4 まったり探索の日々

4-1 吉野課長、朝礼、かったるいす

「ふわああああーああっ」


 思わず大あくびが出た。


「平くん。朝から情けないわよ」

「すみません課長」


 昨日の夜レナの「お願い」でいろいろあって、寝不足なんだよ。「これからは毎日、裸で添い寝させてほしい」ってのがレナのお願いだった。受け入れたのはいいんだけど、俺、裸で寝るの慣れてないしさ。おまけに腕に抱きついてるレナの体温感じるし。なんだか寝付けなかったんだよな。


 リーマンだから朝から仕事するのは別にいいんだが、眠いのだけはかなわん。異世界開拓進めていずれ俺の裁量範囲が広くなったら、危険だからとかなんとか適当な口実つけて午後だけ勤務にしようと悪巧みしている。


「では朝礼を始めます」

「ふわい」


 俺と吉野さんは、異世界子会社のせせこまいオフィス。ちょうど課長席の脇に向かい合わせで立っていた。そこくらいしかスペースないから。


 もちろん週一の朝礼のためだ。朝礼が済んだら、例の転送装置の場所まで徒歩五分。そこから異世界に日帰り出張ってわけよ。


 たったふたりのオフィスなんだから型通りの朝礼なんてなしでいいと思うんだが。茶でも飲みながら段取り確認するとかでいいじゃん。でも吉野課長級(課長発令はまだだからな)は真面目だからさ。


 出社するなり速攻でスーツやネクタイ放り出してアウトドア装備に着替えた俺に比べ、吉野さんはビジネススーツにパンツ姿。まあまだ服買いに行ってないしな、ふたりで。ボンデージでもタイトスカートでもないだけ、マシになったとは言える。


「おはようございます」

「おはようございまーす」


 なんとなくだらけた俺と違い、吉野さんは、しっかり胸を張ったいい姿勢。


「さて、そろそろ春。季節の変わり目は風邪をひきやすくなるから、注意しましょう」

「はい」


 ガキを訓示する校長といったところだ。なんなんだこのレトロでまったりした朝礼。普通、商社の朝礼ってもっと殺伐としてて、空気もぴりぴりしてるもんだがな。吉野さんのセンス、面白いわー。


 でもまあいい。異世界にサボり放題の楽園を作るという、俺の人生の最大目標達成には、彼女が必要だ。他は多少ずれてようがポンコツだろうが構わない。仲良くやっていくさ。


 なにせなんかで揉めて吉野さんが異動になり、杓子定規に開拓する役人みたいな奴が来ても困るし。逆に出世欲でギラギラしてる奴なんかも嫌だ。異世界では俺がボスと認めてくれる吉野さんは、理想の上司だ。


 あーもちろん、俺が異動で叩き出されるほうが、吉野さんの異動より可能性ははるかに高い。なんせ俺、どこの部署からもお払い箱になり続けた、社内ギネス記録保持者だからな。


「これが、私達が作り上げてきた地図です」


 A3用紙を、吉野さんは両手で広げてみせた。上に湖、下に丘陵。丘陵を中心に、幼稚園児のいたずら書きのようにカラフルな線で塗り潰されているのが、俺達の踏破領域ってことになる。湖の近く、離れてぽつんとあるコーヒーをこぼしたような染みは、初日に吉野さんがタマと探索した八十歩分だろう。


「私達の異世界地図作りも二か月めに入っています。新規事業随一の成功例として順調で、社内外からも注目が集まっています」


 これ、実は困るんだよな。業績は停滞気味で、たまーに大ヒット飛ばすくらいがいい。それならエリートがかき回しにくることもないだろうし、俺と吉野さんが粛清されることもないからさ。今度きちんと考えておかんとなー、このあたり。


「この成功に安住せず、気を張って進みましょう」

「はい」

「では今日も頑張って行きましょう。はい、復唱して。――安全第一」

「安全第一」

「業績祈願」

「安産祈願」

「ちょっと平くん、ふざけないでよ」

「すんません吉野さん」

「こんにちわー。タマゴ亭でーす」


 入り口のドアを開けて、弁当屋が入ってきた。今日の分の仕出し弁当を持ってきたんだ。


 ここ雑居ビルなんで、ICカードによる入退室管理とかあの類の、ご立派なセキュリティー装置とか皆無。だから誰でも入ってくるぞ。弁当屋だけじゃなく、今どきそんな商売あるのかってくらいの、流しのオフィス物売りとか。


