿気ってるわね。空気が」

「そうですね、吉野さん」


 会社帰りのスーツ姿のまま、吉野さんは、夜空を見上げている。東京下町のレトロな遊園地。狙ったテイストではない。開業以来たいして変わっていないので、勝手にレトロになった場所だ。敷地が狭いので、見える空は視界の半分くらいか。


「もうじき梅雨だものね」

「遊べるうちに遊ばないと」

「うん。……ごめんね。仕事で疲れてるのに、今日は付き合ってもらって」

「いえ。帰ってもどうせレナと弁当食うだけだし」


 貴重な妄想タイムを潰すハメになったのが実は残念だ。それでもかわいい上司の頼みとあらば、ひと晩リアルで遊ぶくらい、別にかまわないさ。なんせ俺達はチームだから。


 いつもどおりレナは姿を消したまま俺の胸に入っているはずだが、気を遣っているのか、今晩は出てこないな。


「じゃあ、さっそく遊びますか。……どれに乗ります」

「そうね……」


 照明でキラキラ輝く園内を、吉野さんは見回した。


「やっぱり、あれかな」


 指差したのは、こじんまりしたジェットコースターだ。


「まあ、遊園地の華みたいなとこありますしね」

「そうでしょ」


 平日夜なんで列もほとんどなく、俺達の番はすぐに来た。ラッキーなことに最前列が空いていたんで、ふたり並んで座る。


 ガンっと衝撃があって、コースターはのろのろと動き出した。


「なんかこう、ジェットコースターって、最初の上るところがいいわよね」

「そうっすね。期待と恐怖が徐々に高まって、頂点でちょうどテンションもマックスになるし」

「そうそう」


 ゴトゴトと音を立てて、コースターは頂点へと向かう。ときどきキーキーなにかが軋むのが、ご愛嬌というか、ボロいというか。


「怖くなってきた」

「俺も。なんか違う意味で怖くなってきたかも」


 実際ここ大正時代の開業で、コースターも木製で年季が入ってる。ギシギシ鳴る分、むしろ最先端より怖い気がするわw 事故で放り出されそうというか。


「もう無理だけど、やっぱり降りたくなってきた」

「すぐ頂点ですよ。大丈夫」

「頂点が高いから、怖いんじゃない」

「そりゃそうだけど」

「こ、怖くなったらしがみつくから。びっくりしないでね」

「はい。どうぞ」


 わざわざ予告するところが、真面目な吉野さんらしい。年上だし上司だけど、かわいいよな、この人。


「あーもう空しか見えない。おしっこしたくなってきた」


 とんでもないことを口にする。


「も、漏らしたら責任取ってね」


 わけわからない。


「あー。もう、もうもう。あっあっあっ。ああ、お、落ちるーっ!」


 すとんと、床が抜けたかのように体が浮いた。きゅんと、タマが縮む感覚がする。


「き、きゃああああぁーっ!」


 悲鳴と共に、吉野さんが抱き着いてきた。ぎゅっと胴を締められて苦しいが、胸を感じて気持ちいいという、「どっちなんだよ」状態というか。


 吉野さんの体はいい匂いがする。風呂上がりの幸せな過去の香り、はたまた日向の草原で昼寝した草いきれの香りか。とにかくそうした類の、懐かしい感覚だ。


 背後からも、同乗者の悲鳴が聞こえてきて、多重奏みたいだ。


「こ、怖いぃーっ」

「平気ですよ」


 肩を抱いたものの、実は俺も怖かった。


 なんせ敷地が狭い分、蛇のように急角度でのたくっている奇妙なコースターだ。しかも手を伸ばせば届くくらいのところを、コースターの支柱だの別アトラクションの外壁だのがビュンビュン通り過ぎる。想像以上のスリル。


 なんだよこれ、見た目でバカにすると痛い目みるパターンじゃん。


         ●


「こ、怖かったーっ」


 コースターから降りると、吉野さんはひょこひょこ歩き始めた。


「死ぬかと思った」

「なに言ってるんです。ドラゴンに誘拐された人間が、このくらいで」

「それとこれとは違うもん」

「もしかして吉野さん、漏らしました」

「はあ? なに言ってんの。怒るよ、平くん」


 立ち止まると、俺を睨んだ。


「いや歩き方おかしいし、もしやと思って」

「違うし。全然違うもん。それにもし本当に漏らしてたとしたら、そんなこと指摘しちゃダメでしょ」


 それもそうか。どうも俺は、タマの件といい吉野さんといい、仲間が女の子だというの忘れがちだな。


「すみません。吉野さん」

「……いや、謝らないで。別に怒ったわけじゃないから」

「はい」

「それに……」


 じっと見つめられた。


「平くん、たくましかった。私をしっかり守ってくれたし」


 しがみつかれて必然的に肩抱いただけだけど、まあいいか。わざわざそんなこと言ったら、また怒られそう。


「次はなにに乗りますか」

「コーヒーカップがいい」

「そんなんあります?」

「あそこに」


 本当だ。ふたりで乗って、ハンドル持ってくるくる回す奴。


「今どきコーヒーカップなんかあるんだ」

「なんだか懐かしい。子供の頃を思い出すわ」

「本当に」


 さすが時代遅れの場所。テーマパークというより「遊園地」って文字面がよく似合うというか。


         ●


「吉野さん、ハンドル回しすぎ」

「えへっ。そう?」

「まだ目が回ってますよ、俺」

「だって、楽しかったんだもん」


 コーヒーカップから降りたが、俺はまだ足がふらついている。でも課長にはこのくらいのスリルが合ってたみたいだな。ドラゴンに誘拐されたとき、怖かったろうな。かわいそうに。俺が助けに来てくれるって、心の中で必死に思っていたに違いない。


 なんだか急に課長が愛おしく思えてきた。いかんな、どうも。


「次はどうします」

「そうねえ。会社帰りであんまり平くんの時間をもらうのも悪いから、あとひとつだけ」


 指差した。


「観覧車がいい」

「了解です」


 俺はちょっとほっとした。あれなら目が回ったりしないし。それに最後に乗る乗り物としてふさわしい感じだ。


「小さっ!」


 思わず声が出た。観覧車の、あれなんての、ゴンドラ? それがとてつもなく小さかったからだ。向かい合わせでふたりしか乗れない。しかも膝がどうやってもくっついて――どころか脚が交互に絡んでしまうというという。