「ああタマゴ亭さん。今朝礼中なんで、そこのテーブルに置いてちょうだい」

「はい」

「吉野さん、もう朝礼終わりでいいでしょ。そろそろ時間だし。タマゴさんに失礼だ」


 かったるい朝礼はもうごめん。これ幸いと抜け出すと、配達のねえちゃんから弁当を三つ、受け取った。


「ありがとうございます」


 俺を見てにっこりと微笑んだよ。うん。いい笑顔だ。まあかわいいし。


 この子、どうも弁当屋の看板娘で、納品先で人気らしい。ウチの本社は出入りの仕出し屋三つくらい契約してる。一年ごとに入れ替えたりもするらしいけど、タマゴ亭は契約以来交代なし。今は十八歳らしいけど、中学の頃から実家の配達を手伝ってたそうで、担当者がこの子を気に入ってるからと、もっぱらの噂だ。


 それがあるから、仕出し屋も、わざわざ娘を配達役にしてるんだろうけどさ。どっちもえげつないわー。俺は女より飯のが大事だから、配達が誰であれ気にしないけどな。


「今日はサワラの西京焼き弁当です」

「おっうまそうだな」

「はい。サワラは旬。柔らかくてすっきりした味のサワラに、西京味噌の旨味が加わって、とってもおいしいですよ」

「あとなに入ってるの」


 いつの間にか隣に来てた吉野さんまで参戦している。


「菜の花のお浸し胡麻がけに、春野菜の天ぷら。あと肉団子の黒酢炒めが、一個だけですみませんが入ってます」

「いいねえ」


 黒酢炒め、うまいんだよね。肉汁がじゅわっと滲み出る肉団子に、甘酸っぱい黒酢あんがまた最高に合ってて。


「ご飯は」

「五穀米ですが、ご安心ください。平さんの分は、リクエストどおり、超大盛りにサービスしてあります。もう蓋が盛り上がるくらいに」

「まあ」


 吉野さんが、あきれたように俺を見た。


「ここ大事なんすよ。吉野さん。なんせレナ、あの体でけっこう俺の弁当食いやがるんで」

「あれ、もうひとりいるんですか。なら今度から四人前を――」

「それはいいや。それだと残しちゃうから多分」

「へえ。そのレナさんって、きっと小柄な女の子なんですね」

「ま、まあね」


 こいつ、弁当のシェアとか気味悪く思わないのか。


 ちょっとした違和感を感じたよ。それに今、俺の胸のあたりを一瞬、見つめたような気がするし。いつもレナが陣取る場所を。


 これまで「弁当配達人」としてしか見ていなかったが、そのフィルターを外してきちんと観察してみた。


 色白で肌がきれい。髪の色は薄めだけどさらさらしてて、ポニーテールにくくってキャップにまとめている。黄色に「タマゴ亭」という文字とロゴの描かれた色気のないTシャツ姿なのは、春とはいえ配達の肉体労働で寒くないからだろう。「額田」と書かれたネームプレートを、シャツにピン留めしている。


 特におかしなところはない。しいて言うなら、ロゴだ。普通「タマゴ亭」という弁当屋なら、漫画チックな鶏とかがロゴになってそうじゃん。でも、盾のまわりに蔦が絡み合ったような、なんてのこれ、そう、紋章っぽいというか。


 まあ弁当屋の社長――つまりこの子の父親――の趣味とかその手だろう。


「明日は鶏の照焼弁当です」

「おっそうか」


 俺の沈黙を、献立を考えてたと判断したみたいだな。


「うまそうじゃん」

「漬物はいつもどおり、柴漬けといぶりがっこの両のっけ」

「そこ重要」

「おいしいわよねえ、タマゴ亭さんのお漬物」


 珍しく、飯の話題に吉野さんが乗ってきた。実際、タマゴ亭の仕出しは我が社では当たりの日だからな。だからこそ、異世界子会社ではタマゴ亭ばっか頼んでる。


 まあたった三個という小分け配達に応じてくれたのは、家族経営のタマゴ亭さんだけだったのもあるけど。こっちもオフィスにはふたりだけだから、名前を覚えてくれてるし。気安いっちゃあ気安い。


「ええ。築地の漬物屋が遠縁で、いい奴を安く仕入れてるんですよ」

「まあ。今度自宅用に譲ってもらおうかしら」

「社長に聞いておきます」


 そのとき、吉野さんのスマホが鳴った。内線アプリの入った、社用の奴。


「はい……はい。すみません、今すぐ向かいます」


 どうやら転送担当のあの嫌な野郎から催促がかかったみたいだな。気の短い奴だ。いいじゃんなあ、異世界転送なんて別に三十分やそこら遅刻したって。どうせ向こうでサボり放題するんだし。(俺、身も蓋もないな)

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