「レトロ極まれりね」


 吉野さんも笑ってる。


「さすがに大正時代のままってことはないと思うけど、サイズは変わってないんですかね」

「そうかもね。ほら見て、夜景がとってもきれい」

「本当だ」


 セコい遊園地で、観覧車だってそう大きなものではない。それでも徐々に高くなってくると、街の輝きや東京湾を行き交う船の灯りだのが、視界いっぱいに広がってくる。


「きれいですね」

「うん。……ねえ平くん」

「はい」


 じっと見つめられた。吉野さんはなにか言いたそうだ。


「あのね」

「はい」

「私ね、子供の頃、親の顔色ばっかりうかがっている子供で」

「そうなんですか」


 なんとなく、たしかにそんな気はする。


「この遊園地、子供の頃に行きたくて。当時クラスメイトがみんな行っててうらやましかったけど、ウチは連れてってくれなかった」

「はい」

「勉強しろって言われて」


 俺は黙っていた。誰しも、そういう辛い思い出はある。能天気の俺にだってあるくらいだからな。


「それに誕生日とか、みんな親からいろいろなプレゼントをもらってた。それがうらやましくって」

「吉野さんはもらえなかったんですか」


 吉野さんは、溜息を漏らした。


「服とかは買ってくれるのよ、普段使うものだからって。……でもアクセサリーとかかわいい消しゴムとかはダメ。そういうのは自分で稼いで買えって、父が」

「小学生に? 変わってますね、お父さん」

「経営者としての英才教育のつもりだったみたい」

「はあ、なるほど」


 お父さん、輸入家具の小さな商社を経営してたっけ。まあわからなくはないが、小学生相手だと、やっぱ厳しいわそれ。


「なにが欲しかったんですか」

「みんなとおんなじ。女子だから、安っぽいプラの髪留めとか」


 リボン型とか赤いボールとか、ああいうのかな。


「父とはずっとそんな感じで……」


 吉野さんは、眉を寄せた。


「だから私が学生の頃、仕事の都合で会社ごと神戸に移ってくれて、実はほっとしたというか。親元を離れられたから」

「はあ……」


 どうにも、微妙に堅っ苦しい家庭らしいな、これ。あっけらかんとして明るいだけの、俺んちとは大違いだわ。


「だから今日はそのリベンジ。夢がかなったの」

「良かったですね吉野さん」

「思い切って平くんに頼んでよかった」

「いつでもなんでも言ってください。だって俺達――」


 なんか俺、急に吉野さんがかわいく見えてきた。これまで精一杯生きてきたんだな、彼女なりに。


「俺達、旅の仲間じゃないすか」

「そうね」

「それに会社の同僚だし」

「うん」

「だからなんでも相談に乗りますよ」

「仲間で同僚。でもそれだけじゃないわ」

「は、はい」


 吉野さんに手を取られた。温かくて柔らかくて小さな、かわいい手。


「平くんはね」


 一度、言葉を切った。それから口を開く。


「私のご主人様」

「あの……」

「黙って聞いて」

「はい」


 真面目な表情だ。いつもみたいに茶化すのは止めておこう。


「いつか平くんが言ってたみたいに、私、やっぱり昔からご主人様を求めていたのかもって思う。だって平くんのこと、ご主人様って呼ぶと、なんかすっごく心が落ち着くの。ご主人様が、私のことを守って、導いてくれる。私はそれに従っていれば幸せなんだって」


 吉野さんの瞳は、心なしか濡れているように見える。


「ごめんね、急にこんなこと口走って。でもどうしても言いたくて。私の気持ち。……でも負担に思わないでいいよ。これは私の勝手な気持ち。平くんが私をどう思うかは、別だから」

「俺は吉野さんのこと、大事な人だと思ってます。この世界では頼りになる上司、それにあっちの世界ではパーティーとして旅の仲間。それに……」

「それに?」


 観覧車の飾り照明が反射して、瞳がきらきら輝いている。


「俺のことを慕ってくれる、かわいい人だ」

「……平くん」


 顔が近づいてきた。唇が触れるか触れないかくらいの、かわいらしいキス。


「ありがとう」


 そのまま身を任せてきたので、俺はふわっと柔らかく抱いてあげた。


「夢みたい。……今日のことは、私、一生忘れない」


 耳元で囁いてくる。


「だって平くんが、私のことを認めてくれたんだもの」


 吐息で熱い囁きが、俺の耳をくすぐる。


「私、平くんのためなら、なんだってするよ。だってそれが――」


 顔を離して、俺の瞳を覗き込んできた。


「だってそれが、仲間ってことでしょう。私の人生で初めてできた、本当の仲間。平くんだもん」

「うん」

「ほら見て、平くん。街があんなにきれい」

「はい」

「中にいると醜く感じる世界でも、遠くから眺めるときれい。この世は本質的にはいいものだってことよ」

「そうですね、吉野さん」


 ゴンドラは、揺れながらゆっくり下降している。俺と吉野さんを、高みから街へと戻そうと。手をつないで、俺は課長と世界に戻ってやるさ。明日から。




■第一部愛読感謝のおまけエピソード「課長デート編」は、いかがだったでしょうか。応援よろしくです。


次話から新展開・超絶展開の第二部開始。お楽しみにー。

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